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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

愛の資本主義世界

2009年02月16日 | book
『らぶどろっぷ【元AV嬢の私小説】』 まりも著

最近、ポッドキャストで朗読を聞きながら仕事するのがマイブームでして。
アレ、いいですねー。だいたいは中学や高校で読んで内容忘れちゃってる文学作品なんかを、アンニュイな声音で淡々と読むのを聞いてると心も落ち着くし、本を自分で読むんじゃないから作業そのものの邪魔にはならないし。音楽聴きながら仕事ができないぐりにはもってこいでございます。
ちょっと前までは落語を聞いてたんだけど、噺家さんのノリがイマイチだったりすると逆にアラが気になっちゃったりしてね。あとお笑い芸人の深夜放送のポッドキャストもちょいちょい聞いてます。ニュース番組も聞きます。
それはさておきー。ぐりは本は好きだけど、ネット小説ってほとんど読んだことがない。ポッドキャストもそうなんだけど、ネットの文章って章をとばしたり戻ったりして確認しながら読むってことが難しいじゃないですか。できなくはないけど、めんどう。ケータイ小説なんかでそんなことしたらパケット代がおーそろしーことになってしまいそーですー。

この『らぶどろっぷ』は先日参加したポラリスプロジェクトのセミナーで紹介されて読んでみた。
17歳で家出した少女の転落と再生の物語。著者自身の体験に基づくノンフィクションとうたわれている。ってかケータイ小説?ネット小説ってそんなんばっかしでだいたい眉唾でしょーとゆーのが常識なんだろーけど、これはたぶんほんとにノンフィクションなんじゃないかなー?なにしろ彼女は『元AV嬢』というそのままなタイトルで既に一冊本を出している、実在の本物の“元AV嬢”ですから。登場人物も実在してるみたいで、ちょっと調べれば特定できるプチ有名人も出てくる。
サブタイにも“元AV嬢”と書いているが、彼女が経験した職業はAVだけではない。17歳で家出したあとの経歴は歌舞伎町の元キャバ嬢、元クラブホステス、元極道の女、元グラビアモデル、元TVタレント、元ストリップダンサー。堅実なサラリーマンと結婚して平凡な主婦になりたいと夢見たこともあれば、些細なきっかけで手を出したマリファナにハマりスピードを覚え覚醒剤中毒になって精神病院の閉鎖病棟に入院したこともある。これだけのことを彼女はたった5年間で体験してしまった。まさにジェットコースター人生の見本みたいなものだ。本人も女の転落人生としては陳腐だと自ら書いているが、これがノンフィクションでなければ誰も鼻もひっかけないだろう。文章も稚拙だし、誤字脱字も満載です。後から削ったパートでもあるのか、辻褄のあわないところ、かんじんの過程が意味もなく省略されているパートも目につく。

それでもこの手記は一読に値する。
彼女は家出したその足でキャバ嬢になり、給料を洋服やディスコ遊びに湯水のように遣いまくり、あっという間に援助交際までやるようになる。好奇心で暴力団幹部の愛人になってみたり、数ヶ月後に結婚を予定していながらなりゆきでAVに出演したりする。誰もが憧れるナンバーワンホストと交際しているのに、新人アルバイトに乗り換えて修羅場を演じてしまう。年下の真面目な恋人を心から愛していながら、ふたりもろとも覚醒剤にハマっていく。運命の人と数々の困難を乗り越えて結ばれるはずが、突然現れた有名人によろめいて大事な彼氏を家から追い出してしまう。17歳で最初の子を中絶した経験があるのに、その後も妊娠しては中絶を繰り返す。
一見脈絡がなく行き当たりばったりの無軌道な彼女の行動だが、手記にはそこに至るまでの彼女の正直な心情がごく素直に書かれている。自分でも行き当たりばったりで無軌道なことはわかっている。でも彼女はこうしたい、と思ったら即刻実行せずには我慢ができない。その実感が、そのまま書かれている。シャネルのピアスが欲しくて援助交際をした、どこへ行っても姐さんと呼ばれてみんなにかしずかれるのが気持ちよかった、クスリをキメたときの全身が覚醒する全能感、中毒になってからの誇大妄想の地獄、それらを緻密に綴った言葉そのものはごく活き活きとしていて、実際に体験していない人間にここまで鮮明に描写できるものなのかどうかわからないくらいだ。
少なくとも、医者の家に生まれ親兄弟にも恵まれ何不自由なく育てられたふつうの女の子だったはずの著者が、どうしてここまで堕ちなくてはならなかったかというほんとうの理由が、読めばちゃんと理解することができる。生きた実感がそこに漲っているから。

