徳川家康の懐刀・金地院崇伝ーとある
一体 何者か?
豊臣秀吉の死後 淀君と秀頼を死に導くいちゃもんづけをした坊主 僧侶と書けばいいだろうか
あの鐘に刻まれた碑文「国家安康」の言葉が 家康の名を切り離して呪いをかけている・・・などと
これはその崇伝が没するまでを まるでそこにその人が生きているように書き上げられた物語
戦いの中で家を身分をうしない 幼児の頃に禅寺で育った青年には野望があった
己の学識で世に出るのだと
世界を知ろうと海を渡ろうとして果たせず
やがては己が敢えて憎まれ役 悪役を引き受け
戦いのない世の中をこそ目指した
数奇な人生と言えるだろう
ひとりの人間として息づかせた作者の力量 すごしーと思う
数々の資料も読み解いて
作者のあとがき
文芸評論家にして国文学者の島内景二氏と文芸評論家・末国善巳氏の解説があります
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ごめんなさい