明治学院大学国際平和研究所PRIME主催のPRIME20周年記念国際シンポジウム「平和学のチカラ〜世界危機を読もう、考えよう、変えよう〜」に行って来た。
ほんとは昨日もやってたんだけどこっちに行く予定があったので断念したのだった。てか今日も行くかどーか迷ったんだけど。
だってこーゆーシンポジウムとかイベントとか行くたび、社会学や福祉学や政治経済学の専門家でも学生でもなくボランティア活動家でもないド素人のぐりみたいな出席者は超レアで、自分でも内容についてけてんのか?とゆー疑念はどーしても拭えないとこがある。自分ではついてってるつもりでも、ほんとのところどれほど理解できてるのか不安は常にある。
でもぐりひとりが理解できなくても誰にメーワクがかかるワケじゃなし、だいたいタダなんだし誰でも参加していいんだったら行ってもいいじゃん、と思い行ってみた。
やっぱ昨日も来ればよかった(悔)。ちなみにピープルズプラン研究所の講義は有料なんだよね(そこそんなに重要か?<自分)。
セッション2:メディアと市民運動
講師はNHKの元プロデューサー桜井均氏。
内容が異常に濃くってとてもまとめる自信がないんで超はしょりますが、要はメディアの公共性についての話。
メディアといっても最近の主役はもっぱらブログやYouTubeのような動画投稿サイトや掲示板など、インターネット上で展開されるオルタナティブメディア。
市民運動の場が失われて久しい日本だが、日々発言力を増すこの新興メディアが新たな公共権を担う可能性は大きい。
これに対し武者小路公秀氏はある哲学者の言葉を借りて「人類にもし進歩があるとするなら、遠くにいる人の痛みをわかちあえるようになること」と評した。んーそりゃハードの問題は進歩したけど、ソフト(人)の方はどーなのかにゃー?
講義後の質議応答では、外務省職員がある人権団体に対して「あなたがたは地球市民(を自称しておればよいが)、われわれは国益第一」と発言したことがあったのだが、このような意見におけるメディアの責任は?というのがとても印象的だった。桜井氏の回答は「良いオオカミと悪いオオカミが戦おうとしている。勝つのはどちら?」という喩え話。答えは「あなたがエサをやった方」。つまりメディアなり国際社会なり、当事者ではなく第三者に結論の責任が求められているということらしい。なるほどね。エラソーなこといってわいわい無責任に騒ぐ人間は結局自分がどれだけ無責任かという自覚がない。ちなみに前述の喩え話は現在のガザ問題を指している。
などなど。はしょりすぎじゃー。
ってか途中から桜井氏個人の政治見解の話になってきて、それはいいのかにゃ〜?ともちょっと思ったり。
セッション3:グローバル化と多民族共生
上村英明氏は日本の先住民族問題について、佐藤アヤ子氏はカナダ先住民族の文学についての話。
上村氏の話は非常に興味深くて、日本国内のアイデンティティがなにゆえにどれほどなおざりにされ、現状どうなっているのかという、ぐりはまったく聞いたことも見たこともないテーマでとってもおもしろかったです。
なかでもへーと思ったのは、2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなどネオコン政権の猛反発を受けたにもかかわらず、日本では翌年「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で国会を通過している。アメリカの顔色ばかりうかがう日本にしてはめずらしー。
んが、佐藤氏の話はちんぷんかんぷんで困りました。トムソン・ハイウェイとゆーカナダ先住民族出身の作家の戯曲を紹介しながら、ストーリーやその意味を解説するんだけど、話が入り組んでてシンボリックな上に話し方が念仏かっちゅーくらい一本調子でまったく感情がこもってなくて、他人に聞かせよう/理解させようとして喋ってるようにはまるで聞こえない。途中からわかろうとするのもやめちゃいました。馬鹿馬鹿しくて。
どーせぐりがシロートだからわかんないんだぜと思ってたら、終了後に別の所員に面と向かって「難しい!わかりにくい!」と抗議されてました。せめてあらすじや人物紹介、相関図や用語解説などをまとめたペーパーを用意するべきでしょと。本人は「だって忙しかったし」「そんなのできるって知らなかったし」なんてバックレてたけど。ざけんな。
出席者は例によってほとんどがこの分野の専門家や学生ばっかりで、国際シンポジウムといってもごくラフな雰囲気ではあったし、聞いててしんどかったのは佐藤氏の話くらいで、来てよかったなーとは思いました。
また後日やる気のあるときにこの記事改訂するかも。しないかも。んー。だって疲れたよー。
卒業記念品の柱時計。
