Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

「エロ事師たち」より 人類学入門

2008-10-07 | 日本映画(あ行)
★★★★★ 1966年/日本 監督/今村昌平
「エロと美しさと品格と」



これまた大傑作。原作は、野坂昭如。エロ事師というのは、文字通りエロに関することなら、何でも商売にしている男。素人を連れてきてポルノを撮ったり、いやらしい写真をお堅いサラリーマンに売りつけたり、それはもうエロを尽くして生きぬいている、それが主人公スブやん(小沢昭一)。

人類学入門というタイトルからも窺えるように、スブやんを取り巻く人間どもを、まるで生態観察しているようにカメラは捉え続ける。これは、前作の「にっぽん昆虫記」と同じ。馬鹿で情けなくて非道の限りを尽くしている人間どもを遠くから客観的に眺めているようなロングショットが多数見られる。例えば、スブやんが会社の会議室でエロ写真をサラリーマンに売りつけているシーンは明らかに隣のビルからのショット。こうして、彼らと一定の距離を保ちながら、冷徹に見つめる手法で、人間の愚かさを際だたせている。しかし、目の前で繰り返されるのはあまりにも情けない人間模様でありながら、作品自体には品格のようなものすら漂う。それは、ロングショットを含め、そこかしこで見られるモノクロームの美しいカットが作品を彩っていること、前夫の形見として飼われているフナ(後の「うなぎ」に繋がっていると思われる)など様々なメタファーが作中で導入されていることなど、今村昌平のセンスと知性が全編にあふれているからだろうと思う。

こういっては失礼だが、坂本スミ子が布団の上に倒され悶えるシーンのアップなんて体して美人でもないのに、何と妖艶に見えることか。今村監督は、紅潮した頬というのがどうもお気に入りのようで、「赤い殺意」でも春川ますみのぷっくりした頬を非常に美しく撮っている。男に迫られる女の「ほてり」をこれだけ見事に表現できる監督は、他にいないと思う。

スブやんは内縁の妻の娘(中学生!)と寝てしまうし、その妻にしたって結局娘のレイプを容認してしまうし、ポルノの現場に自分の娘を差し出す男優だっているし、どいつもこいつもあきれてモノが言えないような奴ばっかり。ただ、そこに渦めくエネルギーたるや圧倒的で、「生」と「性」が渾然一体となって人間がそもそも持っている原始的な情熱とか、生きていくための狡猾さなんかが、まざまざと迫ってきて、本当にパワフル。ディスコミュニケーションだの、引きこもりだの、他人との距離をどう取ればいいのか悩んでいる現代にこういう作品を見ると、さらに感慨深いものがある。

スブやんのラストは、原作と違うらしいが、これまた今村監督らしい粋なエンディングだと思う。インポになって、娘や息子からも疎まれ川べりのぼろ船で生活するスブやんが最後に選んだ仕事は世界一のダッチワイフ作り。「陰毛を1本1本埋め込むんや」と言い、人形に向かうスブやんは狂っているようにも見えるし、崇高な仕事に携わる職人にも見える。そんな彼を乗せたぼろ船は、停泊中の川岸からいつのまにか縄がちぎれ、大海原へ。海上でぷかぷかと儚く浮かぶ船の中で陰毛と格闘するスブやん。嗚呼、人間とはなんと滑稽な生き物か。そして、船を捉えた映像が、冒頭の8mmフィルムへとつながり、それを馬鹿話しながら眺めるスブやんを映す。今村監督、巧すぎます。