4月15日(水曜) 5:30~6:10 まで歩き2868歩
最近は日の出が5時半前で2868歩。
5時に目覚まし時計が鳴ったのに止めてしまったので出遅れ・・・
おっとは先に出かけ・・・
久し振りに富士山が姿を見せてくれました~
畑の葱坊主~
桜もほとんど散ってしまい、ピンクから緑に変身中~
ハナモモかな~鮮やかなピンクの八重がとってもきれい
(CANON EOS KissX6i TAMRON 90mm f/2.8 MACRO)
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1週間前撮った写真です
白ヤマブキが咲いています~
撮り難い場所なので。。。
南高梅、実の赤ちゃんがいっぱい~
ちょっと遅れて咲いた豊後系の梅はひとつふたつくらい~
アンズは実が出来そう~。楽しみ~
(CANON EOS KissX6i TAMRON 90mm f/2.8 MACRO)
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むしがいないかな~と、庭に出てみました~
冬越ししていたテントウムシはしつこく葉を動かしていたら翌日には別天地を求めて何処かへ行ってしまったし・・・
と思ったら・・・
黒地に赤い斑点の2紋型、ナミテントウ
おまけに、アリが有り!!!ありがたい~
さらに、
赤地に黒い斑点のテントウムシもいました~
虫がいっぱい~~~春ですね~
6がつく日は、むし倶楽部
詳しくは、NOZOさんの「★進め!!野外探検隊★」まで、どうぞ
昨日(4月15日)のトータル歩数11200歩、脂肪燃焼量29g、総消費カロリー1877kcal マーク点灯
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去年の8月から始めた朝のウォーキングも8ヶ月続いています。
歩数が2万歩越えした翌日は休んだり、休みの日はちょっと遠くまでノンビリ歩いたりと、
臨機応変、様子を見ながら。
夏の暑い日から、夜明けが遅くて暗く寒い日
を過ぎて、最近は花々
がきれいな良い気候になってきました。
4月10日(金曜日)5:30~6:40間で歩いて3567歩。
空は曇り空
河川敷にはキジがいて、「ケンケ~~ン」と大声で鳴いています。
4月12日(日曜日)
朝はファミレスでモーニング~いい天気でした。
青空に濃い赤がきれい~
4月13日(月曜日)5:30~6:25まで歩いて3553歩
八重桜がきれいに咲いてきました~
毎朝、キジ君の散歩時間と、私達のウォーキングの時間が合っているようで・・・
ケンケ~~ンと鳴きながら付いて来ているような~・・・
4月14日(火曜日) 5:30~5:20分まで歩いて3525歩。
(FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
昨日(4月14日)のトータル歩数12518歩、脂肪燃焼量30.3g、総消費カロリー1977kcal
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玉川上水43kmを歩く、第1回目は羽村駅から拝島駅
今回で完了です。
青梅橋から、福生橋は通らず山王橋へ(下見ではここから先は歩いていないので初歩き)
山王橋
青梅線鉄橋を走る電車が見えました~
五丁橋
北側は八高線
橋の上からは青梅線
下流方向
この先は拝島駅で、拝島駅の北部は五日市線・青梅線・八高線が接近していてます。
また、西側から拝島段丘面・崖、立川段丘面と複雑な地形になっています。
八高線と青梅線の間に水喰土公園があります。
ここに、玉川上水の失敗堀といわれるくぼ地があります。
一説には、上水の工事は2度失敗して、3度目に羽村に取水口を開いて成功させたといわれ、
2度目に失敗した所が、このあたり。
四ツ谷までの堀を完成させて、いざ水を流してみると、この辺りで水が土中にしみ込んで流れなくなってしまった。
だから「みずくらいど」と言われるそうです。
公園説明板によると、
「古堀は、五丁橋より焼く100m下流から段丘崖に沿って北から南の方向に延び、
西武線拝島駅前の平和橋付近で現玉川上水に接続するまで約1kmにわたって掘られていた。
公園内には立川段丘崖の下、約27m残っている」とあり、
平成2年、「玉川上水の開削工事跡」として福生市の史跡に指定されています。
しかし、当時の記録が無く、
「水喰土伝説」と共に、研究者たちの諸説が交差している場所だそうです。
堀跡
崖を上がって、
八高線の線路下をくぐって歩きます。写真の左側に玉川上水が流れています。
細い道を進んで
日光橋公園に出ました。
どんぐり橋付近には、昭和55年まで分水口の開閉、塵芥の排除などの業務を行っていた熊川水衛所(明治27年設立)がありました。
上が国道16号線の武蔵野橋。
どんぐり橋の上から日光橋を見ます。
日光橋は日光街道に架けられたのが名前の由来。 明治24年に木橋を煉瓦積みアーチ橋に架け替え、