風俗嬢やAV嬢を含め性産業従事者を蔑視する人はほんとうに多い。
だが彼ら・彼女たちがなぜそこまで行き、そしてとどまっているのかを、どれだけの人がまともに認識し、自らの価値観でジャッジしているのだろう。
著者自身はこんな仕事はぜんぶカネのためだという。おそらく全員がそうだとはいいきれないだろうけど、多数派であることは間違いないだろう。なぜならそこではカネが全ての価値を決定するからだ。男がカネを出して裏ビデオを買う。デリへルを呼ぶ。そのカネがヤクザの収入になる。ヤクザはそのカネで若い女と遊ぶ。若い女は小遣いで着飾り、ホストと遊ぶ。ホストは女たちから巻き上げるカネでクルマや宝飾品を買い集めては見栄を飾り立て、しぼれるだけしぼりとって風俗に売り飛ばす。売り飛ばされた女はまた別の男とセックスしてカネをもらう。
カネとセックスの食物連鎖。その世界ではカネを持っている人間、カネを動かせる人間だけが尊敬される。ブランドものの服もバッグも靴も時計も高級車もドンペリも、全部それをわかりやすく表わす記号でしかない。そんな価値観が貧しいだなんて誰ひとり思わない。全員が蟻地獄でドッグレースをやってるようなものだ。悲しい話だ。

この手記は未完で、全体の4分の3ほどのところまでで更新がストップしている。
だが著者は現在は結婚して子育て中だというから、結末がまったくの不明というわけでもない。
できれば最後まで読みたいけど、新たに進展する可能性があるかどうかはよくわからない。
未完でも読みでのある文ではあるけどね。まーしかしここまで直情径行的に恋愛に突っ走れる性格はある意味羨ましいわー。あたしにゃ絶対真似できない。ナニゲに同世代らしくって(たぶんぐりより1〜2歳下)読んでて懐かしい場面も出てきたりするんだけどねえ。同じ女とは思えないです。情けないことに。

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関連レビュー:『すべては「裸になる」から始まって』 森下くるみ著

サビーヌによろしく

2009年02月15日 | movie
『彼女の名はサビーヌ』

フランス映画界を代表する女優サンドリーヌ・ボネールのひとつ年下の妹サビーヌは自閉症。
子どものころ、家族が彼女の障碍に気づかなかったために必要な治療とケアを受けられず、28歳になって入院した精神病院で大量の薬物を投与された結果、5年後の退院時には症状が極度に悪化してしまっていた。
姉自らが妹を題材に綴ったドキュメンタリー。

10〜20代のサビーヌ。
すらりとしなやかな肢体、豊かな茶色の巻き毛を長く垂らし、見はったように大きな目を輝かせた魅力的な美少女。踊ったり跳んだり泳いだりお喋りしたり、ピアノも弾く。少々エキセントリックではあるが、元気でかわいい女の子だ。
そして現在、38歳のサビーヌ。
入院時に体重が30kgも増え、容貌はまったくの別人になっている。目は虚ろで、話し方はごくゆっくりになり、内容にもまるで広がりはない。身体の動きは緩慢で、すぐに疲れたといって横になりたがり、思い通りにいかないことがあると暴力をふるい、自分の手を噛んだりする。