明学ってよく前は通るけど中に入ったのは今回初めて。立派な建物がいっぱいあって素敵な雰囲気のキャンパスだけど、日曜なので学食は休みでした。残念(笑)。
ほんとは昨日もやってたんだけどこっちに行く予定があったので断念したのだった。てか今日も行くかどーか迷ったんだけど。
だってこーゆーシンポジウムとかイベントとか行くたび、社会学や福祉学や政治経済学の専門家でも学生でもなくボランティア活動家でもないド素人のぐりみたいな出席者は超レアで、自分でも内容についてけてんのか?とゆー疑念はどーしても拭えないとこがある。自分ではついてってるつもりでも、ほんとのところどれほど理解できてるのか不安は常にある。
でもぐりひとりが理解できなくても誰にメーワクがかかるワケじゃなし、だいたいタダなんだし誰でも参加していいんだったら行ってもいいじゃん、と思い行ってみた。
やっぱ昨日も来ればよかった(悔)。ちなみにピープルズプラン研究所の講義は有料なんだよね(そこそんなに重要か?<自分)。
セッション2:メディアと市民運動
講師はNHKの元プロデューサー桜井均氏。
内容が異常に濃くってとてもまとめる自信がないんで超はしょりますが、要はメディアの公共性についての話。
メディアといっても最近の主役はもっぱらブログやYouTubeのような動画投稿サイトや掲示板など、インターネット上で展開されるオルタナティブメディア。
市民運動の場が失われて久しい日本だが、日々発言力を増すこの新興メディアが新たな公共権を担う可能性は大きい。
これに対し武者小路公秀氏はある哲学者の言葉を借りて「人類にもし進歩があるとするなら、遠くにいる人の痛みをわかちあえるようになること」と評した。んーそりゃハードの問題は進歩したけど、ソフト(人)の方はどーなのかにゃー?
講義後の質議応答では、外務省職員がある人権団体に対して「あなたがたは地球市民(を自称しておればよいが)、われわれは国益第一」と発言したことがあったのだが、このような意見におけるメディアの責任は?というのがとても印象的だった。桜井氏の回答は「良いオオカミと悪いオオカミが戦おうとしている。勝つのはどちら?」という喩え話。答えは「あなたがエサをやった方」。つまりメディアなり国際社会なり、当事者ではなく第三者に結論の責任が求められているということらしい。なるほどね。エラソーなこといってわいわい無責任に騒ぐ人間は結局自分がどれだけ無責任かという自覚がない。ちなみに前述の喩え話は現在のガザ問題を指している。
などなど。はしょりすぎじゃー。
ってか途中から桜井氏個人の政治見解の話になってきて、それはいいのかにゃ〜?ともちょっと思ったり。
セッション3:グローバル化と多民族共生
上村英明氏は日本の先住民族問題について、佐藤アヤ子氏はカナダ先住民族の文学についての話。
上村氏の話は非常に興味深くて、日本国内のアイデンティティがなにゆえにどれほどなおざりにされ、現状どうなっているのかという、ぐりはまったく聞いたことも見たこともないテーマでとってもおもしろかったです。
なかでもへーと思ったのは、2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなどネオコン政権の猛反発を受けたにもかかわらず、日本では翌年「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で国会を通過している。アメリカの顔色ばかりうかがう日本にしてはめずらしー。
んが、佐藤氏の話はちんぷんかんぷんで困りました。トムソン・ハイウェイとゆーカナダ先住民族出身の作家の戯曲を紹介しながら、ストーリーやその意味を解説するんだけど、話が入り組んでてシンボリックな上に話し方が念仏かっちゅーくらい一本調子でまったく感情がこもってなくて、他人に聞かせよう/理解させようとして喋ってるようにはまるで聞こえない。途中からわかろうとするのもやめちゃいました。馬鹿馬鹿しくて。
どーせぐりがシロートだからわかんないんだぜと思ってたら、終了後に別の所員に面と向かって「難しい!わかりにくい!」と抗議されてました。せめてあらすじや人物紹介、相関図や用語解説などをまとめたペーパーを用意するべきでしょと。本人は「だって忙しかったし」「そんなのできるって知らなかったし」なんてバックレてたけど。ざけんな。
出席者は例によってほとんどがこの分野の専門家や学生ばっかりで、国際シンポジウムといってもごくラフな雰囲気ではあったし、聞いててしんどかったのは佐藤氏の話くらいで、来てよかったなーとは思いました。
また後日やる気のあるときにこの記事改訂するかも。しないかも。んー。だって疲れたよー。
卒業記念品の柱時計。
明学ってよく前は通るけど中に入ったのは今回初めて。立派な建物がいっぱいあって素敵な雰囲気のキャンパスだけど、日曜なので学食は休みでした。残念(笑)。