■ラスト・チャンス / 内田裕也とフラワーズ (日本コロムビア)
昭和元禄のGSブーム期には有象無象も含めて、プロ・アマに星の数ほどのバンドが日本中で活動していましたが、その中で第一線の売れっ子になったのは結局、それなりの実力とルックやチャンスに恵まれた者たちだけでした。
しかし、そうはならなくとも、決して忘れられない、忘れてはならないバンドがあって、本日ご紹介のフラワーズも、そのひとつです。
このバンドのリーダーだった内田裕也は、ご存じのとおり、ロカビリー時代から活躍していた歌手で、GS時代になってもブルージーンズに入って歌っていたのですが、そういうところから当時の欧米で最先端のプームとなっていたサイケデリックやニューロックと称された流行に対処すべく結成したのか、フラワーズでした。
まあ、私がこういう経緯を知ったのは後のことなんですが、それでも昭和43(1968)年の2月に体験したフラワーズのライプステージには、今もって強烈な印象が残っています。
この時は無料イベントということで、アマチュアも含めて幾つかバンドが出たのですが、フラワーズは流石に圧巻で、その演奏力とステージングの迫力には、集まった観客が呆気にとられていたと思います。実際、拍手をするのにも、戸惑いがあったというか……。
というのも、当時はGSブームの最盛期でありながら、一般的にはロックバンドの形態を維持しながらも、実は歌謡曲っぽいヒットを出せないバンドは認められていませんでした。もちろんゴールデンカップスのように、テレビやラジオでは歌謡曲ヒットを演奏しても、ライプの現場では凄すぎるニューロックをやっていたグループもありましたが、フラワーズの場合はデビュー直後という事実を抜きにしても、ある意味での「毒気」が強すぎたのです。
それは麻生レミと紹介された女性ボーカリストのエキセントリックな歌唱、スチールギターでありながら、全く聴いたことのないエグイ表現のリード&アドリブ、さらにバンド全体の重いビート感や目がチカチカするような照明……、等々!?!
既に皆様がご推察のとおり、麻生レミはジャニス・ジョプリンを強く意識していたのですし、スティールギターの不思議な音作りはファズやワウワウを繋いだ独自性が強烈! リズム隊の重いビートはクリームやヴァニラ・ファッジを狙ったものでしょう。
ところで私は、この時点で麻生レミを知っていました。
実は昭和40年頃だったと思うのですが、彼女はブルーコメッツの前座をやっていたバンドで、ギターを弾きながら歌っていたんですねぇ~♪ 今となっては、そのバンド名も定かではないのですが、とにかく彼女のロック的な美しさには、唯一度だけ接したそのライプステージでKOされていたのです。
その女神様がフラワーズの紅一点として、再びサイケおやじの前に現れた! その事実だけで、私はこのバンドが好きになりました。もちろん既に述べたようにスティールギターのサイケデリックなリードをメインにしたサウンドの凄さにも圧倒されていましたから、これは絶対、レコード買うぞっ! と決意したのですが……。
何故かフラワーズのレコードは売っていません!?!