映画はこの「ふたりのサビーヌ」の間を行き来する。
いずれの映像にも、それを撮る姉の深い慈愛の情がみちている。素人目にも明らかに症状が悪化し、人格が退行しているサビーヌだが、おそらく家族にとってはどんなサビーヌもサビーヌなのだ。その気持ちはよくわかる。ぐりにも妹がいるからかもしれない。ぐりの妹はふたりとも姉よりずっとしっかりした社会人でサビーヌのような厄介ところは全然ないけど、どんな妹でもいつでもかわいいと思う気持ちは世界共通なんだろうと思う。
それだけに、どうしてかわいい妹がこうなってしまったのか?という姉の疑惑と静かな憤りが、より強く伝わってくる。
確かに自閉症という病気は定義が難しく、治療も困難な病だとはいわれている。症状は千差万別だし、治癒する方法は今のところない。しかし薬物で症状を抑制するだけの治療は介護を容易にはするが、患者自身の将来に果たしてどれほど役に立つのだろうか。

作中にサビーヌと同じ施設に入所しているオリビエという患者の母親が登場し、ビタミン剤と間違えて息子のてんかんのクスリを誤飲したエピソードを語るくだりがある。実は彼女と同じような経験がぐりにもある。
ぐりは20代半ばにうつ病になり、しばらくの間かなりたくさんの抗精神薬を服用していた。抗うつ剤や睡眠導入剤、精神安定剤はもとより、その副作用を抑えるためのクスリも併用していた。多かったときで10種類以上の錠剤を、朝昼晩と寝る前に飲んでいた。なかなか効果が出ずにしょっちゅうクスリを替えていたので、飲みきれないクスリが家のクスリ箱にどんどん溜まった。
その後うつ病が治ってから、疲れているのに眠れないある晩「そういえば眠れるクスリがあったっけ」と思い出して古い睡眠導入剤を軽い気持ちで持ち出した。あのころは効かなくて困ったくらいなのに、魔法のようにすーっと眠りに入ることができた。ところが勤務先からの電話で目が覚めたらまる1日以上時間が過ぎていて、デスクの女性に「今日は休むの?」と訊かれて青くなった。効き過ぎて起きられなかったのだ。目が覚めた後も妙にハイな状態でわけもなく笑いが止まらず、思考力もろくに働かなかった。まわらない頭で「クスリってこえーなあ」と思ったのをよく覚えている。あのとき飲んだのがほんとうに睡眠薬だけだったのか、ちょっと自信はないんだけど。
つまり抗精神薬のたぐいは脳のある機能を阻害して、病気によって暴走している脳の活動を緩和させることで症状を抑えている。確かにクスリで一部の症状は消えてなくなるが、それはその脳の機能を奪っているということにもなる。習慣的に服用していれば恒久的にそれが失われてしまうか、退行してしまうというリスクは避けられない。
そもそもクスリと名のつくものはみんな毒でもある。役に立つ面もあれば怖い面もある。それだけに頼った治療は、どんな病人にとっても危険なものかもしれない。

日本では1000人にひとりからふたりの割合で発症するといわれる自閉症。全然珍しい病気ではない。
しかしこうした障碍をもつ人々の存在はフランスでも日本でも社会から隠され、いなくてもよい者、健康な人には関わりのない人々として、隔離された生活を余儀なくされている。
こうした社会の無関心が、自閉症も含めた発達障碍への無理解と、福祉制度の不備を助長しているとしたらどうだろうか。どんな障碍をもった人でも安心して平和に暮す権利があり、その家族にも心安らかに介護にとりくめる環境が必要とされているのに、それを、無関心と無理解が奪っているとしたらどうだろうか。
サビーヌがどんな状態でも家族にとってかわいい子であるのと同じように、誰にとっても家族は愛しい。報いられて当然のその愛を阻む権利など、誰にもない。
ないはずなんだけど。


