ダイエー藤沢店開店 2011-10-16 | 藤沢 昨年7月建替えのため閉店したダイエー藤沢店が開店しました。 まだ開店前だと思って様子を見に行ったら、すでに10月8日開店済でした。 今回開店した店舗は2階建で地下はありません。以前の建物は地上5階建地下1階 でしたから、スーパーの原点に戻り、機能を絞り込んだ店舗で再出発のようです。
これは両部鳥居だ 2011-10-15 | 藤沢 先日、茅ケ崎の芹沢腰掛神社を訪ねた時、入口の石の鳥居のすぐ後ろに「気になる」木の鳥居がありました。 形式が珍しいので、構造が分かるように斜め前から写真を撮りました。 神仏習合に対応した「両部鳥居」と言われる形式で、あまり例は多くないようです。 厳島神社の海中に立つ朱塗りの両部鳥居が有名なようです。 これは昨年2月に訪れた高倉の七ッ木神社(元鯖明神社)の両部鳥居です。 この時も珍しいと思ったのですが、腰掛神社で2つ目に出会ったことになります。
茅ケ崎里山公園⑥「湘南の丘」に戻る 2011-10-14 | あちらこちら 「柳谷の池」を左に見ながら、落葉樹中心の「平成の森」を上りました。 振り返ると、柳谷が秋の日に輝いていました。 遠くに見える集落は藤沢市の打戻地区のようです。 出発点の「湘南の丘」に戻りました。 「谷のすべり台」の様子が気になったのでのぞきに行きました。。 「谷のすべり台」ほ子どもに大人気ですが、小さな子供はほとんどが保護者といっよに滑っていました。 「雲のトランポリン」は子供たちの数が増え、増々賑わっていました。 帰り際、入口の案内板を撮りました。 茅ケ崎里山公園の平成23年の敷地は27.9haですが、平成26年に完成すると36.8haになるようです。
茅ケ崎里山公園⑤「谷の家」の周辺 2011-10-13 | あちらこちら 柳谷の道を「芹沢の池」に向かって歩きながら、形の良いススキの穂を探していると、運よくススキの花に出会いました。 「花の咲かない枯れススキ」と言う歌がありますが、これが「ススキの花」です。 「芹沢の池」に着きました。 「谷の村」のほぼ中央にある池ですが、水量調整と水質も管理しているようです。 まだ新しい感じの無料休憩所「谷の家」です。 午前中だったので、利用者も少なく、イベントに合わせた食事の準備も始まったばかりでした。 これから忙しくなりそうでした。 「谷の家」の前に稲が干されていました。公園内で育てて、多分イベントで刈り取られた稲でしょう。 柳谷の道をさらに南に進むと、右手に畑があり、大勢の人が畑に入っていました。 どうやらこれもイベント行事のようでした。 お母さんと子供はベンチ座って応援していました。
茅ケ崎里山公園④公園北側から 2011-10-12 | あちらこちら 「腰掛神社」の前は里山公園北側の畑地です。 道を辿ると、突然「マムシ発生注意!」の標識がありました。 北の方の広がりを眺めたところです。 気持ちの良い「秋」が広がっていました。 里山公園に続く道を南に進むと、自動車進入禁止の標識が出ていました。 ここからが公園の「谷の村」でした、 少し進むと、右手に小さな広場があったので入って見ました。 利用できない古井戸と掲示があるだけで、その先は崖になっていました。 ここは「柳谷の地層」観察スポットでした。 崖に見られる地層の重なりを見ながら、「箱根火山と富士火山の噴火の歴史」を知ることが出来る場所でした。
茅ケ崎里山公園③「腰掛神社」参詣 2011-10-11 | あちらこちら 「腰掛神社」の鳥居前に到着しました。 伝説によれば、日本武尊が東征の時、この地で路傍の石に腰を掛けて休み、 西方の大山を見て喜んだそうです。 この縁起により、寛永12年(1635)8月19日に勧進されたのが、「腰掛神社」です。 現在の社殿は関東大震災の後、大正14年に再建されたものです。 社殿の掲額です。額も大正14年に奉納されたものです。 神楽殿の左側に、御神木の大イチョウが枝を伸ばしていました。 御神木の根本近くに「御神木に上るな!」という注意書きがありました。 ちょっと見ても、簡単に上れそうもありませんが、誰が上るのでしょうか?
