『シロタ家の20世紀』
日本国憲法第三章二十四条
1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
1946年に公布されたこの憲法に盛り込まれた「男女平等」を起草したのはアメリカ人法律家などではなく、GHQの民間職員だったユダヤ系ウクライナ人のベアテ・シロタ、当事弱冠23歳の女性だった。
彼女の生い立ちを描いた『ベアテの贈りもの』の続編として、激動の20世紀に翻弄されたシロタ家の変転をまとめたドキュメンタリー。
渋谷駅に電車が着いてドアが開いた瞬間に耳をつんざく街宣車の軍歌。今日は建国記念日?神武天皇?が即位した日なんだってねー。へー。ふーん。
まあそういう日に観るにはふさわしい映画なのかしらん?ぐりは単にレディースデーやし観とくか?って程度の動機でしかないですけども。『ベアテの贈りもの』も観てへんし。
映画としてはどーなんでしょーね?これ?んー。まあふつうにきれいにまとまってはいるけど・・・べつにとくに印象的ってこともないし。ホントに何のひねりも演出もなく、ただただシロタ家のみなさまのしんどい20世紀を振り返るって感じの映画でした。ナレーションとか吹替えのトーンがやたらめったら古くさいのはあれはなんやったんやろ?すごい昔のNHKのドキュメンタリー番組みたいな。
シロタ家の19〜20世紀はまさに苦難の連続、辛酸に次ぐ辛酸にみちみちている。
ベアテの父・レオはウクライナのカミェニッツ・ポドルスキという街で生まれたが、一家は激化するユダヤ人迫害から逃れてキエフに転居、ここで姉妹兄弟は音楽の専門教育を受けた。才能を認められたレオはその後モスクワを経てウィーンに留学、プロのピアニストとしてデビューする。一家もそれぞれポーランド、フランスへと移り、音楽一家としておのおの成功した。
東京音楽学校(現・東京芸術大学)に招かれたレオは日本で数々の優れた音楽家を育てあげるが、やがて日中戦争が始まり、ヨーロッパでもドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦に突入する。レオはフランスにいた弟を案じてヨーロッパを出るように勧めるものの、幼いころから再三にわたって国を移り住んで来た彼は兄の忠告に耳を貸さなかった。兄弟にはそれぞれひとり娘がいて、ふたりの従姉妹は戦火を逃れてアメリカに留学する。
現在のシロタ家はヨーロッパとアメリカに離散し、レオをはじめ多くが既に鬼籍に入っている。そのうちの幾人かは戦争中、政治犯刑務所や強制収容所、あるいは戦場で命を落とした。おそらく大抵のユダヤ人に家族の来歴を訊ねれば、多くが親族に似たような過去を持っているのだろう。家を、故郷を追われ親兄弟が散り散りになった挙句に、虫けらのように殺され、墓もなく、いつどうして亡くなったかも誰もわからない無数のユダヤ人たち。悲しい悲しい歴史だ。だがその悲しい歴史が、日本の憲法に男女平等の条項をもたらした。皮肉な話である。
こうして大雑把にまとめてもむちゃくちゃドラマチックで悲劇的なシロタ家の系譜なのに、映画はまったくドラマチックでも悲劇的でもなく、ひたすら淡々としている。
それが狙ってそういうトーンにまとめてるんだとしたらそれはそれでいいんだけど、じゃあその狙いはいったいなんなのか?ってとこがイマイチ伝わってこない。ただただ事実を消化してるだけ。それでこの内容に感動せいっていわれてもね(誰もそんなこといってないけど)。
いいたいことはわからんでもないけど、こーゆー内容だからこそもーちょっと観客を意識した商業映画にした方がよかったんでないの?とゆー気がしてしょーがなかったですー。もったいなし。
あとぐり的には、レオがどんだけすんばらしー音楽家かってのはくどいくらいしつこく強調するのに、その両親とふたりの姉が離散後どーなったのかまったく触れられなかったのがちょー気になりました。どーなったんだべ??