関連レビュー:
『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』
『累犯障害者─獄の中の不条理』 山本譲司著
『福祉を食う―虐待される障害者たち』 毎日新聞社会部取材班著
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 佐藤幹夫著

ビョーキな国

2009年02月14日 | lecture
続きまして。
ポラリスプロジェクト主催のセミナー「子どもの性の商品化を止められるか」第1回〜性の売買と、子どもの権利〜にも行って来た。
バレンタインの日にそんなことしててええんですかっちゅーツッコミはナシで。つかバレンタインって何よ?今さら?どーでもええっちゅーねん。
講師はポラリスプロジェクト日本事務所コーディネーター藤原志帆子さん。
ポラリスの勉強会は何回か出席しているが、今回の話はいつもとは少し違って、対象を子どもに限定している。今後このテーマで月1回のセミナーを続けていく予定だそうである。

*コンビニやビデオショップにあふれる性的娯楽メディア。
藤原さん個人はこうしたものがあるからわれわれの生活が豊かになるというのは事実だし、否定はしないという。
だがこうした商品の中に、レイプや女子高生もの、痴漢など犯罪に近いものを題材にしたものが多く、また過激なものほど売れているなかで、子どもがそうした分野の商品になりやすい土壌があるのは見過ごせない。

*グラビア雑誌やAVは主に男性向け。
女性向け、少女向けのコミックに表現されているセックスもまた非人道的である。
たとえば好きな人とはセックスをして当り前で男性は暴力的、女性は受け身でされるがままで、そこに描かれる女性像があまりにも無防備すぎる。

*このような環境の中で氾濫する児童ポルノと児童売春。
現実に被害に遭う子どもたちは後を絶たないのに、事件後の子どもたちを支援する制度が効果的に機能していないため、再発の危険性が高くなっている。
被害に遭った子どもにほんとうに求められているケアが何であるのか、誰もきちんと考えていない。

*日本で大人気の「ジュニアアイドル」「U15」と呼ばれるジャンルの写真集、DVD。
中学生や小学生がきわどい水着や下着で映っているものが「芸術的鑑賞物」としておおっぴらに売買されている。日本の現行法ではこれはポルノにあたらない。

*アダルトコミックやアニメの世界では、子どもが性行為そのものをしている表現が当り前に描かれる。
こうしたものは諸外国では単純所持でも処罰の対象となるが、日本では合法。無規制である。

*児童ポルノに被害者はいない、と長い間いわれてきたが、実際の被害者は一生その写真やビデオのことを忘れることは出来ない。
何年経っても、物心つかない幼いころに撮られたものをもし目の前にいるこの人が見ていたら、という恐怖に苛まれ続ける。

*全世界で性的搾取の被害に遭う子どもは年間100万人。児童ポルノ法違反で有罪になった被告の85%が過去に子どもに性的虐待をしていたというデータがある。つまり、児童ポルノと子どもへの性的虐待は無関係ではなく、被害者はこれだけの数にのぼる、という事実。

*1999年の調査では全世界にネット配信される未成年女児のポルノ画像の73%の発信元が日本だった(その後法改正により改善)。

*未成年の売春について。
アメリカのデータでは、10代の売春婦の90%が近親姦・レイプの被害者であり、85%が性感染症にかかっており、3分の2がPTSDなどなんらかの精神疾患にかかっており、50%が自殺未遂の経験を持つ。
2005年の調査では、日本全国140,600人の風俗嬢のうち20,120人が18歳未満。

*日本の法規制。
日本で未成年の売買春を規制する法律は出会い系サイト禁止法、児童福祉法、児童買春・児童ポルノ禁止法。
近年では子どもから売春を誘うケースが急増中。こうした場合、被害者であるはずの子どもが処罰の対象になるため、事件化しにくくなる。

