旧東海道の湘南高校入口交差点の近くにある車田白旗稲荷です。明治時代に車田町に住んだ飯尾常吉さんが町内のために尽力し、土地を寄付して稲荷神社を祀ったようです。残念ながら手入れが十分でなく、社殿も少し傾いていました。
小田急藤沢本町駅近くの丘の上の伊勢山公園です。丘の頂上には4基の忠魂碑が祀られています。いづれも明治・大正期の忠魂碑ですが、昭和2年にこの公園を作った時まとめられたようです。桜の名所として有名ですが、秋の日の午後は閑散としていました。

忠魂碑の片隅にあった庚申供養塔です。青面金剛像とその足元に三猿が刻んであります。

少し離れた北側に、市文化財に指定された、承応2年(1653)奉納の庚申供養塔もありました。こちらは、三猿が主役のようです。
注)ウイキペディアで庚申塔を検索したら、この庚申塔の写真があったので驚きました。

庚申供養塔の由来の説明板です。藤沢市では教育委員会が史跡の解説を担当しているようです。

忠魂碑の片隅にあった庚申供養塔です。青面金剛像とその足元に三猿が刻んであります。

少し離れた北側に、市文化財に指定された、承応2年(1653)奉納の庚申供養塔もありました。こちらは、三猿が主役のようです。
注)ウイキペディアで庚申塔を検索したら、この庚申塔の写真があったので驚きました。

庚申供養塔の由来の説明板です。藤沢市では教育委員会が史跡の解説を担当しているようです。
江ノ電鵠沼駅西口前にある小さな氏神さま、賀来神社が、この2年ほどの間に、熱心な氏子たちのお陰で、すっかり綺麗になりました。雨上がりの日差しに輝く、秋の賀来神社の様子を報告します。

入り口の階段を上ると、まだ新しい石造りの鳥居があります。

ゆるやかな階段を上って右に少し進むと、社殿のある広場です。以前は中央に古い社殿があるだけでした。

改装された社殿です。参拝する場所の上に屋根がなく、雨の日は傘が必要でしたが、屋根を前まで延ばし、社殿の正面も修理されました。

社殿の左手に、古い鳥居を移設し、賀来神社の起源である、大分の善神王宮を祀った場所が整備されました。

参拝前に、口をすすぎ、手を清める手洗い場も新築されました。
神主さんも居ない、小さな神社ですが、人々に大切にされている神社です。

入り口の階段を上ると、まだ新しい石造りの鳥居があります。

ゆるやかな階段を上って右に少し進むと、社殿のある広場です。以前は中央に古い社殿があるだけでした。

改装された社殿です。参拝する場所の上に屋根がなく、雨の日は傘が必要でしたが、屋根を前まで延ばし、社殿の正面も修理されました。

社殿の左手に、古い鳥居を移設し、賀来神社の起源である、大分の善神王宮を祀った場所が整備されました。

参拝前に、口をすすぎ、手を清める手洗い場も新築されました。
神主さんも居ない、小さな神社ですが、人々に大切にされている神社です。
藤沢遊行通りのお店の壁です。ちょっと見では落書きのようですが、これは立派な看板のようです。良く見ると、煙突から出た煙で、店の名前が描かれています。どうやら、本場仕込みのケーキ屋さんのようです。
注)他のブログ情報によると、残念なことに、このお店は9月で閉店したようです。
注)他のブログ情報によると、残念なことに、このお店は9月で閉店したようです。
携帯電話の普及が進んだ結果、街中の公衆電話がほとんど姿を消しました。これは藤沢遊行通りの公衆電話ボックスです。遊行寺のイメージを伝えていますが、公衆電話としての役割はどうでしょう。景色としては、もうしばらく頑張って欲しいものです。
朝から雨なので、記憶の整理です。へぼゴルファーにも天使が微笑むことがあります。31年前、ホールインワンが出ました。使用ボールがダンロップだったので、後日、写真の記念品が送られて来ました。書棚に飾っていましたが、いつの間にか姿が消えました。なんとか見つけ出したので、写真に撮りました。今でも時々ゴルフをやりますが、ホールインワン保険には入っていません。
境川を横切るのは、新川名橋です。その向こうで、左から境川、右から柏尾川が合流します。境川の全長は52km、柏尾川の全長は11kmです。合流点で見ると、柏尾川の方が川幅が広く、流量も多そうな気がするのですが、全長で勝る境川が本流になっています。
境川左岸の散歩の途中で、民家の垣根のトケイソウを見つけました。トケイソウの花期は7月から9月ですから、盛りは過ぎています。花弁がまるくぴんとしている時、真上から見ると時計のように見えるので名前がつけられたようです。