居眠りで失敗を繰り返す(その3終わり)
でも、実はクラスでは一番では無かった。
どう考えても私よりも寝ていると思うのだが、一度も注意は受けない。授業中に彼を観察するとその原因が分かった。
彼は実に行儀よく、端然とさながら座禅のごとく眠っていたのである。
結局私は成績はもちろんの事、居眠りでも一番は取れなかったと言うこと。
その居眠り名人は、その後驚きの人生を歩むことになる。
鉄道学園を卒業し何年か経った頃、その居眠り名人から葉書きが届いた。
内容はなんと退職のあいさつ。「一身上の都合により退職いたします」との内容だった。
驚いて、仲間に聞くと「あー、栗はそのうちに佐川の社長になるんだって」なんて言う。
あの時代は、ようやくヤマト急便の名前がちらほらと聞かれるようになって来たという時代で、
まだこの辺りでは「佐川急便」の名前は知られていなかったのだ。
彼は後年、仲間たちが話した通りに、佐川急便の社長となって週刊誌が取り上げたりした。
彼の名前は「栗和田栄一」で、姓が佐川で無いのは「佐川清会長の前妻の子供」とだけ紹介されていた。
そして経歴はと言うと「元国鉄新潟支社勤務」とだけあった。
(終わり)
居眠りの思い出と言えば、自分が眠くなった時はどこかに居眠り中の仲間がいないかを探して観察することです。船を漕いだりゆらゆら揺れたりしているのを見ると可笑しくて眠気が飛んだものです。先生も大あくびをしている子の前の席の子に「おい、○○吸い込まれるなよ。」とか「噛まれるなよ。」とか、笑わせてくれました。船を漕ぐのも前にコックリコックリはいいのですが後ろにガクっとなると自分でもびっくりします。それに後ろにガクっはむち打ちにもなりかねないので要注意ですね。お行儀よく居眠りしていた彼はすごいですね。
そのために眠気をもようしたら、発見に努めるのですが、何せスベルべは寝つきが良いですから(笑)。
運動量が多いとか、緊張感が強すぎるとかで気持ちも撞かれているのかも知れません。
今は、晩酌後にテーブルで大きな船を漕ぐことも。
でもね、ハッとして目覚めると、それから食事の後片付けをします。
全部洗って拭き上げ収納。そして、米を研ぎ朝の味噌汁用に小鍋に水を張り、
煮干しを入れて終了の良い主夫なのです(大笑)。