三重県鈴鹿市白子の白子港へ、 大黒屋光太夫船出の地である
鎖国の世にロシアを見て近代の夜明を呼吸した海の男、大黒屋光太夫船出の地である。
天明2年(1782)12月、江戸への途次遠州灘で暴風雨に遭い、漂流・流浪すること10星霜、帰国への熱意は時の女帝を動かし、ついに露都ペテルブルグより故国に帰った史実は名作 『 おろしや国夢譚 』 に詳しい、、、鈴鹿市の説明文より抜粋
バイクの後ろは 「大黒屋光太夫出帆の碑」 井上靖さんの文章が刻まれている
右の石積みの塔はモニュメント 『 刻の軌跡 』
今日の白子港
港の突堤では10人程が釣りをしていました、伊勢湾の穏やかな波が砂浜と戯れます
白子港から南の光景、右は鼓ヶ浦
鼓ヶ浦より、伊勢湾の向こうには知多半島がはっきり見えていました
伊勢湾の外は熊野灘から太平洋
光太夫さんが船出した12月もこんな穏やかな海だったのでしょうか?
鎖国の世にロシアを見て近代の夜明を呼吸した海の男、大黒屋光太夫船出の地である。
天明2年(1782)12月、江戸への途次遠州灘で暴風雨に遭い、漂流・流浪すること10星霜、帰国への熱意は時の女帝を動かし、ついに露都ペテルブルグより故国に帰った史実は名作 『 おろしや国夢譚 』 に詳しい、、、鈴鹿市の説明文より抜粋
バイクの後ろは 「大黒屋光太夫出帆の碑」 井上靖さんの文章が刻まれている
右の石積みの塔はモニュメント 『 刻の軌跡 』
今日の白子港
港の突堤では10人程が釣りをしていました、伊勢湾の穏やかな波が砂浜と戯れます
白子港から南の光景、右は鼓ヶ浦
鼓ヶ浦より、伊勢湾の向こうには知多半島がはっきり見えていました
伊勢湾の外は熊野灘から太平洋
光太夫さんが船出した12月もこんな穏やかな海だったのでしょうか?