■コバルト・アワー / 荒井由美 (東芝)
これは私が初めて自腹で買ったユーミンのアルバムです。
A-1 Cobalt Hour
A-2 卒業写真
A-3 花紀行
A-4 何もきかないで
A-5 ルージュの伝言
B-1 航海日誌
B-2 Chinese Soup
B-3 少しだけ片想い
B-4 雨のスティション
B-5 アフリカへ行きたい
ユーミンとの出会いについては昭和48(1973)年に発売された最初のアルバム「ひこうき雲」のところで既に書いたように、以降の鑑賞主導権は妹に握られていたのですが、昭和50(1975)年春になってユーミンがカッ飛ばした初めての大ヒット「ルージュの伝言」、そして同年6月に発売されたこのアルバムからは、私が積極的になりました。
というか、そこには当然ながら経済的な事情があり、なんとかバイトで自由になるお金を得られるようになった兄の面目もあったのです。
しかし同時に日頃の言動から、ユーミンのレコードを買うことは、自分の中の少女趣味を見透かされているようで、あまり堂々としたものではありませんでした。
実際、この「コバルト・アワー」を入手したのは、またまた成人映画たる日活ロマンポルノのSM作品「お柳情炎・縛り肌(藤井克彦監督 / 谷ナオミ主演)」を観に行った帰り道、意図的に何時もとは違うレコード店に寄っての事だったんですが、なんとそこには高校時代の同級生だった女性が働いていたという、なんとも気まずい現実が……!?
もちろん彼女は私がフォーク歌謡なんか軽蔑していたのを、よ~~く知っていたので、かなりイヤミな微笑みを浮かべていたんですが、さらにまずかったのは、「いゃ~、バックの演奏が、最高なんだよねぇ」なんていう、実にブザマな言い訳を自分がしてしまったことです。
しかし帰宅して針を落とした瞬間、それはリアルな真実として歓喜悶絶の大噴出!
そのA面ド頭「Cobalt Hour」におけるバックの演奏は、ご存じキャラメル・ママ~ティン・パン・アレーを当時構成していた鈴木茂(g)、松任谷正隆(key)、細野晴臣(b)、林立夫(ds) が中心となり、この布陣はアルバム全篇で最高のサポートを披露しているんですが、特にここでのファンキーロックなフュージョングルーヴは強烈無比! 蠢きまくる細野晴臣のエレキベースはジャコ・バストリアスに先駆けた凄いものですし、煌びやかにビシバシ炸裂する林立夫のドラミング、彩り豊かなコードワークとオカズの魔術を聴かせる鈴木茂、さらに全体を俯瞰してカッコ良すぎるキーボードは松任谷正隆の真骨頂でしょうねぇ~♪
霞のようなユーミンのボーカルよりも、このトラックに関しては完全に演奏ばかりを楽しんでいましたし、もし当時、1980年代のような12インチなんていうブームがあったら、この曲は真っ先にそれが作られていたと思うばかりです。ちなみにしばらく後になって放送関係の仕事についた友人からのプレゼントだったんですが、この演奏パートと歌をループで繋ぎこんだ片面30分のカセットを車で流しまくっていた時期もありました。
それほどに、この「Cobalt Hour」は強烈な一撃だったんですが、惜しまれつつフェードアウトしたところから、続く胸キュンソングの決定版「卒業写真」に入っていく流れの素晴らしさにも絶句です。もちろんバックの演奏は夢みるように気持良く、そのあたりはユーミンならではのセンチメンタルな歌詞と曲メロを十二分に引き出していると思います。
ですから尚更にせつない「花紀行」や懐かしさも微妙に漂う「何もきかないで」、そして如何にも和製洋楽テレビ番組の「ザ・ヒットパレード(フジテレビ)」直系じゃないか? という嬉しい疑惑も濃厚な「ルージュの伝言」のオールディズ趣味丸出しは、R&Rリバイバルという当時の局地的な流行を職業作家的に展開させた流石の名曲♪♪~♪
そしてB面には欧州系ジャズ趣味が露骨に出たというよりも、実はパクリが悪質寸前という「Chinese Soup」が、その歌詞の本当に上手い表現によって憎むことが出来ませんし、その前段としてすんなりと置かれた「航海日誌」の存在が、安心感を増幅させているんじゃないでしょうか。
その意味でソングライティングとアレンジ、そして歌と演奏が、これ以上ないほどのコラポレーションを完成させている「少しだけ片想い」は決定的でしょう。詳細なクレジットが不明なアルバム全篇におけるコーラスワークも、この曲に代表されるように吉田美奈子や山下達郎あたりが個性的な声を聞かせてくれるのも高得点♪♪~♪
さらに個人的には、このアルバムの中で一番好きな「雨のスティション」へと続いていくイントロのコードの響き! それは今でも至福としか言えません。
こうして迎える大団円「アフリカへ行きたい」は、これまた冒頭の「Cobalt Hour」と同じようなファンキーロックのユーミン的展開なんですが、率直に言えば出来の悪いサンタナみたいでちょいと残念……。しかし打楽器優先のミックスや吉田美奈子中心主義のコーラスは明らかに当時の邦楽の常識を超えていたと思います。
つまり洋楽ファンにも許容される要素が、このアルバムで確立したことにより、ユーミンはメジャーになれたんじゃないでしょうか?
ご存じのとおり、同年秋には「あの日に帰りたい」という歌謡ボサノバのウルトラメガヒットを出し、いよいよ第一次黄金期を迎えるのです。
全体的な印象としてはパラード系の曲にしても、不思議な高揚感が滲んでいるアルバムなんですが、松任谷正隆との翌年の結婚を思えば、なんとなくわかる感じですよね。しかも驚いたことに、「荒井」から「松任谷」に姓を変えて活動を継続したという、およそスタアらしくないところも、ニューミュージック~ニューファミリーという当時の流れを象徴していたのかもしれません。
というかユーミンの存在があって、そうした流行が定着したのは、言わずもがなでしょうね。
今になって思えば、当時の私は日本のロックなら外道という硬派のバンドが一番好きでしたが、もうひとつの側面としてユーミンが好きになっていながら、それを決して口外出来ないという情けなさ……。
こういうイジケて弱気の本性は、今も決して拭い去れないものがあるんですが、ネットいう匿名性の強い懺悔の場がある以上、値打もない告白を今日も書いているのでした。