茅ケ崎里山公園②「腰掛神社」への道 2011-10-10 | あちらこちら 「栗の木広場」の右手の道を上り、「一寸峠」(ひとあしとうげ)に着きました。 道標に従って、「腰掛神社」の道を進みました。 公園と民有地の境の森の中の道をしばらく歩きました。 右手から合流する道がある場所にあった標識です。 手作りの「注意書き」から暖かい気持ちが感じられました。 収穫が終わって、次の耕作待ちの畑の脇で見かけた百日草です。 のんびり、きょろきょろと森に沿って歩きました。
茅ケ崎里山公園①「子供の村」を抜けて 2011-10-09 | あちらこちら 秋の茅ケ崎里山公園を訪ねました。 今回は公園北側に隣接する腰掛神社を参詣するのも目的でした。 湘南台駅から文教大学行のバスに乗り、バス停「芹沢入口」で降りました。 入口で、公園の正式名称を見て、「県立」の公園であることに気がつきました。 入口の「湘南の丘」から、先ず「子供の村」へ行きました。 晴天の土曜日なので、まだ10時過ぎでしたが、小さな子供たちで賑わっていました。 「雲のトランポリン」の側を抜けて、「中ノ谷の水の階段」に沿って進みました。 「中ノ谷の池」を振り返ったところです。 この季節、さすがに子供たちは水辺には近づきません。 静かなものでした。
新田宮の改修工事 2011-10-08 | 藤沢 早朝自転車で新田宮の前を通りかかり、改修工事に気がつきました。 最初は塀の修理かと思ったのですが、入口に新しい構造物を設置するようです。 折角の機会なので境内に入り参詣しました。 社殿の手前に狛犬がありました。 2006年の新田宮には、まだ狛犬はありませんでした。 境内の手前左にある水神様の石碑も、植栽などがしっかりして風格が出ていました。 氏子たちが少しずつ手を入れ、新田宮を守っている成果でしょう。
信号確認の仕組み 2011-10-07 | 藤沢 江ノ電鵠沼駅で藤沢行きの電車を待っている時、ホームの柱の押しボタンに気がつきました。 これは電車が発車する直前に車掌が押すボタンで、押すと発車予告のベルが鳴ります。 ボタンの左横に、「信号確認」の掲示があります。 進行方向を見ると、確かに信号があります。 車掌は乗客の乗り降りだけでなく、この信号を確認してからボタンを押す手順のようです。 中国では信号システムの不備で大事故が続いていますが、江ノ電のシステムは簡明に出来ています。
講座「関東大震災と藤沢」を受ける 2011-10-06 | 藤沢 藤沢市の文書館の主催で、「関東大震災と藤沢」という藤沢市史講座が開かれたので参加しました。 場所は労働会館のホールでした。 200名の予定で入場無料でしたが、参加者は100名に満たず、内容から考え「もったいない」講座でした。 2時間の講座の休憩の時に撮った会場の様子です。 東日本大震災を契機に、関東大震災の時藤沢はどうだったか、住人の関心は深くなっている筈ですが、 意外と資料が見当たりません。 「地震のメカニズムと被害の実態」を知り、改めて災害発生時の自分の行動を考えました。 それにしても「もったいない」講座でした。
小出川散歩⑤追出(おんだし)橋に到着 2011-10-05 | 藤沢 彼岸花は少なくなりましたが、のどかな秋を満喫しながら歩きました。 何処かで藤沢市を抜けて、寒川町と茅ケ崎市の境界になったようです。前方に追出橋が見えて来ました。 橋の標識を見て、この橋は「おんだしばし」と呼ぶことを知りました。 橋の先の右岸に広場があり、ここも寒川町の彼岸花まつりの会場だったようです。 この日は誰も見えず、静かでした。 追出橋に戻って、歩いてきた道を振り返りました。 この後、寒川町からバスで茅ヶ崎駅に出て家に戻りました。
小出川散歩④新道橋の周辺 2011-10-04 | 藤沢 秋の涼しさが感じられる日和ですが、真昼の日差しには女性は大警戒です。 木陰に入って一休みの女性グループとすれ違いました。 この辺りまで来ると、左岸の茅ケ崎側も水田の広がりが見えます。 新道橋に着きました。橋から北の方に進むと打戻根下の交差点に出られます。 新道橋からは小出川の左岸を進みました。左手の田圃はすでに刈取りが終わっていました。 左岸の土手が広くなっていて、左傾斜の部分に彼岸花が沢山咲いていました。 この辺りは人影はまばらでした。
小出川散歩③打戻の田圃に沿って 2011-10-03 | 藤沢 小出橋らしい小さな石橋で右岸に移り、のんびりと歩きました。 川の両側に実った稲田が広がるようになりました。 遠くに丹沢の大山が霞んで見えました。 小出川の水量も増えて、流れも豊かになって来ました。 台風15号の影響で、多くの田圃で稲が倒れていました。 「野分」の跡を眺めながら歩きました。 川幅も多少広がり、川らしい雰囲気になりました。 川の中には、大きな鯉が泳いでいました。
小出川散歩②遠藤・芹沢地区 2011-10-02 | 藤沢 小出川の右岸の道を進むと、間もなく大黒橋に着きました。 9月24日に開催された「小出川彼岸花まつり」の飾り付けがまだ残っていました。 右岸には簡易舗装の道があるのですが、ここからは左岸の土手道を歩くことにしました。 木陰の前の彼岸花がより赤く見えました。 今回は小出川が主役なので、広角レンズで気楽なスナップにしましたが、望遠でじっくり狙っている人もいました。 彼岸花とパートナーを画面に収めようと頑張っている人もいました。 肝心の彼岸花を上手く撮るのはなかなか難しいのですが、とりあえず水面を利用して花の形が見えるようにしました。