ふぶきの部屋

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考えた事なかった・・・女王だけが残る宮家

2024-11-15 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

皇室の未来を考えた時、スリム化を図るべきと私は何度も書いてきました。

なぜなら、子孫が残らない宮家を残す事に意義がないからです。

なぜ、皇族が必要がというと、何等かの事情で天皇の直系がいなくなった時のスペアだからです。

ゆえに本音を言えば、親王や王が沢山いる宮家の方がありがたいのです。

古代 →永世皇族制・・・男子皇族が多かった

奈良時代あたりから →5世孫まで皇族、その後は臣籍降下

鎌倉時代から →直系皇族現象の場合に跡を継げるよう世襲宮家を作るが滅ぶ

江戸時代 →天皇の子、宮家の子は都度都度「親王宣下」「内親王宣下」を受けない限り直系であっても認められず出家させられる。

一方で伏見・桂・有栖川・閑院の4家が「世襲宮家」として直系亡きあとは天皇の子が跡を継ぐ。

幕末~明治 →法親王が続々還俗し宮家をたてる一方、桂宮家・有栖川宮家が断絶。

     旧皇室典範により男系長子相続で5世まで、次男以下は華族となる。

大正・昭和→明治天皇の策により11宮家が誕生。戦後、秩父・高松・三笠宮家を除く宮家は全て臣籍降下

平成 → 三笠宮家の親王が全員亡くなり、大正天皇の血統が途絶える。

   皇太子家に男子が生まれず、秋篠宮家にのみ男子が生まれる。

令和 → 皇位継承者は秋篠宮と悠仁親王のみ

    天皇家と皇嗣家を除けば、三笠宮も高円宮も女王のみが残る予定

 

こうやってみていると、なぜ今の状況になったのかわかります。

危機的な状況は江戸時代、光格天皇の時と、明治になってから。

世襲宮家と内親王を皇族に嫁がせることで宮家を増やす事で乗り越えました。

しかし、現在、「元皇族の皇籍復帰」はなぜか反対の方向で進んでいます。

その代わり、出て来たのが「女性宮家」「女性天皇・女系天皇」で、これは皇室の存在意義を根本から覆すものです。

内親王・女王の役目は、少しでも早く「嫁ぐ」事にあります。

令和の今は家柄なんてどうでもいい人が増えているでしょうが、拘る階級は拘っています。

「元内親王」「天皇の娘・孫」を妻にし、そして子を儲ける事で、その家は金銭ではない「名家」の肩書を得ます。

例えば紀宮と結婚した黒田慶樹氏は、母方が華族に属していて学習院育ち。内親王と結婚で皇室とも縁が出来ました。もし、二人にお子様がいたらさぞや「華麗なる一族」と言われたでしょうし、もし女子であったら悠仁親王のお妃候補にもなったかもしれない。

近衛家に嫁いだ三笠宮家の甯子内親王、裏千家に嫁いだ容子内親王。

共に嫁ぎ先で男子を儲け、嫁ぎ先への貢献度は高いです。

じゃあ、黒田清子さんが何もしていないのかというと、そうではないと思います。

確かに夫は地方公務員ではありますが、「内親王を夫に持つ」事で一定の「忖度」は働いているものと思いますし、社交界での扱いも大きい筈。

 

かつて梨本宮家には女王二人しかおらず、伊都子妃は将来的に宮家が廃される事を案じて長女の方子女王を李家に嫁がせたとの思惑があります。

確かに梨本宮家が断絶してもその血は李王家に残るし、伊都子妃が未亡人になっても行く末が安心というのはあったでしょう。

三笠宮家にはとても長生きな大殿下と百合子妃がいるのに、なぜか親王3人はみな早くなくなり、残ったのは2人の妃と5人の女王。

高円宮家の典子女王は千家家に嫁ぎましたが、結婚当初から不仲が伝えられ、今は実家を頼りに婚家の財産で暮らしている状態。

三女、絢子女王は守谷家に嫁ぎ男子を得ました。元皇族を妻に迎えた事で恐らく守谷家の子供達は将来的に注目されるかもしれません。

こんな風に適齢期で降嫁してくれれば何の問題もないのですが、残った3人の女王は皇室経済法によれば今後、どのような扱いになるのだろうと思います。

三笠宮彬子女王43歳

瑤子女王41歳

高円宮承子女王38歳

 

