うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

東金御成街道を教育委員会の主催で見て回る。

2011年12月08日 06時05分39秒 | ボランティア活動など・・・
昼間の日照時間も短くなり、年末に向かい世情につれてなんだか気もそぞろになっていく、今日この頃だ。二十四節気では12月7日は大雪だ。そろそろ初雪があってもおかしくない。

 ちょっと前のことをここでまとめておきたい。
 この間は、御成街道を教育委員会の主催で見て回る。御成街道は江戸時代に徳川家三代が造り鷹狩に使われた。当日は雨交じりの悪天候をおして参加する。
 東金辺の鷹狩り、見学ルートは次の通り。

 千葉市内は宝泉寺山門→一里塚‘提灯塚’→愛染山延命寺金光院→千葉御茶屋御殿跡→一里塚‘椎の古木’。
 八街市内は御成街道跡→一里塚。
 東金市内は御成街道分岐点跡(おあし坂)→一里塚‘一本松’→東金御殿跡→(八鶴湖・鳳凰山本漸寺・安国山最福寺・妙高山正法寺)。

 写真は以前紹介した最福寺のみしか撮っていないのでここで掲げる。
               
               
 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。
  ≪撮影:平成11年11月19日正午頃≫

 本当は最後に回った正法寺がわたしにとって、一番、心ひかれたもの。よくもこんな田舎の中でしっかりした寺社があるものだ。周囲は後ろに山林を背負い、里山の農村のはずれ、ここは無住のようで森閑とした雰囲気で伽藍、建造物群がただただ残されている。
 秋冷、孤絶、寂寥。降りしきる秋霖の中で上と下の句のみが浮かんだが、とうとう俳句にならずじまい。いずれ、わたしひとりで、再訪したい。

 正法寺: 千葉県山武郡大網白里町小西755。七世日悟の代の天正十年(1582年)、日祐を招いて寺内に小西檀林を開き、学僧を育成し、明治の初めまで学問寺として栄えた。近世の朱印は二十石。境内地は約3万2500㎡、堂宇は本堂・庫裏・総門・中門・鐘楼・妙見堂・七面堂などを備え、あたりをおおう老樹や古びた石碑など、檀林時代の面影をよく残している。又大玄関や屋根の破風に、徳川将軍の葵の紋所が残っている。(※環境省・千葉県による現地表示板を転記する。)

        
    
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