『チェ 39歳 別れの手紙』
1965年、キューバ革命を実現したチェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)は盟友フィデル・カストロ(デミアン・ビチル)に手紙を残して姿を消した。世界中で彼のささやかな助力を待っている貧しい人々のために戦いたいと、そこには書かれていた。
1966年、変装し名前を変えたゲバラはボリビアに潜入、独裁政権を打倒すべくゲリラ戦線に合流するがかんじんのボリビア共産党の援助を受けられず、孤立していく。
あのー、ボリビアってどこにあるか、みなさまご存知でしょーか?そんなん常識?
恥ずかしながらぐりは知りませんでしたです。この映画観るまで。南米のどっか内陸、ってのは知ってたけどね。さすがに。けど正確にどのあたりでどういう国かってのは知らなかった。
つーかさ、南米なんて日本の真反対じゃん。遠いよ。そんなとこにどういう国があってどんな人がどんな生活をしてるかなんて、ふつーに生きてたら関係ないよね。少なくとも日本では。
なんてのを「無関心」ってゆーのかな。けど現実はホントにそうだ。現にぐりは今のいままで、ボリビアなんて国には1ミリどころか1ミクロンも興味も関心もなくて、それで平穏無事に30ン年生きて来た。これからだってボリビアとぐりに何か関わりが生まれる可能性なんて想像もつかない。
でもさ、人間に知性というものが備えられている限り、「関係ない」「興味ない」で物事を片づけてしまうのはせっかく与えられた知性を放棄してるのと同じことなんだよね。どーせ人間に生まれたからには、ちょっとくらい知的に生きたいじゃないですか?
ゲバラだってボリビアとは何の関係もない。
彼は確かに南米アルゼンチン出身ではある。だが裕福な家庭に生まれ医師として将来を嘱望された彼には、共産主義革命に駆り立てられなくてはならない義務などまったくなかった。妻子を捨てキューバでの地位を捨てる理由もなかった。
それでも彼は戦わなくてはならなかった。彼が人を愛したからだ。彼は人という人、すべての人を愛した。それがたとえ見ず知らずの外国の人々であっても、誰かが病気で治療を受けられないとか、学校に行けないとか、安全な水を供給されないとか、きちんと給料を払ってもらえないとか、不正の犠牲になっているとか、そういうことが全部許せなかった。絶対見過せなかった。そういう人がどこかしらにいるのに、自分がキューバで家族とぬくぬくと暮すなんてもってのほかだったのだ。
彼の愛はだから、最初から孤独だった。誰にも理解されようはずがなかった。それは美しく崇高ではあったけれど、それゆえに常人の手の届かないものでもあった。
なんてぐりがゲバラを語る資格は全然ないんだけどね(爆)。先月前編『チェ 28歳の革命』を観てあまりの不勉強ぶりに撃沈しちゃったくらいですからー。
なのでこれはこの映画のゲバラに限ったお話です。ゲバラの愛がどれほど深く、彼の革命がどんなに淋しいものだったか。ボリビアのゲバラは英雄などではなかった。少なくともボリビア国民の理解と協力は得られてはいなかった。もしそれがあったら、彼らはこんなにあっさり負けはしなかっただろうし、ゲバラもあんなに淋しい最期を遂げなくてもよかっただろう。
つまり彼のボリビアでの戦いはそもそも苦戦でしかなかった。なのに彼は決して諦めなかった。どうしてだろう。いったんやめて諸外国の協力をしっかりとりつけてから仕切りなおすことだってできただろう。あるいはいずれそのつもりだったのかもしれない。実戦で鍛えたはずのゲバラらしくない負け方が何だかひっかかる。
いずれにせよ、やっぱちゃんと勉強せにゃいかんですね。さっぱりやっとりゃせんのですがー。
ドキュメンタリーっぽく淡々と革命の「現場」の空気を表現したタッチは前編と同じなんだけど、登場人物が少なめになったのと時制がストレートになったせいもあって、後編のがかなり観易くなってました。前編観てしんどかった人でも後編は大丈夫だと思います。聞けばそもそもの企画はこの後編部分のみだったそうで、前編部分はプリプロ段階の途中に持ち上がった追加パートであるらしい。
この後編を踏まえてもっかい前編観たいですね。んで原作も読みたい。だいたい共産主義革命が何かとか、マルクス主義が何かとか、そーゆー常識がまるっきりなさすぎるー!ってことが今回発覚してしまったのでー。ごめんなさいです。誰に申し訳ないのかよくわかんないけど、とりあえずごめん。
ところでマット・デイモンが友情出演でちょこりと出てましたが、すっげえ浮いてましたね。他に誰もスターが出てないからよけい目立つ目立つ。そんなダサさもマットくんの個性だったりして。ってファンの方読んでたらごめんなさい。冗談です。ははははは。
1965年、キューバ革命を実現したチェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)は盟友フィデル・カストロ(デミアン・ビチル)に手紙を残して姿を消した。世界中で彼のささやかな助力を待っている貧しい人々のために戦いたいと、そこには書かれていた。
1966年、変装し名前を変えたゲバラはボリビアに潜入、独裁政権を打倒すべくゲリラ戦線に合流するがかんじんのボリビア共産党の援助を受けられず、孤立していく。
あのー、ボリビアってどこにあるか、みなさまご存知でしょーか?そんなん常識?