そして本日ご紹介のシングル盤が発売されたのは、かなり後の翌年1月という、既にGSブームも衰退期に入ってからでした。
このあたりの事情については知る由もありません。
ただしフラワーズというバンドは、本格的なロックを演奏するという評価が高く、しかしデビューシングル曲が当時の慣例という歌謡曲が丸出しだった所為もあって、ほとんどヒットしませんでした。
それでもサイケおやじは忽ち、この曲が好きになりましたですねぇ~♪
麻生レミのボーカルはジャニス・ジョプリンの色なんて全く感じさせない、妙にベタベタとして演歌チックなコブシが素晴らしく、実は井上忠夫がブルーコメッツ用に書いたという歌謡曲王道のメロディと橋本淳のクールで熱い歌詞の世界を存分に表現しています。重いピートと印象的なスティールギターのサイケデリック的な展開も、こういう歌謡ロックには不思議とジャストミートしています。刹那のコーラスも良い感じ♪♪~♪
またB面の「フラワー・ボーイ」は全く笑ってしまうほど、当時のフォークロックとしてヒットしたタートルズの「Happy Together」にクリソツで、いやはやなんとも……。
本当に実際のライプステージと、これほどイメージが狂わされたレコードを出したバンドは、ちょっと珍しいように思います。
特に完全に独自の世界を作り出していたスティールギターによる熱くて幻想的なサウンドが、ここでは本当にわずかな魅力しか楽しむことが出来ないのです。
それは後に発売されたフラワーズの唯一のアルバム「チャレンジ!」でも同様で、当時の最先端ロックのカパー曲も演じられていながら、ただひとつオリジナルの「左足の男」というインストジャムだけが救いという……。
しかし、ご安心ください。
フラワーズの勇姿は、当時の映画のスクリーンで、きっちりと残されています。特に渡哲也主演の日活ニューアクション「無頼・殺せ」は代表的な出演でしょう。
また話が逆になってしまいましたが、企画アルバム「横尾忠則をうたう」という前衛オペラのアルバムにも参加して、サイケデリックがモロ出しな演奏を聞かせていますよ。
そうした音源は今日、各種の復刻CDに収められていますので、ぜひともお楽しみくださいませ。
最後になりましたが、フラワーズのバンドメンバーは内田裕也(mc,per,vo) 以下、麻生レミ(vo,g)、奥ススム(g)、小林勝彦(sg)、橋本健(b)、和田ジョージ(ds)、千葉ひろし(vo) の6人組としてスタートしたのですが、途中でメンバー交代もあったらしく、このシングル盤発売当時には千葉ひろしに代わって中村ケント(vo) が参加していたようです。
また実際のステージでは内田裕也が歌うことはほとんどなく、MCやタンバリンを叩いての盛り上げ役でしたが、このあたりもフラワーズが誤解される一因かもしれません。なにしろ私が二度目に体験したライプステージでは、酔っぱらって野次っていたお客さんに説教したあげく喧嘩になってしまったほどですが、お客さんあってのプロでありながら、こういう一本気な人って、私はこの時、初めて見ましたよ。
今でも様々に悪く言われることが多いんですが、内田裕也ほど生真面目にロックしているミュージシャンって、我国では貴重な存在だと思います。映画出演も多く、そこでは妙にスジの通った芝居を演じてくれますが、そのあたりも共通する何かを持っているのでしょう。
気になる麻生レミは、後に知ったところによれば、そのキャリアは昭和37年頃にレコードデビューして、「和製ブレンダ・リー」と称されたほど、パンチの効いた歌手だったそうです。その頃は麻生京子の芸名で、前述したようにブルーコメッツの前座とか、けっこう昔っから人気があったようですね。またフラワーズでは前述のアルバム「チャレンジ」のジャケットで、当時としては衝撃的なヌードまで、バンドメンバーと共に披露しています。
しかし昭和45(1970)年に入るとフラワーズを脱退し、アメリカで自分のバンドを結成したり、帰国してソロ活動もやっていましたが、現在では結婚して、アメリカで生活しているとか!?
ですからフラワーズもメンバーチェンジを経て、ついにジョー山中が在籍していたフラワー・トラベリンバンドとなり、日本のロック史に名を刻みました。
ちなみにバンドのサウンドの要だったスティールギター奏者の小林勝彦も、その前後に脱退して渡米し、現地で活躍したと言われていますが、それにしてもフラワーズで聴かせていたサイケなスライドギター風味のプレイは唯一無二! 同様の味わいはジェフ・ペックやデュアン・オールマンあたりの名手がスライドギターで演じていますが、やはりスティールギターというスライド本家を用いての音作りは、完全に他を圧していると思います。こんな人って、世界中でも小林勝彦だけですよっ!
ということで、GSと言えども、本格的なロックをやっては売れないというのが本日の結論ではありますが、この「ラスト・チャンス」は歌謡ロックの名曲名演として忘れてはなりません。
心底、私は大好き♪♪~♪