日本国憲法第三章二十四条
1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
1946年に公布されたこの憲法に盛り込まれた「男女平等」を起草したのはアメリカ人法律家などではなく、GHQの民間職員だったユダヤ系ウクライナ人のベアテ・シロタ、当事弱冠23歳の女性だった。
彼女の生い立ちを描いた『ベアテの贈りもの』の続編として、激動の20世紀に翻弄されたシロタ家の変転をまとめたドキュメンタリー。
渋谷駅に電車が着いてドアが開いた瞬間に耳をつんざく街宣車の軍歌。今日は建国記念日?神武天皇?が即位した日なんだってねー。へー。ふーん。
まあそういう日に観るにはふさわしい映画なのかしらん?ぐりは単にレディースデーやし観とくか?って程度の動機でしかないですけども。『ベアテの贈りもの』も観てへんし。
映画としてはどーなんでしょーね?これ?んー。まあふつうにきれいにまとまってはいるけど・・・べつにとくに印象的ってこともないし。ホントに何のひねりも演出もなく、ただただシロタ家のみなさまのしんどい20世紀を振り返るって感じの映画でした。ナレーションとか吹替えのトーンがやたらめったら古くさいのはあれはなんやったんやろ?すごい昔のNHKのドキュメンタリー番組みたいな。
シロタ家の19〜20世紀はまさに苦難の連続、辛酸に次ぐ辛酸にみちみちている。
ベアテの父・レオはウクライナのカミェニッツ・ポドルスキという街で生まれたが、一家は激化するユダヤ人迫害から逃れてキエフに転居、ここで姉妹兄弟は音楽の専門教育を受けた。才能を認められたレオはその後モスクワを経てウィーンに留学、プロのピアニストとしてデビューする。一家もそれぞれポーランド、フランスへと移り、音楽一家としておのおの成功した。
東京音楽学校(現・東京芸術大学)に招かれたレオは日本で数々の優れた音楽家を育てあげるが、やがて日中戦争が始まり、ヨーロッパでもドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦に突入する。レオはフランスにいた弟を案じてヨーロッパを出るように勧めるものの、幼いころから再三にわたって国を移り住んで来た彼は兄の忠告に耳を貸さなかった。兄弟にはそれぞれひとり娘がいて、ふたりの従姉妹は戦火を逃れてアメリカに留学する。
現在のシロタ家はヨーロッパとアメリカに離散し、レオをはじめ多くが既に鬼籍に入っている。そのうちの幾人かは戦争中、政治犯刑務所や強制収容所、あるいは戦場で命を落とした。おそらく大抵のユダヤ人に家族の来歴を訊ねれば、多くが親族に似たような過去を持っているのだろう。家を、故郷を追われ親兄弟が散り散りになった挙句に、虫けらのように殺され、墓もなく、いつどうして亡くなったかも誰もわからない無数のユダヤ人たち。悲しい悲しい歴史だ。だがその悲しい歴史が、日本の憲法に男女平等の条項をもたらした。皮肉な話である。
こうして大雑把にまとめてもむちゃくちゃドラマチックで悲劇的なシロタ家の系譜なのに、映画はまったくドラマチックでも悲劇的でもなく、ひたすら淡々としている。
それが狙ってそういうトーンにまとめてるんだとしたらそれはそれでいいんだけど、じゃあその狙いはいったいなんなのか?ってとこがイマイチ伝わってこない。ただただ事実を消化してるだけ。それでこの内容に感動せいっていわれてもね(誰もそんなこといってないけど)。
いいたいことはわからんでもないけど、こーゆー内容だからこそもーちょっと観客を意識した商業映画にした方がよかったんでないの?とゆー気がしてしょーがなかったですー。もったいなし。
あとぐり的には、レオがどんだけすんばらしー音楽家かってのはくどいくらいしつこく強調するのに、その両親とふたりの姉が離散後どーなったのかまったく触れられなかったのがちょー気になりました。どーなったんだべ??