Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

4ヶ月、3週と2日

2009-02-12 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2007年/ルーマニア 監督/クリスティアン・ムンジウ
<2007年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞>

「果たしてオティリアは嵌められたのか」


1987年、チャウシェスク独裁政権末期のルーマニア。妊娠したルームメイト、ガビツァのために、当時は違法行為である中絶手術のために奮闘するオティリアの一日を描く。

予定のホテルは予約できていない。医師との対面では本人に会う約束だったと不信に思われる。中盤までは、手際の悪い友人のために奔走するオティリアが気の毒でたまらなく、なぜそこまでするの?という思いに胸を締め付けられます。ところが、エンディング近く、うるさいから電話はバスルームに置いておいた、などと言うあたりから、オティリアはガビツァに嵌められたんじゃないか、という不安がずんずんと大きくなる。そして、ラストシーン、ガビツァが注文した料理が明らかになり、愕然としました。あのオティリアの表情は一体何を物語っているのか。

大変重い題材ですが、まるでサスペンスのような一遍でもあります。それが、作品の力強さでもあるのでしょう。ガビツァは悪気はなくふてぶてしい性格なのか、はたまたオティリアなら何としかしてくれるはずという打算の元の計画なのか。もし、後者であるならば、資金不足の末に医師が要求することも予測していたとなり、何としたたかな女性だろうと思わずにはいられません。しかし、それも時代を生き抜くために必要な力ということでしょう。いずれにしろ、ガビツァという女性の人間性は本編では明らかにされません。

そして、それはオティリアについても同様です。洗面室で嘔吐しているシーンを見れば、彼女も妊娠していると考えられるのですが、2度ほど鼻血を出すシーンも出てきます。もしかして、何か病気を患っているのかも知れません。孤独な女性同士、連帯感や正義感で行動しているようにも見えますし、何かにせき立てられるように任務を遂行しているようにも見えます。

いずれにしろ、「なぜそこまでするの」「なぜそんな態度でいられるの」。それらの答は全て観賞者の想像に委ねようとしている。そのため1日の出来事としか描いていないのだと思います。この監督の狙いは見事だと思います。準備は整ったというプロローグから二転三転する展開、そしてあせり、落胆へと実にハラハラさせられる展開。そして、ドキュメントタッチの映像、BFでのパーティでの固定カメラなど、オティリアの焦燥感を見事に描き出しています。

とはいえ、諸手をあげてすばらしい、とは言いづらい。やはり、女性として中絶にまつわる描写が痛々しいのです。「フランドル」といい、昨今のカンヌ受賞作品は女性にとって見ていてつらくなるような作品ばかりです。