*援助交際に被害者はいない?
精神的に未熟な子どもが「身体を売る」という決断になぜ至るか?というところまで考えれば、子どもを被害者ととらえることに何の矛盾もないはず。

*大切なのは教育。
間違った性情報のシャワーを浴びている日本の子どもたち。
必要なのは正しい知識と、大人と性について話しあえる環境。

などなど。


満開でございます。

関連レビュー:
AIDS文化フォーラムin横浜 「日本における人身売買〜ホットラインの向こう側」
「人身取引大国ニッポン:女性や子どもたちへの暴力をなくすために」 第一回勉強会
『闇の子供たち』
『児童性愛者―ペドファイル』 ヤコブ・ビリング著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編

お嫁通販

2009年02月14日 | lecture
てのひら〜人身売買に立ち向かう会主催のワークショップ第3回「被害者支援の現場から①〜民間シェルターの取り組み」に行って来た。
講師は女性の家HELP前ディレクター大津恵子さん。

HELPというのは明治時代に設立された女性団体・財団法人日本キリスト教婦人矯風会が運営するシェルター。女性とその子どもを対象とする緊急保護施設として知られている。人身売買問題の資料や講演でしょっちゅう耳にする・目にする名前で、いつか関係者の話が聞いてみたいと以前から思っていた。
今回の話は大津さん自身の個人的な体験談が多く、まとまった情報としてすぐに何かの役に立つというような内容ではなかったが、印象に残った点ををいくつかまとめておく。

*人身売買の被害者として保護されたのと同じ人物が、数年後にDV被害者として保護されるケースが増加中。
以前、東南アジアからはエンターティナービザで来日し強制売春の被害に遭う女性が非常に多かった。
エンターティナービザで入国した女性は接客業をしてはいけないことになっているが、雇った店では接客をしなければペナルティが課せられる。
ステージもない狭いスナックに10人以上も「エンターティナー」が雇われ、違法な売春をさせられる実態が問題視され、規制が強化された結果、現在は日本人と結婚し配偶者として来日するアジア人女性が急増。偽装結婚である。
また、日本国内で顧客と結婚する人身売買被害者も少なくないが、知りあった場所が風俗店であり、女性がアジア人である以上、夫婦として初めから不平等な関係になりやすい。また、結婚した男性は女性の借金を肩代わりすることもある。「金で買った嫁」「元風俗嬢」「アジア人」という三重の差別意識が家庭内でのいじめ、虐待に結びつくのは難しいことではない。
それでも女性たちは「自分さえ我慢すれば」と堪えるのだが、多くのケースでは暴力が女性だけでなく子どもにまで及んでいよいよという段階になってから助けを求めてくる。
中には老親の介護をさせるだけさせられ、親が亡くなった後、身ぐるみ剥がれて放り出されたアジア人妻もいる。

*近年、人身売買被害者が「被告」として起訴される事件が知られるようになった。
大津さんが関わったある裁判では、愛知県で強制売春をさせられていたタイ人女性が逃亡、大阪・堺のスナックで働いていたところ、顧客に尾行され、自宅に侵入されてナイフで脅され、レイプされそうになった。
彼女は警察に助けを求めたが、入管法違反(オーバーステイ)と売春防止法違反で逆に起訴されてしまった。
未遂とはいえ彼女は暴行・強姦の被害者であり、売春も自らの意志でしたわけではない。期限内に国外へ退去したくても旅費さえない。
性産業従事者はたとえ人身売買の被害に遭っても、レイプされても傷つく人間じゃない、法の元の平等に守られる権利は必要ない、という誤解がまかり通っている。

などなど。


今日は異常にあったかかったっすね。

Without having all the women in the world being happy, one can not achieve the world peace

