今まで、この二つの事を、さして違う物とは考えていませんでした。
つまり、物忘れが酷くなったのが”呆け”だと。そう思っていたのです。
でも、最近ようやくそれが全くの別物だという事がわかってきました。
『物忘れ』とは、単に物事を忘れっぽくなって来る事。
それが酷くなったとしても、それは『呆け』ではなく、物忘れのレベルが上がったという事。当人は、当人のままなのです。
そして、身体が不自由になったり、自分の事が自分で出来なくなると言う事は『老い』なのです。
しかし、『呆け』とは、当人が当人でなくなっていく事。
私は、そう考えます。
当然、自己と言う意識はあります。でも、全くの別人と言って良いくらいの別人格が現れるのです。
全く同じ顔で、それまでの当人を知る人が聞いても、当人が話しているとは信じられないような事を話し、行動に移すのです。
よく言われるように、そのような状態は、初期の頃は当人の自制によって隠されている事が多いと思われます。だから、たまにしか一緒に過ごす事の無い人には、その状況が見えず、話を聞いても大げさに言っているだけだと介護者が理解されない事が多いとも聞きます。
私もそうでした。
義姉達から話を聞いても、話半分にしか聞いておらず、
”何を大げさな・・・”
としか思っていませんでした。
『呆け』は突然現れます。
本当に、今の今までちゃんとした話しをして、会話が成立していたのに、ある瞬間からいきなり変わるのです。
表情が一変し、話す言葉が極端に言えば、”狂気じみた”ものとなり、人の言葉を受け付けず・・・。
かと言えば、目がうつろになり、おどおどし、何度も何度も際限無く不安感を呟く・・・。
義母の場合は、”鬱”があるので、その症状も加わっての事でしょう。
そんな義母を見て、いつも思うのは、実の母だったら、切なくて悲しくて堪らないだろうな・・・という事。
嫁の立場では、やっぱり正直なところ、その点幾分冷静に見ることが出来ます。胸の締め付けられるような悲しさも、腹立たしさも、かなり軽く済んでると思います。
それでも、時々
”あの義母が・・・。絶対にこんな事言う人じゃ無かった義母が・・・。”
と、ショックを受けます。
そんな時、私は不謹慎ですが、
”お仕事。お仕事。お勤めだと思おう!”
と、呟く事にしています。
このくらいは良いですよね。