■素敵なロックン・ロール / Peter, Paul & Mary (Warner Bros. / 東芝)
エレキは不良!
と決めつけられた昭和40年代、それならフォークは良いのかよぉ~!?
という疑問を絶えず持ち続けていたのが、サイケおやじの天の邪鬼でした。
というのもフォークソングは確かに大学生のサークルとか青年団みたいなグループが、楽しく集いながら生ギターで歌うというイメージがありましたが、一方では、例えば新宿駅西口広場の反戦・反体制運動の集会とか、強引な寄付集め、ほとんど恐喝まがいの署名運動等々、明らかに善良な市民の行為からは逸脱していた部分が少なからずあったのです。
しかし、それでも大人達からフォークが認知されていたのは、「反戦」という大義名分やメジャーなプロ歌手達のイメージの良さがあったからでしょうか……。
本日ご紹介のピーター・ポール&マリー、通称PPMはアメリカのグループですが、まさにそうしたところを代表するポップなフォークグループとして、日本でも絶大な人気があった3人組です。
メンバーはピーター・ヤロウ(vo,g)、ポール・ストゥーキー(vo,g)、マリー・トラヴァーズ(vo) という男が2人に女がひとりという編成ですから、そのハーモニーワークを駆使した説得力のあるボーカルスタイルが、まず絶品です。そして生ギターのアンサンブルが、これまた最高なんですねぇ~~♪
当時、我国でフォークソングを歌おうとする者は、すべからく影響を受けたといって過言ではないと思います。
しかも楽曲が、これまた素直に素敵♪♪~♪
一番有名なのはボブ・ディランが書いた「風に吹かれて」でしょうし、これはPPMのバージョンが流行ったことにより、ボブ・ディランが有名になったという1963年の大ヒット! 他にも童謡に見せかけたドラッグソングと言われる「パフ」、そして多くの反戦歌が、極めて原曲のメロディを大切して歌われているのですから、その歌詞の中身の辛辣さとは対象的という不思議な和みが、人気の秘密だったと思われます。
実際、サイケおやじにしても、反戦とか反体制とかは理解していなくとも、PPMが演じるがゆえの楽曲の魅力は、大いに感じていました。ボブ・ディランは、???……?
さて、そんな中で本日ご紹介のシングル曲は、1967年暮れにアメリカでヒットしたフォークロックですが、本来はアコースティックが持ち味だったPPMも時代の流れから、こうしたスタイルも歌うようになって、それでも自然体を貫いたという潔さ♪♪~♪
原題は「Too Much Of Nothing」で、これもボブ・ディランが書いたものとされていますが、それを「素敵なロックン・ロール」なんていう邦題をつけるあたりに、いやはやなんとも……。ちなみに同路線では、このシングル曲の前に出たのが「ロック天国 / I Dig Rock And Roll Music」でしたから、ねぇ♪♪~♪
あんまり意味の分からない歌詞ゆえに、幾分虚無的に歌ってるPPMをバックアップするのは典型的なフォークロックのサウンドですから、我国でも昭和43(1968)年に入ると、ラジオを中心に、しぶとくヒットしています。
で、冒頭の話に戻ると、日本でフォークソングが一番リアルに流行っていたのは、恐らく昭和44(1969)年夏頃までかもしれません。前述した新宿駅西口広場のフォーク集会も夏前には強制的に排除され、その場所は「通路」に変更されました。
そして当時活動していた歌手やグループはメジャーなレコード会社から再デビューというか、後の歌謡フォークに繋がる歌を出し、既に有名になっていた歌手やグループに追従するのです。爛熟から末期的になっていたGSとゴッタ煮となった部分も否定出来ません。
エレキが不良でなくなったのは、この頃からでしょうか?
昭和45(1975)年には、いよいよ歌謡フォークのブームが本格化する兆しが表れ、エレキを使うバンドは時代遅れとなりつつあったのも、その表れでしょうか?
しかし、私は知っています。
フォークをやっている者にしても、セックス、ドラッグ、ロックンロールは好きなはず!
じゃ~なきゃ~、あんなに、だらしない反体制活動なんて、出来やしないのです。反戦ビラを配りながら、女をナンパしていた奴らが、大勢いたんですよ。
批難するつもりは、もちろんありません。
まさに素敵なロックン・ロールだったのです。