まず、寛仁親王家の2女王ですが、寛仁親王亡き後は三笠宮家に吸収され、歳費等の変更はありませんでした。

しかし、信子妃は、長期間寛仁親王との不和から宮邸を離れ、麻生家に身を寄せていた事、そして姉妹から嫌われた事から宮邸に戻れず、現在は職員宿舎に住んでいます。

現在、三笠宮家は百合子妃入院でからの状態、寛仁親王家には2女王が暮らしていますが、彬子女王は京都に別邸を持ち、そちらと行き来している状態です。

百合子妃がいない宮家が現実的になりつつある今、本来は宮家の祭祀を取り仕切るのは信子妃でなければいけませんし、宮邸に戻るべきと思います。

しかし、それを彬子女王は許さず生活費すら満足に渡さないと言われています。

寛仁親王亡きあと、彬子女王が麻生さんに「信子妃を引き取れ」といい、麻生さんは「皇室に差し上げた」ときっぱりと断ったそうです。

なぜそこまで娘が高飛車になれるのかと言えば、それは百合子妃という後ろ盾があるからです。

百合子妃が「母を大切しないといけない」と言えば変わったものの、孫をそそのかしたのか、元々嫁嫌いだったのか、とにかく彬子女王こそ宮家の後継ぎと勘違いさせてしまったのです。

この所、やたらマスコミに持ち上げられている彬子女王ですが、なまじ学歴があり気が強くプライドの権化と化した彼女の策略が今後もうまくいくかはわかりません。

宮内庁も言いなりになるべきではないと思っています。

私は寛仁親王の娘、大正天皇の曽孫」というプライドは臣籍降下したらあっという間に崩れ去るものであり、今までおべっかを使ってきた回りが一斉に反旗を翻す事にもなりかねません。

瑤子女王だって、臣籍降下したら「プライベート」な海外旅行が出来るかどうか。

そういう様々な思惑があり、ここまで来たら結婚するより宮家に残った方が得策と思っていることは確かと思います。

 

また、高円宮承子女王は、若い頃からそれこそスキャンダルを起こしてきた女性ですし、現在でも結婚する気はまるっきりないような感じで、今後も母の働きを頼りに自分は自由気ままに生活していくのでしょう。

 

私は将来、秋篠宮殿下、その次の悠仁親王殿下が即位された時まで残るだろう3人の女王がどんな存在感を持つのかかなり心配になります。

三笠宮邸も高円宮邸も正直、秋篠宮邸より大きいのです。

いわゆる「今上」からどんどん血筋の遠い宮家で、尚且つ身位も下になっていく3人が何のために皇室で生活するのか全然理解出来ないからです。

愛子内親王はどうなるでしょう?

身分は「称号を持つ内親王」です。

しかし、将来的に「天皇のいとこ」になります。その頃、愛子内親王が独身で40歳を超え、あのままの状態で仙洞御所に住み続けるのか、あるいは宮邸を構えるのか。

悠仁親王のお妃にも秋篠宮家が経験している苦悩を引き継がせるのでしょうか?

佳子様は将来は「天皇の姉」になります。

本来、秋篠宮殿下は皇太弟になり、内廷となるに従って称号を得なければならなかった。しかし、(宮内庁は面倒だったんでしょうね)結果的に「皇嗣」となり、内廷外皇族になった事で、いわゆるアンチからはバッシングされる羽目に。

それでも佳子様と降嫁した眞子様は「天皇の姉」になる事は確定ですから、その存在感は今以上に増す筈です。

イギリスで言うとアン王女、幕末に存在した孝明天皇の姉の桂宮淑子内親王です。

彼女は

 閑院宮愛仁親王と婚約した為に「内親王宣下」を受けた

 婚約した2日後に親王が薨去

 桂宮家を継いだ弟が亡くなり、女性として単独の桂宮となった

 孝明天皇の姉として、孝明天皇の后よりも高い位につく

人見知りでほとんど顔を見せなかった宮家当主ではありましたが、とにかく扱いだけは女御より上という。

なぜ彼女が宮家を継いだのか、恐らくですけど内親王宣下を受けた2日後に婚約者が亡くなり、とても気のだと父天皇や弟天皇が考えた為ではないかと思われます。

席次は皇后より上だったと言いますから、本人が望むと望まざると権威だけは高かった。けれど一生独身だったというわけですね。

 

佳子様にはぜひよいご縁を得て降嫁して頂きたいけれど、でも今、佳子様が皇室から離れる事は身の安全の為にも好ましくないと思います。

そういう考えにさせているのが天皇家というのが恐ろしいのですが。

また、そういう立場の内親王と結婚したいという男性がそう簡単に現れるかどうか。

眞子様はそんな不安を抱えつつ、小室圭に捕まったと思えば「選ぶ余地」すらなかったんだなと本当に可哀想になります。

天皇の姉が庶民になり、3世皇族である女王が権威を振りかざす・・・そんな皇室にはなって欲しくないと思います。

女王の生活を支える為に税金を払っているわけではないと今の疲弊した国民は思うでしょう。

 

 

コメント (16)
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