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大阪府富田林市甘南備の 楠妣庵観音寺へ
全体的には、ちょっと早い感じもしたが、赤色と黄色が華やかに色づいて、山郷の寂しそうな寺を美しく飾っていた
楠木正成の妻で、正行(まさつら)の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して菩提を弔ったところです。久子は「敗鏡尼」を名乗り、楠妣庵(なんぴあん)を建てたといわれています。この地には正行が建てた観音殿もあり、弟・正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺としました。・・・ 大阪公式観光情報より
石段を飾る赤いモミジ
上の写真と同じモミジですが、少し撮る位置を変えれば 真っ赤色になる
この建物が 楠公夫人の御墓
すぐそばに、昭和天皇お手植え、秩父宮殿下お手植えのくすの木がある
大きく育っている
大正6年と言えば 西暦 1917年、106年前である
これは最奥にある、楠公殿の墓だろうか ?
石段を降りて下から撮影する
〈 手水 〉じゃなくて、側面に〈 洗心水 〉 と彫ってある
山門の石段下にある母子の像
世の憂きも 辛きも忍ぶ 思いこそ
心の道の 誠なりけり
赤色と黄色の鮮やかな華やかな紅葉を見ても、
これを読んだら 心にジ~ンときますネ
大阪府富田林市甘南備の 楠妣庵観音寺へ
全体的には、ちょっと早い感じもしたが、赤色と黄色が華やかに色づいて、山郷の寂しそうな寺を美しく飾っていた
楠木正成の妻で、正行(まさつら)の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して菩提を弔ったところです。久子は「敗鏡尼」を名乗り、楠妣庵(なんぴあん)を建てたといわれています。この地には正行が建てた観音殿もあり、弟・正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺としました。・・・ 大阪公式観光情報より
石段を飾る赤いモミジ
上の写真と同じモミジですが、少し撮る位置を変えれば 真っ赤色になる
この建物が 楠公夫人の御墓
すぐそばに、昭和天皇お手植え、秩父宮殿下お手植えのくすの木がある
大きく育っている
大正6年と言えば 西暦 1917年、106年前である
これは最奥にある、楠公殿の墓だろうか ?
石段を降りて下から撮影する
〈 手水 〉じゃなくて、側面に〈 洗心水 〉 と彫ってある
山門の石段下にある母子の像
世の憂きも 辛きも忍ぶ 思いこそ
心の道の 誠なりけり
赤色と黄色の鮮やかな華やかな紅葉を見ても、
これを読んだら 心にジ~ンときますネ