Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

軽蔑

2011-06-13 | 日本映画(か行)
★★★★ 2011年/日本 監督/廣木隆一
<Tジョイ京都にて鑑賞>

「大森南朋と緑魔子が光るからこそ」

<新宿のチンピラ、カズ(高良健吾)は、歌舞伎町で働くポールダンサーの真知子(鈴木杏)と激しく惹(ひ)かれ合う。新宿で事件を起こしたカズは、彼女と一緒に故郷に戻って暮らし始めるが、彼らを歓迎する者はなく、真知子は東京へと去るのだが…>

新宿のチンピラ、カズは実は田舎の金持ちのぼんぼん。故郷でどんな悪さをしても親に尻ぬぐいしてもらい、やばいことに足を突っ込んでも親の立場があるから何とかなる。でも、そんな人生に見切りを付けたくなった。ひとりの女にとことん惚れたからだ。

どうしようもなく甘ちゃんなオトコ、カズに共感できないという観客は多いだろうなあと思う。でも、彼が愛されるに値する人間かどうかということよりも、そういう男を愛してしまった女がいる、ということなんだと思う。強く手を握りしめ、おまえしかいないという男はそうそういなからさ。ほんとに好きな女なら、住む場所は別に故郷でなくてもいいはず。祖父の愛人だったマダムもそう言う。でも、カズは自分の故郷にこだわった。そこに共振しないと、ふたりの破滅にもなかなか心は揺さぶられないだろう。それは、故郷の親やワル仲間に自分は変わったということを認めて欲しかったのか、自分にもできるということを見せてやりたいという思いだったのか。それはいろいろ想像できるわけだが、いずれにしろ「どこに行けばいいかわからない」とマダムに吐露するカズの内面を観客に想像させるだけの演技までは、悲しいかな高良健吾は今一歩だったと思う。

ベッドシーンのことでは、鈴木杏が脱いだ脱いだって騒がれているけど、チンピラとポールダンサーの愛を描くわけだから、そりゃベッドシーンあるでしょうよ。ないとなんも始まらないじゃん。むしろ、ダンサーという設定なので、もう少しくびれが欲しかったなあ。そこの説得力のなさがねえ、作品全体にも影響を及ぼしているように感じた。

カズの祖父の愛人を演じる緑魔子とカジノの元締めを演じる大森南朋がとてもいい。この2人が光るからこそ、作品も奥深いものになっていると思う。緑魔子演じるマダムはふたりの唯一の理解者。カズにかつて自分が愛した男を重ね、全てを投げ打とうとする憐れな姿が惹きつける。一方、大森南朋演じる山畑は、カズを軽蔑し、ふたりを引き裂こうとする。「俺とお前はそんなに変わらない人間なのに、なぜお前だけが愛されるんだ?」このセリフに本作の全てが集約されているように思った。