もう10年も経つのですが・・・あの時の悔しかった思いや、映像を公開してクビになった海上保安庁の方、この思いをどうしてくれようか。
しかも、やっぱりだよ・・・菅・・ガースーじゃなくてカン・チョクトの方。
あのカン・チョクトが総理大臣だった時代、民主党という極左翼政権における悪夢。
菅直人氏が「カン・チョクト」なんて呼ばれ方をしたのも頷けますよね。
で、今になって前原氏が証言したようですが、今更なんだ?って感じですし、自分はさも正義感ぶって喋っているけど結果的に悪の片棒を担いだんじゃないの?と思います。
「当日は参院国交委員会に出ていて、秘書からメモが入った。委員会後に大臣室に戻り海上保安庁の鈴木久泰長官から報告を受け、その日のうちに衝突時の映像を見た。極めて悪質な事案だということで、長官の意見を聞いたら『逮捕相当』ということだった」
その日のうちに映像を見てた?
国民には見せない様にして、映像が入手できないとか何とか言ってたような気が。
「ただ、外交案件になり得る問題なので、私から仙谷由人官房長官に『海保長官から逮捕相当という意見が上がっている。私も映像を見たが、逮捕相当だと思う。あとは外交的な問題も含め官邸のご判断をお願いしたい』と伝えた」
前原君、言っちゃったもん勝ちなのかもしれないけど、その割には態度が。
仙谷さんはもうこの世にいない人だし、今更前原発言の信ぴょう性を確かめる術もない。
「岡田克也外相はドイツに外遊中だった。
それで連絡に時間がかかったと聞いている。菅(かん)直人首相と仙谷氏と岡田氏で話し合い、逮捕という結論に至ったと思う」
「小泉純一郎政権の平成16年に中国人が尖閣に不法上陸した際は強制送還とした。ただ、わが国固有の領土に不当に入ったのと違い、衝突事件では危害を加えられた。そこが全然違う。9月16日に石垣島に視察に行き、巡視船は沈む一歩手前だったと報告を受けた。一つ間違えれば海上保安官の命に関わる話だった」
海保は自衛隊と違うからホースの水で応戦する以外ない。
あの時は中国船が体当たりしてきたんだよね。
逮捕は当たり前のことでしょう。
ところが、映像は公開されない。船長は釈放されて中国に英雄気取りで帰国するという事件が発生。日本人は大いに怒ったし、それは海保の人達も同じだと思います。
「下旬に米国で国連総会があり、出発直前にその勉強会で首相公邸に呼ばれた。佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部と行った。
そのとき、菅首相が船長について、かなり強い口調で『釈放しろ』と。『なぜですか』と聞いたら『(11月に)横浜市であるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に胡錦濤(中国国家主席)が来なくなる』と言われた」
「私は『来なくてもいいじゃないですか。中国の国益を損なうだけだ』と言ったが、『オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ』ということで流れが決まった。仙谷氏に『菅首相の指示は釈放ということです』と報告した」
菅直人が菅直人らしい発言ですけどね・・・APECの議長だから中国を怒らせたらまずいと考える日本の総理大臣。ああ、悪夢の民主党時代です。
前原氏が本当に「来なくていいじゃないですか」って言ったのか?総理を諫める立場が強く出られて「しょうがない・・・釈放ですってよ」と伝える甘さ。そこがいつまで経っても信用されない理由なんですね。
「当時、オバマ米政権は米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条を尖閣に適用すると言っていなかった。
訪米した私はクリントン国務長官との会談前日、ニューヨークの日本総領事館に東アジア担当のキャンベル国務次官補を呼んだ。20年来の知り合いだ」
「こうした事件が今後あるかもしれないと思い、『尖閣への5条適用を言ってほしい』と頼んだら『分かった』と。
彼はその代わり『これ以上、ことを荒らげるなよ』とも言っていた。そして翌日、クリントン氏は5条適用と言った」
クリントンって・・夫婦で中国寄りというか、中国人大好き人間だったのね。
「これ以上、ことを荒げるなよ」って・・・自国民が同じ立場になったらそう言えないだろうに。いや、しかしオバマ政権の時は弱腰だったし中国からの利益がすごかったんだよね。
「官邸の一貫性がなかったのが最大の問題だった。逮捕相当との意見を上げ、そして逮捕を決めたのは官邸だ。その主が釈放しろと言ってきた。そのつじつまを合わせるために泥をかぶったのが仙谷氏だった」
仙谷さん・・・彼はいい人だったよね。確かに。
一貫性がなかったのを知っていながら放置。
そういうのは自民党も同じだと思います。しかしながら誰ひとり国益を考えていなかったことが露呈しました。というか、やっぱりそうだったのね。
今回もコロナの発生源が中国であるにも関わらず、日本は長い間中国人の受け入れをやめませんでした(結果的にそれが日本人に抗体を作り出したという話ですが)
また習近平を国賓として招くことに拘っていましたよね。
これまた棚上げになったわけですが。
インバウンドに頼り切っていた日本にとって中国のご機嫌は損ねてはいけないものだったのです。今もってそんな中国に進出しようという企業があるわけですから。
香港問題もあり、内モンゴルの人達への迫害もあり、世界的に嫌われた習近平は二度と外国から招かれることはないと信じています。トランプの強気政権が頼みの綱といってはなんですが、菅さん(ガースー)が総理大臣になった時は毅然として対処して頂きたいものです。
仮に中国に毅然とした態度で対応した場合、対米関係まで影響を及ぼした可能性があるのでは?
