Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

フランドル

2008-10-22 | 外国映画(は行)
★★★ 2005年/フランス 監督/サミュエル・ボワダン ブリュノ・デュモン
<2006年カンヌ映画祭グランプリ受賞作>
「もう少しの我慢、もう少しの我慢で終了」


フランス最北部、フランドル地方の小さな村。少女バルブは、村の男たちとセックスを重ねている。やがて男たちは次々と戦争に召集され、どことも知れない戦場へと送られた。男たちが戦場で残忍行為を繰り返すにつれ、故郷に残るバルブの精神は日に日にバランスを失っていく…。

前半部が苦痛を伴うほど退屈。寒々しいフランドルの自然を捉えたショットは、この地方に住む人々の寂寥感を見事に表現している。これらのショットには、絵画を鑑賞するような味わい深さが確かにある。屹立する木々を捉えたショットは、ゴッホの「糸杉のある道」を思い出させる。しかし、見事ではあっても、そして美しくはあっても、スクリーンに引きつけられるような感覚には、残念ながら陥らなかった。というのも、彼女をまるで欲望処理機のごとく扱う男どもが見るに堪えない。そして、誰と寝ようが空虚な眼差しのバルブ。このあまりにも乾いた男女関係に、一体何を見いだせばいいというのか。

後半部、戦場で残忍な行為を繰り返す男たちの心がすさんでいくのに呼応するかのように、バルブは精神を病んでいく。たまったもんじゃない。バルブは、肉体的にも、精神的にも男たちのはけ口。戦場で多数の男に強姦された女性も、たとえその男たちが仲間から処刑されたって救われない。ああ、神様。平穏の時も、極限の時も、剥き出しにされる男たちの獣性に鉄槌をくだしてください。これは、そうやって、神に祈らせるための映画なんだろうか。確かに戦争の痛みを描いた作品。しかし、あまりに静かすぎるその筆致に、一握りの怒りも憐憫も感じることができなかった。何度も停止ボタンを押しかけた91分。