昭和25年に道路拡張の為、煉瓦の両側にコンクリートのアーチ橋を増設。
昭和40年、日光街道交通緩和の為、玉川上水・青梅線・五日市線・八高線を跨ぐ高架橋「武蔵野橋」が出来て、
日光街道の使命を終えました。
少し歩いて、拝島駅に到着。解散となりました。
第1回目は羽村堰・段丘のハケ・湧水など見所満載で、先人の知恵と地形を学ぶ事が出来ました。
雨で寒いだろうとダウンジャケットを着込みましたが、雨も早めに上がって日も射し、暑いくらいでした。
寒いとはいえ、4月ですから、着衣で失敗~~
次回は、着衣を考慮、荷物を軽くして参加します~
(FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
昨日(4月13日)のトータル歩数6532歩、脂肪燃焼量17.4g、総消費カロリー1720kcal
雨だったので家にいたし、歩きで近所に買い物に行っただけ・・・おまけに日曜日ケーキ食べちゃったし・・・ がんばらねば
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222回例会の続きです~
上水路は段丘を乗り切り奥多摩街道の宮本橋へ出ますが、ここから五丁橋下流の水喰土公園までは
上水に沿っての道がないので、拝島段丘のハケを辿り、湧水を探ります。
田村酒造さんの庭から裏手に出て、細い道を進みます。
応永年間(1394-1428)創建の禅寺・清岩院さんの中へ
隣接した幼稚園など数ヶ所から湧水があり、せせらぎとなって境内を廻っています。
本堂前の庭園
池の水は透明度が高く、「東京の名湧水57」になっています。
清岩院さん近くの中福生公園で昼食・休憩・記念撮影
熊野橋を過ぎて、
下の川(したのかわ)緑地せせらぎ遊歩道を歩きます。
ハケの上側です。少し先の階段を下ります。
ハケの下では幕末から水田耕作が行われ田園風景が広がっていました。
現在は都市化で『田園』は地名のみとなってしまいましたが、
金堀公園に『水田開発顕彰之碑』が建立され、先人たちの功績を称えています。
ハケからは今でも湧水が見られ、福生市内には8~9ヶ所の湧水があるそうです。
湧水・縞屋の滝
かつてハケ上には千人同心・清水才次郎宅があり、屋号が「縞屋」と言われていたことに由来しているそうです。
さらに進み、ほたる公園に出ました。
ホタルのえさとなるカワニナを育てています。
また、階段を上って、ハケの上・奥多摩街道に出ます。
結婚式場と食事処、幸楽園さんがあります。
ここにも分水が流れているようで・・・
通称ほたる通りを玉川上水に向かって歩くと青梅橋に出ます。
下見でフェンス越しに見た熊川分水口
今回は望遠で撮ってみました。
つづく~
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222例会の続き。
第三水門から堂橋へ歩き進みます。
堂橋の次は新堀橋。新堀橋手前はゆるい登り坂です。
歩道の左が玉川上水です。
高い木はかなり伐採されています。
この場所では野草がかなり見られたようですが・・・跡形もありません。
新堀橋の上から。
この場所は新緑に囲まれて、とても美しい風景になっています。
羽村市から福生市に入ります。
新堀橋から加美上水橋間には加美上水公園があり、崖を下りて谷のようになった場所へ行きました。
旧堀跡です。
開削当時の玉川上水は、取水口から福生村下までは多摩川に沿って段丘崖下に造られ、
洪水で堀の堤が崩壊することが度々あり復旧工事がとても大変でした。
開削から90年後の元文5年(1740)、新堀橋上流60m地点(羽村と福生の境)~宮本橋上流100m地点間613mまで、
堀替え工事が行われ、崖下から段丘側に付け替えられました。
当時の工事記録『川崎家文書』によると、613mを30区画に分割、請負制とし、工期は25日
予算は4000両、支払いは掘り出した土砂の量を日払いにしたそうです。
この下の方に細く堀らしき跡がありました。
平成2年、福生市史跡に指定されています。
これから先は玉川上水に沿っての道が無いので、崖下の道を歩きます。
宮本橋と宿橋の間に、田村分水口があります。
田村分水は慶応3年(1867)、田村家個人の飲用に4.9坪の分水を獲得。
8年後の明治8年(1875)に3倍の16坪(12cm×12cm)に増量許可。
田村家は代々名主で、文政5年(1822)、9代目勘次郎さんが酒造業を創業。
分水は水車を稼動させ米の精白に使われた。
という歴史のある田村酒造さん。案内役のSさんが予約してくださり見学する事が出来ました。
高い煙突は文化財になっています。
水車小屋。現在は使われていません。
石臼
中を通って、門を開けてくださり、外に出ると
玉川上水の堀に出ました。
田村分水口
下を覘いてみます。
取水口
現在は取り入れた玉川上水の水は、敷地の中を流れて多摩川に戻っていきます。
下流方向に宿橋が見えます。
下見では、この場所には立ち入ることが出来ず、宿橋から撮っていました。
(3月22日、下見の時に撮った宿橋からの写真)
歴史を感じます!!
(FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
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4月11日「玉川上水に親しむ会」第222回例会に参加してきました~
今回の行程は「玉川上水43kmを歩く1 上流部(水道原水)1」で羽村堰から平和橋(羽村駅~拝島駅)約6kmです。
小雨決行!
午前10時 JR青梅線・羽村駅集合
この日の為に、下見しておいたお陰で、大体の行程は理解出来ていました。
例会では、上水に沿って歩くだけでなく、ハケ・分水・湧き水などを見ながら散策しました。
駅から坂道を下って進みます。
途中、こんな場所があります。
馬の水飲み場跡です。
かつては水の不便な段丘上は畑で、段丘下の住まいから毎日行き来して肥料や収穫物を運んでいました。
運搬には馬が使われ、急坂の途中に湧水を利用した休所がつくられた。
明治27年(1894)に青梅鉄道が開通すると多摩川の砂利運搬にも馬が利用され
「馬の水飲み場」と呼ばれるようになったそうです。
わき道から坂を上ると「大菩薩峠」の中里介山のお墓があります。
お墓から108段の階段を下ると、禅林寺の裏手に出てきます。
さらに坂を下って
羽村堰入口交差点に出てきます。
ここから羽村堰へ進みます。
山は新緑と桜のピンクで華やかになっていました。
第二水門
ちょうどさくら祭りの日で、普段は通れない堰の上を歩けるはずでしたが、
天候が悪く足元が滑るので立ち入り禁止になっていました。
下見の時にも撮った取水口
小吐口と投渡堰
シラサギが一羽、水面を独り占めしていました~
羽村堰の第一水門で取り込まれる最大取水量は水門全開で22㎥/秒
砂や石、余分な水が小吐口から多摩川に戻され(1992年以降 2㎥/秒放流)
第二水門で水量を調節、第三水門へ
第三水門
下見では鉄柵で上手く撮れませんでしたが、今回は背伸びして手を上げて柵の上から撮りました。
(斜めになっていますが・・・)
ここで3つの流れに分けられます。
1、第三水門から羽村村山道水路で、8.6キロ離れた村山・山口貯水池へ
2、羽村導水ポンプ所から地下導水管で、3.1キロ上流にある小作浄水場へ
3、残りが水門を通り、玉川上水本流となる。12キロ下流の小平監視所から東村山浄水場へ
玉川上水は、ここからは水量がかなり減って、穏やかに流れていきます。
(FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
つづきます~
昨日(4月11日)のトータル歩数20318歩、脂肪燃焼量33.3g、総消費カロリー2013kcal マーク点灯
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6日はおっと早出の為、朝ウォーキングは無し。
7日は私が体調不良の為休み。
8日、まだ不調ながらウォーキング出発。5:40~6:15まで2734歩
堤防のいつも見ている樹木。芽吹いているのが分りますが・・・さ・む・い・・・・・
学校の桜、散った花びらが雪のよう~
35分で帰ってきました。寒かったし小雨だったのでコンデジ持参。
その後、みぞれが降ってきて、日中は雨でした~
(CANON PowerShot S120)
9日は5:35~6:35まで、一時間花を見ながら近所を歩いて3658歩。
八重桜には早いので、ハナモモの種類かと思います。赤い椿と一緒に。
花びらの道~きれいです。
5年ぶりという雪が降った8日。
桜もびっくりしたでしょうね~~寒い。 散りながらもまだ頑張って咲いてました。
陸橋からは遠くの山が霞んで見えましたが、雪化粧していました。
河川敷では最近毎日姿を見せているキジ。ケンケ~~ンと大きな鳴き声が辺りに響いています。
花曇りの空ですが、微かにピンク色に染まっていました。
(FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
昨日(4月9日)のトータル歩数9951歩、脂肪燃焼量31.4g、総消費カロリー2046kcal マーク点灯
書道教室の日は、カロリー消費が多いです。
子供相手に奮闘しているからでしょうね~
新学期が始まって、中学生になった生徒さんたちも頑張って来ています。
昇段をかなり意識して書いています。
今日はrioちゃんとrioパパの誕生日、私は10日後・・・
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