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うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

「表裏井上ひさし協奏曲」と編集者の犯罪

2012年01月17日 05時42分23秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
今は寒い時期、21日の「大寒」に向けてますます寒くなる。それから以後は、徐々に徐々に春の暖かさがきざしてくる。
 正月休みは北杜夫の「楡家の人びと」を読み続けていた。その途中、わたしは以前から西舘好子さんの「表裏井上ひさし協奏曲」を何軒かの書店で探していて、その本を最近やっと入手し、ついつい一気に読んでしまった。初めは東北の田舎者と江戸っ子気質の二人の知り合ったいきさつ、そして夫婦生活、後半部分は売れっ子作家になった私生活のおどろおどろしい暴露内容であり、読了まで二日間かな。(この入手難について、わたしはひょっとして、版元や書籍流通の問屋レベルで自己規制していたのかなあ、と思ったほど。)
 文章は西舘さんの手なれた叙述で進んで行くのだが、その内容には家庭や家族のことで身につまされる部分が出てくる。人のなせる所業。小説家稼業は一般的に人格破綻者がなるもの、というのは本当だ。表向きは対外的に戦後の世界平和運動への啓蒙や参加を呼びかけながらも、その実態は残酷な夫婦間のDV、人権無視のオンパレード。わたしに言わせれば、なにが遅筆堂だ、井上ひさし自身の品性の下劣さにはあきれる。どうやら大作家にはこういう裏面が古来からありそうだが、小説や戯曲をつくることが仕事である場合おうおうにしてあることである。どんな職業であれ男が女に、このような非力な者に物理的な力を振るってはならないのだ。
 しかし、ここでは出版社に勤める担当編集者の犯罪を取り上げる。どんどん執筆させて本をいっぱい売らんかなという販売ポリシーで、新潮社、文藝春秋、講談社は夫婦間のDVをそそのかしその事実を陰湿に隠ぺいするのだ。わたしはなにも知的職業に従事するものが正しいことを標榜することに賛成するわけではなくて、どういう場合でも日常感覚から判断することにしている。
 どんな職業でも、“仕事だから”と言って(所詮、金儲けや出世のために)、それを免罪符にするのはご免だ。振り返るとわたしには、世の働き盛りの年代で、他人から仕事ができるとおもわれている人ほどその性向があるらしく感じる。卑近ないい方になるのだが、それなら他人に害を及ぼすのではなくて、わたしはみずからに責めを負わせることだろう。
 井上ひさしファンや読書好きが本のみを読んで単に読書感想を云々するのであれば、この西舘好子さんの「表裏井上ひさし協奏曲」の一読も併せてすすめたい。しかし、もともと、世の中はこのような虚構の世界で成り立っているのではなく、日々泣いたり笑ったりする生身の人間の暮らしで成り立っているのだ。

 わたしは、人形劇「ひょっこりひょうたん島」のNHKテレビ放送で育った世代。そのあと「四千万歩の男」など1,2冊は読んでいて「吉里吉里人」だけはぜひ読みたいものだと思っているが、でも、井上ひさしのお里が知れたようで、そのユーモアや作り話の世界に興醒めしそうだ。
                
       
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