■Good Vibrations / The Beach Boys (Capitol / 東芝)
今日では20世紀大衆音楽を代表するとまで崇められる名曲・名演ですが、告白すれば、サイケおやじには、未だにそれが釈然としないというか、良く分からないのです……。
この曲はご存じ、アメリカでは1966年の秋頃に発売され、チャートのトップに輝いていますが、我国では恐らく翌年の発売だったのでしょうか? 当時のメモを読み返してみると、私が初めて聴いたのは昭和42(1967)年の2月になっています。
演じているビーチボーイズは、もちろんアメリカを代表するグループとして、明朗なサウンドと素晴らしいコーラスワーク、そして魅力的なメロディのオリジナル曲が大きなウリ♪♪~♪ 初期のサーフィンミュージックからハリウッドポップスの王道路線というヒットを連発していたわけですが、それがビートルズの登場により、些か進むべき道を狂わされた感があるのは否定出来ないと、私は思っています。
これはビートルズだけでなく、イキリスから襲来した多くのバンドにも言えることですが、その根底にあるのは、当時のアメリカの白人層が聴かない黒人音楽のリアルな真相でしたから、ビーチボーイズのような脱色系お洒落サウンドとは本質的に魅力が違うはずでしょう。
ですからビートボーイズのメンバーがビートルズのファンだと言っても、なんらの支障もないわけです。それなのにリーダーだったブライアン・ウィルソンは意識過剰となり、ビートルズに負けじとハッスルしすぎた後には、皆様がご存じのとおりの悲惨が訪れるわけですが……。
そんな歴史的な後付けをしても、このシングル曲の特異性を私は上手く説明出来ません。
以前にも書いたように、私が初めて買ったビーチボーイズのレコードは「Barbara Ann」のシングル盤でしたし、その前にもビーチボーイズと言えば、これっ! というサーファン系ヒット曲をラジオで聴いていました。それは私の感性からすれば、軽いなぁ~♪ という心地良さが確かにあって、決して嫌いではなかったのです。
ところがその頃の我国洋楽事情は、ベンチャーズやビートルズといった強いビートと激しいロックのリズムが求められ、それでなければウケないという時代になりつつあったのです。昭和41(1966)年1月に行われた待望の来日公演も、その所為でしょうか、前座のスパイダースの方が良かったという噂もあるほどでした……。
そしてこの頃を境にしたかのように、ラジオでもビーチホーイズが流れる頻度が減ったように思いますし、それゆえにリアルタイムの新作アルバム「ペットサウンズ」やシングルカットされた名曲「素敵じゃないか」も、私には印象に残っていません。
つまり今では決定的なロックの名盤となっている「ペットサウンズ」にしても、発表された時には注目されていなかったという事実が、アメリカばかりでなく、日本でもあったということですが、いかがなもんでしょう。今日の視点からは信じ難い現象なんですが、実際、サイケおやじがこの傑作盤を聴いたのは昭和47(1972)年の事で、それは当時のビーチボーイズの最新アルバムとして2枚組で発売された「カール&ザ・パッションズ」の、はっきり言えばオマケとされていた1枚でした。
今となっては徳用盤ということにもなりますが、裏を返せば、それほどに冷遇された状況が、この時点になっても解消されていなかったのです。ちなみにサイケおやじにしても、このアルバムを買ったのは某デパートの特設会場で行われた輸入盤バーゲンセールでした。なにしろ2枚組なのに1700円位で売っていたので、得した気分というのが真相です。
で、本日ご紹介の「Good Vibrations」ですが、既に述べたように昭和42年初頭の日本洋楽事情としては、まさに突拍子も無いとしか言えません。もちろん本国アメリカやロックの最先端地域だったイギリスにしても同様だったと思いますが、それにしても、いきなり聞こえてくる脱力したファルセットのボーカルは!!?!?!
フワフワした曲メロが不安感と妙な心地良さを誘う展開も微妙な雰囲気ですが、一転してサビに入ると力強いリフと低音ボーカルが交錯し、さらにクライマックスでは「グー、グー、グー、グッバイブレィショ~ン」と一緒に歌える楽しさに変転していくのですから、たまりません。
というか、強制的にそんな気分にさせられてしまう、ある種の詐術が、このレコードには間違い無く潜んでいると感じます。
ちなみに私は、既にビートルズの当時の最新アルバム「リボルバー」も聴いていましたが、そこにあったソリッドなビート感や温故知新のメロディのゴッタ煮、あるいは急進的な音作り等々には、完全についていけない本性を自覚していました。
ところが、この「Good Vibrations」には、分からないなりに不思議な馴れ馴れしさがあって、何度でも聴きたくなるのです。もちろんそれが、ヒット曲作りのポイントなのは言うまでもなく、私がシングル盤を買わされたのも当然でした。
後に知ったことですが、このシングル曲だけで録音には膨大な時間と夥しいスタッフが動員されていたとのことです。そこには悪いクスリの存在も否定出来ず、結果としてビートルズの先を行く瞬間が作り出せたわけですが、それゆえに制作の中心だったブライアン・ウィルソンは燃えつきて……。
まあ、これは当然でしょうねぇ……。こんな神の領域に近づくような創作をやっていたら、まともには暮らせないのが、この世の掟かもしれませんよ。
ということで、分からなくても雰囲気で好きになる♪♪~♪ という邪道に踏み込んだ、そのきっかけとなったのが、本日ご紹介のシングル盤でした。もちろん、それが音楽マスコミには「サイケデリック」と称賛されていたのです。
冒頭で書いたように、この曲の魅力というか、秘密には釈然としないものが、今でもあります。幾つものパートに分かれて録音された素材を強引にミックスさせたとか、どうやって作られたのか解明されない演奏やコーラスの化学変化的融合……。
中身と全然、ミスマッチなジャケ写とデザインも、それに拍車をかけているようです。
もしかしたら、そこが分かった時には、音楽を聴く最後の審判が訪れるのかもしませんね。
そして最後にもうひとつ、リアルタイムのサイケおやじは、この翌月にビートルズの「Strawberry Fields Forever」を聴き、またまたサイケデリック地獄へと道連れにされるのでした。