2009年02月11日 | movie
『シロタ家の20世紀』

日本国憲法第三章二十四条
1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

1946年に公布されたこの憲法に盛り込まれた「男女平等」を起草したのはアメリカ人法律家などではなく、GHQの民間職員だったユダヤ系ウクライナ人のベアテ・シロタ、当事弱冠23歳の女性だった。
彼女の生い立ちを描いた『ベアテの贈りもの』の続編として、激動の20世紀に翻弄されたシロタ家の変転をまとめたドキュメンタリー。

渋谷駅に電車が着いてドアが開いた瞬間に耳をつんざく街宣車の軍歌。今日は建国記念日?神武天皇?が即位した日なんだってねー。へー。ふーん。
まあそういう日に観るにはふさわしい映画なのかしらん?ぐりは単にレディースデーやし観とくか?って程度の動機でしかないですけども。『ベアテの贈りもの』も観てへんし。
映画としてはどーなんでしょーね?これ?んー。まあふつうにきれいにまとまってはいるけど・・・べつにとくに印象的ってこともないし。ホントに何のひねりも演出もなく、ただただシロタ家のみなさまのしんどい20世紀を振り返るって感じの映画でした。ナレーションとか吹替えのトーンがやたらめったら古くさいのはあれはなんやったんやろ?すごい昔のNHKのドキュメンタリー番組みたいな。

シロタ家の19〜20世紀はまさに苦難の連続、辛酸に次ぐ辛酸にみちみちている。
ベアテの父・レオはウクライナのカミェニッツ・ポドルスキという街で生まれたが、一家は激化するユダヤ人迫害から逃れてキエフに転居、ここで姉妹兄弟は音楽の専門教育を受けた。才能を認められたレオはその後モスクワを経てウィーンに留学、プロのピアニストとしてデビューする。一家もそれぞれポーランド、フランスへと移り、音楽一家としておのおの成功した。
東京音楽学校(現・東京芸術大学)に招かれたレオは日本で数々の優れた音楽家を育てあげるが、やがて日中戦争が始まり、ヨーロッパでもドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦に突入する。レオはフランスにいた弟を案じてヨーロッパを出るように勧めるものの、幼いころから再三にわたって国を移り住んで来た彼は兄の忠告に耳を貸さなかった。兄弟にはそれぞれひとり娘がいて、ふたりの従姉妹は戦火を逃れてアメリカに留学する。
現在のシロタ家はヨーロッパとアメリカに離散し、レオをはじめ多くが既に鬼籍に入っている。そのうちの幾人かは戦争中、政治犯刑務所や強制収容所、あるいは戦場で命を落とした。おそらく大抵のユダヤ人に家族の来歴を訊ねれば、多くが親族に似たような過去を持っているのだろう。家を、故郷を追われ親兄弟が散り散りになった挙句に、虫けらのように殺され、墓もなく、いつどうして亡くなったかも誰もわからない無数のユダヤ人たち。悲しい悲しい歴史だ。だがその悲しい歴史が、日本の憲法に男女平等の条項をもたらした。皮肉な話である。

こうして大雑把にまとめてもむちゃくちゃドラマチックで悲劇的なシロタ家の系譜なのに、映画はまったくドラマチックでも悲劇的でもなく、ひたすら淡々としている。
それが狙ってそういうトーンにまとめてるんだとしたらそれはそれでいいんだけど、じゃあその狙いはいったいなんなのか?ってとこがイマイチ伝わってこない。ただただ事実を消化してるだけ。それでこの内容に感動せいっていわれてもね(誰もそんなこといってないけど)。
いいたいことはわからんでもないけど、こーゆー内容だからこそもーちょっと観客を意識した商業映画にした方がよかったんでないの?とゆー気がしてしょーがなかったですー。もったいなし。
あとぐり的には、レオがどんだけすんばらしー音楽家かってのはくどいくらいしつこく強調するのに、その両親とふたりの姉が離散後どーなったのかまったく触れられなかったのがちょー気になりました。どーなったんだべ??