うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

やり過ごすことの難しさ

2008年10月14日 07時16分08秒 | わたしの日常です。
連休も終わり、やっとわびしく涼しい日々が戻ってきた。写真は、そばの藤袴、紫苑にたかるあしながばちの乱舞、田舎育ちのわたしには刺される恐さはない。
 この間からの同窓会もなんとか終わったようだ。ここ数日前から福島県会津若松市、東山温泉での高校同窓会を頼まれて予約し企画したもの。過去に、わたしは日本全国にあっちこっちに行ったもので旅行企画はお手の物。行ったことのない観光地でも平気の平左、多分、自らツアーコンダクターさえもやるだろう。事前の準備であるレクチュアは当然のことであるが、実はそのことだけで行ったつもりになりきり実際の旅行意欲が失せるほどだ(おかしな話だが、以前に施主接待を兼ねオリーブの材料検査目的に香川の高松から徳島県の鳴門へ行った実例もある)。
 今回は、たまたま東山温泉に関して知己がいて、とんとん拍子で一番の紅葉シーズンである繁忙期に宿泊宴会をまとめた。
 予約内容、恩師の送迎の依頼、宴会料理の約束、とメールと電話で確認をする。そろそろ、くに(故郷)に帰りつくころの夕方に電話する。その宴会の結果は、実はそれほどでもなくわが田舎と似たり寄ったりであったらしい。内容にくい違いがあってもそのままにしたらしく会計も紳士的に応じたらしい。おとなしく、交渉下手な連中である。旅館側にしてみれば営業経費も少なくて済んだ上等のお客だったろうに。わたしがついていればそんなことにならなかったのに。しかし、恩師も矍鑠とした八十八歳の米寿だそうで、温泉とか飲み食いよりも修学旅行の気分か思い出話でかなり盛り上がったものらしい。
 実はわたしは、よんどころない理由により不参加。
 こんどまた、などと、RVワンボックス車中のにぎわいをバックにSさんと携帯電話で話すにしても、本当のところいつ会えるか分からない。来年か再来年の歳祝いか。だが、多分、もう14人もの顔ぶれと一同に会することはないであろう。

 同窓会の設定の過程で田舎とやりとりしていて聞いたのだが、この9月に、立て続けに同じクラスの男性ふたりが病気かなにかで急死した、そうだ。
 むかしの若い頃には、そういう身近な死に大変なショックを受けたものだが、今はどうか、無常感と喪失感とやるせなさとを思うのだが、青年の頃は幸せにも自分ではなく他人ということでその動揺が大きかったものと見える。
 年齢に関係なく、人間だって他の動物のように死は物理的にいつでも日常的におとづれる。
 学ぶべきものは、その時々のやり過ごすことの重要性だな、自他共に後顧の憂いなく全うすることだな。
 とても、とても晩節を汚さないで、とは言えない。
    
 
コメント (2)
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