うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

4月29日

2015年04月30日 07時38分52秒 | わたしの日常です。
この頃、いい陽気の日が過ぎていく。先日は夏日が記録されたり、そろそろ青葉繁れる季節に入ったなあ、との思いを持つ。
 昨日の休日は、こちらに来て初めて早朝の散歩に出た。日曜日も仕事で出たが、なんだか、あわただしい業務漬けの日々に気持ちが疲れ気味であったのだ。わたしは気分転換が下手だ。4時半を過ぎると朝もあける。5時過ぎから1時間20分ほど、神山川までぶらぶらと歩く、市内でもここは繁華街で街並みがそろっているほうだが少し碁盤目状で歩く人が少なく、うるおいや情趣に欠ける気がする。福島と比べてなんとなく被災地の住民に余裕がないのかと、邪推する。出不精にもなっていることだろう。

 犬の散歩連れや、夫婦二人やおばさんおじさんの一人二人連れが多いのだが、軽く お早うございます、と声をかけるのが自然なマナーだ。わたしの嫌いな左右の手を振り振り規則的に歩く、ジョッギングスタイルの人も少ない。変ことだが、あの健康を意識した歩行訓練のような姿勢が嫌いである。(まあ、健康おたくも生理的に受けつけないが・・・) 
 川の土手を歩く。足元は種を蒔きつけた洋芝か牧草かが青々と育っている。その景色は単調なものだ。片側に咲き終わった桜並木があり 染井吉野 を含めて3,40本ほどか。中に八重桜(サトザクラ)だが 関山 など、4種ほどが今を盛りに咲いている。わたしはゆっくりフラフラと川辺に下りたり、わらびの繁茂している箇所を見つける。わらびはあく抜きが面倒だから採らない。向こう側に2.5mほどの背の高い トンボ(※土木工事の測量杭・丁張) が見える、これは復興計画で田んぼの上に土砂でかさ上げする目印だろう。
 この川の橋と橋の間が離れているが、今度こそは反対側を歩こうと思う。
 帰りに別の街路を歩くと、電柱や住宅の壁面に津波襲来時の高さのラベルが貼られている。海から神山川をさかのぼって堤防から怒涛のごとく海水があふれてきた。わたしは、そうか、わたしの肩ぐらいの1.5mほどまで来たのだなあ、と思う。ここまでで、今も狭い街区公園に15から20軒ほどの仮設住宅が3か所はあった。

 わたしはアパートに戻り、PCでギボウシ注文やメール返信、電話して出かける。駐車場から車を出し、まずスーパーでお茶のペットボトルと切れていた蛍光灯の豆球、地元JAの簡易的な店舗で惣菜を買い、次いで事務所でPCの内容確認をした。
 次に、いそいそと地元では珍しい山野草や鉢物の園芸店に行く。先日、現場の帰りに寄り知り合ったのだ。再訪を約束していた。山取りして育成中のギボウシを見せていただく。御年83歳になったばかりのWさんと、雑木、特にモミジ盆栽や山草の話題で盛り上がる、わたしにとってめったにない楽しいひとときだ。今度は、すすめたいギボウシ 「寒河江」 を届ける話がまとまった。
 帰りにホームセンターでヒット商品(?)トマト苗 桃太郎 2株を買って帰ったのが12時過ぎであった。

 気付いていて触れなかったが、今日はわが夫婦二人の結婚記念日である。35年目になった。こんなことはまったくのプライバシーだが。
 わたしが29、つれあいが26だった。内輪の人前結婚式を終えて、余った祝い金を費やし京都に新婚旅行に行った。帰ってきて、当時の天皇誕生日(⇒みどりの日⇒昭和の日)に届けを出したもの。妻を、伴侶、女房、ママ、家内、母ちゃん、などというが、あの頃世渡り上手を嫌い狷介、偏屈で圭角の多いわたしにとって、平凡が一番いいと言う、母子家庭でつつましく育った彼女は 戦友 との意識が強い。戦争では国のためとか大義で言うが、味方で一緒に戦った同僚に対しての思いが強いというではないか。
 わたしたちは人や親、兄弟、親戚を頼らず、金銭、物心共に手作りの人生を歩んできた。古めかしい表現になるが、個人的には、上京以来、汗臭い言い方だが裸一貫との気持ちが強い。肉体的にも頭脳的にも。
              
コメント
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