恥ずかしながらぐりは知りませんでしたです。この映画観るまで。南米のどっか内陸、ってのは知ってたけどね。さすがに。けど正確にどのあたりでどういう国かってのは知らなかった。
つーかさ、南米なんて日本の真反対じゃん。遠いよ。そんなとこにどういう国があってどんな人がどんな生活をしてるかなんて、ふつーに生きてたら関係ないよね。少なくとも日本では。
なんてのを「無関心」ってゆーのかな。けど現実はホントにそうだ。現にぐりは今のいままで、ボリビアなんて国には1ミリどころか1ミクロンも興味も関心もなくて、それで平穏無事に30ン年生きて来た。これからだってボリビアとぐりに何か関わりが生まれる可能性なんて想像もつかない。
でもさ、人間に知性というものが備えられている限り、「関係ない」「興味ない」で物事を片づけてしまうのはせっかく与えられた知性を放棄してるのと同じことなんだよね。どーせ人間に生まれたからには、ちょっとくらい知的に生きたいじゃないですか?
ゲバラだってボリビアとは何の関係もない。
彼は確かに南米アルゼンチン出身ではある。だが裕福な家庭に生まれ医師として将来を嘱望された彼には、共産主義革命に駆り立てられなくてはならない義務などまったくなかった。妻子を捨てキューバでの地位を捨てる理由もなかった。
それでも彼は戦わなくてはならなかった。彼が人を愛したからだ。彼は人という人、すべての人を愛した。それがたとえ見ず知らずの外国の人々であっても、誰かが病気で治療を受けられないとか、学校に行けないとか、安全な水を供給されないとか、きちんと給料を払ってもらえないとか、不正の犠牲になっているとか、そういうことが全部許せなかった。絶対見過せなかった。そういう人がどこかしらにいるのに、自分がキューバで家族とぬくぬくと暮すなんてもってのほかだったのだ。
彼の愛はだから、最初から孤独だった。誰にも理解されようはずがなかった。それは美しく崇高ではあったけれど、それゆえに常人の手の届かないものでもあった。
なんてぐりがゲバラを語る資格は全然ないんだけどね(爆)。先月前編『チェ 28歳の革命』を観てあまりの不勉強ぶりに撃沈しちゃったくらいですからー。
なのでこれはこの映画のゲバラに限ったお話です。ゲバラの愛がどれほど深く、彼の革命がどんなに淋しいものだったか。ボリビアのゲバラは英雄などではなかった。少なくともボリビア国民の理解と協力は得られてはいなかった。もしそれがあったら、彼らはこんなにあっさり負けはしなかっただろうし、ゲバラもあんなに淋しい最期を遂げなくてもよかっただろう。
つまり彼のボリビアでの戦いはそもそも苦戦でしかなかった。なのに彼は決して諦めなかった。どうしてだろう。いったんやめて諸外国の協力をしっかりとりつけてから仕切りなおすことだってできただろう。あるいはいずれそのつもりだったのかもしれない。実戦で鍛えたはずのゲバラらしくない負け方が何だかひっかかる。
いずれにせよ、やっぱちゃんと勉強せにゃいかんですね。さっぱりやっとりゃせんのですがー。
ドキュメンタリーっぽく淡々と革命の「現場」の空気を表現したタッチは前編と同じなんだけど、登場人物が少なめになったのと時制がストレートになったせいもあって、後編のがかなり観易くなってました。前編観てしんどかった人でも後編は大丈夫だと思います。聞けばそもそもの企画はこの後編部分のみだったそうで、前編部分はプリプロ段階の途中に持ち上がった追加パートであるらしい。
この後編を踏まえてもっかい前編観たいですね。んで原作も読みたい。だいたい共産主義革命が何かとか、マルクス主義が何かとか、そーゆー常識がまるっきりなさすぎるー!ってことが今回発覚してしまったのでー。ごめんなさいです。誰に申し訳ないのかよくわかんないけど、とりあえずごめん。
ところでマット・デイモンが友情出演でちょこりと出てましたが、すっげえ浮いてましたね。他に誰もスターが出てないからよけい目立つ目立つ。そんなダサさもマットくんの個性だったりして。ってファンの方読んでたらごめんなさい。冗談です。ははははは。