Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ブレス

2009-02-10 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2007年/韓国 監督/キム・ギドク
「自己再生プログラム」


85分。むちゃくちゃ無駄がないですね。本当にシンプル、かつ心に刻み込まれる作品。死刑囚を愛してしまう女の話、ということで「接吻」と非常に設定が似ているので見るのをややためらっておりましたが、違う部分もあり、共通する部分もあり、大変面白かったです。

共通するのは、追い詰められた女は死の匂いのする男に惹かれてしまう、ということでしょう。およそ、人間という生き物は「一体感」を追い求めるのだと痛感します。この一体感は、当事者にしか理解し得ない感覚を共有したいということだろうと思いますが、その媒介物として「死」ほど甘美なものはないのだろうということです。それはまた、裏を返せば大変イージーでずるい選択でもあります。死刑囚の男の前では、行動こそ違え、本作のヨンも「接吻」の京子も、あまりにも自己中心的です。しかし、自ら大きな犠牲を払った「接吻」の京子に比べると、本作のヨンの方が何倍も残酷でずるい女だと言えるでしょう。見ようによっては、ヨンにとって死刑囚チャンは、「自己再生の道具」とも捉えられます。明日死ぬとわかっている男と交わることで、彼女は息を吹き返すのですから。

さて、死刑が秒読みの男の前で、なにゆえ四季劇場?という突拍子のなさが大変ギドクらしい。もちろん、追体験というのはわかっていますけれども、唐突ですよね。こういうシーンはいっそのこと笑っちゃっていいんじゃないでしょうか。もはや今度のギドク作品のヘンテコシーンは何だ!?というのが、私の楽しみでもあります。「非夢」で「ええっ、あのオダジョーがこんなことを!?」なんてシーンがあったらいいのになあ。

本作で少々引っかかるのは、監視モニターの男の存在(しかも、これは監督自身らしい)ですね。自分たちだけの世界と思っている出来事も実は誰かの手に委ねられている、という解釈ならばなるほど「神の視点」のように見えなくもありません。しかし、これまでのギドク作品を見て、私は彼自身が自分を高みに置いてしまうような人ではないような気がします。いいところに来るとブザーを押したり、夫にわざと激しいキスシーンを覗かせたり、ただのスケベ爺に見えなくもない。「死」を媒介に触れ合う魂がテーマでありながら、それを覗き見して楽しむ、悪趣味極まりない通俗的なものを裏表の関係として置きたかったんではないか、と思えるのですがどうでしょう。または、北野武的視点に立って、すっかり巨匠扱いですけど、私自身はこういう男なんです、という監督自身のアピールなのかも。この男は何者かを語ることの方が、案外本筋よりも面白いのかも知れないですね。