結局、大国の間で右往左往するだけの情けない我が国の姿です。
むしろ、ものすごい勢いで態度を変えたアメリカに振り落とされずに付いて行けた安部総理の対米外交の巧緻さを評価するべきではないでしょうか。
退陣を決めた今の時期であればこそ、安部外交を評価したらこの人のポイントも上がるのに。
この時期、この情報を出したのは政治家として埋もれそうな危機感を持ってるからでしょ?
それができない思い切りの悪さ。
返す刀で「当時の海保の関係者には申し訳なく思う」と一言あればねえ。
人としていまいち信用できないのは、おっしゃる通りだと思います。加えて、政治家としてのセンス0だわ。
しかし読めば読むほど不安が増してしまいました。
安倍さんの盟友は麻生さんでしたが。
菅さんにとってはそれは誰かと言えば、目下は二階幹事長という話になっています。
確かに思えば、安倍さんと菅さんが、気持ち的に疎遠感が出ていると、ちょっと前に報じられたことがありました。
そして、安倍さんの退陣時期ですが、1回目の検査のときに、既に周囲は「辞任しそう」と思っていたそうで。まあ確かに近くで見ていれば首相の体調の按配はわかるでしょう。
そんなとき、二階氏が菅氏に急接近。二階氏は石破氏や岸田氏に首相になってもらいたくない。なぜならば、この2氏だと二階外しが明確だから。彼は幹事長の職を辞めさせられることはまっぴらだった。
菅氏は無派閥。これからの内閣をうまくかじ取りするには、誰に一番力を借りるか?
それは二階氏にほかならないだろう。最悪、菅政権は二階氏の傀儡政権になることもあり得る。
そうなるか、ならないかは菅氏の頑張り次第。
みたいな論調で。
今回の候補者の中で、私は菅氏は1年の残任期を引き受けて、自分自身の花道を作るつもりなのかなと思っていたのですが、彼がたたき上げとしての野心ありの政治家だったとしたら、二階氏とタッグ組んで、えらいことになるかもしれない。
党員さえ投票できない今回の総裁選び。
ただ静観しているほか、我々にはなすすべがないのですが。
(ブログ内容と「菅違い」でごめんなさい)
前原氏の発言を読むと、対中関係ばかりで、対米関係まで懸念したかどうかもわかりませんね。
こんな人達が政権を握っていたとは。3年でも長すぎました。
しかしこの事件、船長を釈放したことが、その後の中国の尖閣侵入をますます増長することになったのは事実です。なんてことしてくれたの!
安倍政権では何とか持ちこたえてきましたが、コロナで日米が弱ってきたら連日の侵入です。
隙あらば、攻めてくるのです。
しかしながら、国土交通省の枠内でやりくりしている保安庁は、船艇の増強や人員が足りません。
島嶼部ではなおさらです。
政府はもっと積極的に保安庁の強化をすべきですし、島に駐在することも含め、自衛隊との連携も強化すべきだと思います。
安保条約5条の適用をもって、米軍が尖閣の防衛に関与してくれると思うのも考えが甘いですが、アメリカがこれが国益にかなうと思うよう、米軍にも積極的な関与を求めてほしいです。
それらが、中国に対する抑止力になると思います。
↑WSJの記事ですが、アメリカも菅さんの外交姿勢を心配してるみたい。「心配」というのは「懸念」じゃないから見えないことが問題なんでしょうね。
あはは、日本人でも「菅さんの外交」はわかんないんだから~。
菅さん自身はあまり外交に関心がなかったのだろうか?
それとも安部総理の手腕と方向性に惚れ込んでまったく「異議なし!」でやってきたのだろうか?
2fの横車をことごとくはねつけ、安倍内閣の対韓対中姿勢を貫き一期終わりで有終の美を飾れば、「菅義偉」は歴史に残ると思う。
国民は新総理が誰になるにせよ注視して、政治が媚中韓になるのを防がないと!
二階を幹事長から外してくれないかな…
船長釈放に激しい怒りを覚えた記憶がよみがえります。
関連致しまして、昭和26年9月6日に函館空港に強制着陸した
最新鋭ミグ25のベレンコ中尉亡命事件では、
当時の三木武夫政権では、百里基地でアメリカが解体して調査後、
機体はソ連に返還されました。
記録書類の全ての廃棄を指示された陸自は必死に拒否しました。
最近、これを知って根は深いことに暗鬱な気持ちになりました。
昭和39年でした、強行着陸でした。
すみません。