■My Sweet Load c/w Isn't It A Pity / George Harroson (Apple / 東芝)
お金が無いことは人生の苦しみのひとつですが、殊更好奇心と欲望が強かった若い頃には煩悩に繋がるほどだといって、過言ではないでしょう。
例えば聴きたいレコードが買えないという現実も、そのひとつとして代表格だったのが、ジョージ・ハリスンの金字塔! 驚愕の箱入り3枚組LP「オール・シングス・マスト・パス」でした。なにしろ日本盤が5千円でしたからねぇ。もう当時の音楽好きの若い男女にとっては、憤りと社会不満を爆発させかねないものがありました。
というのも、実はジョージのソロ活動には既に2枚のアルバムが発表されていたんですが、中身は電子音楽や映画サントラ音源という、些かロックやポップスの主流から外れたものでしたし、加えてビートルズの先行き不安……。
そんな中で大きな光明となったのが、本日ご紹介のシングル曲「My Sweet Load」でした。
シンプルなアコースティックギターのコードストロークと些か線の細いスライドギターが実に印象的なイントロに導かれ、そのメインの曲メロは親しみ易いフレーズを繰り返すだけの展開なんですが、ジワジワと心に染み込んで不思議と気分が高揚されられるという、所謂良い曲♪♪~♪
日本での発売は昭和46(1971)年1月でしたが、既にアメリカでは前年11月末頃に出ていたこともあり、レコード発売前から大ヒットは確実というムードでラジオから流されまくっていたと記憶しています。
そして今では、誰もが一度は耳にしたことがあると思われるのですが、驚いたことに世界中でこの曲がヒットしていた同年春、盗作騒動が勃発したのも印象的でした。
その元ネタは、黒人女性コーラスグループのシィフォンズが1963年にアメリカで大ヒットさせた「He's So Fine」であるとする訴えは、紆余曲折の末に原告側出版社の勝訴となり、確か58万ドル超の支払いを命じられましたですね……。
まあ、このあたりは感性の問題も大きいと思いますし、当時のラジオの洋楽番組では話題のひとつとして、この両曲を比較するなんていう企画もあり、サイケおやじもその時に初めてシフォンズの「He's So Fine」を聴いたんですが、そんなに似ているかなぁ……? というのが最初の印象でした。
ところが事態が変わったのは同年初夏になって世に出た、ジョディ・ミラーという女性歌手の歌う同曲のカパーバージョンで、なんとアレンジが「My Sweet Load」を強く意識!?! アコースティックギターのコードストロークのイントロまでも確信犯的に利用した、実に狙ったものでしたから、裁判所の判断が傾くのもムペなるかな……。
おまけに裁判の途中から、あの悪徳計理士のアレン・クレインが原告側に寝返ったり、シフォンズが「My Sweet Load」のカパーバージョンを出したり、さらにジョージ自身が当時の妻だったパティと親友エリック・クラブントンの不倫騒動に落ち込んだりしていましたから、この結果も致し方ないのかもしれません。
しかし、それはそれとして、とにかくジョージの「My Sweet Load」は素晴らしいですよ、やっぱり♪♪~♪
ジョージの内省的な優しさを強く滲ませる歌唱、それをバックアップするコーラスがひたすらに「ハレルヤ」「ハレクリシュナ」と歌う一途な信頼、あるいは信仰的ムードが、実に上手く融合していると思わざるをえないのです。
もちろんそんな個人的な思い込みは今となっての感想で、リアルタイムでは既に述べたように、全く不思議な高揚感に包まれた気持の良さが、この大ヒット曲の魅力でした。
それは演奏パートのシンプルな構成にも感じられ、特にアコースティックギターがメインの前半から途中でドラムスとベースが加わっての盛り上がりは、まさに信仰集会の趣なんですが、そんな胡散臭いものは少なくとも私には微塵も感じられず、逆に一緒に歌ってしまうほどです。
ハァ~レルゥ~~ヤッ♪♪~♪
ハァ~レリシュ~~ナッ♪♪~♪
ちなみに「ハレルヤ」は黛ジュンの大ヒットで耳に馴染んでいた言葉でしたが、「ハレクリシュナ」って??? 後に知ったところでは、ヒンズー教の神様のことだったのは、皆様が良くご存じのところだと思います。
ということで冒頭の話に戻りますが、この曲が大ヒットしたことにより、前述の3枚組LP「オール・シングス・マスト・パス」が尚更に希求されたんですねぇ。そして叶わぬ思いに現実の厳しさを痛感させられ……。
そんな気分で聴くとさらに刹那の境地なのが、B面収録の「Isn't It A Pity」でした。
切々としながら、何処か醒めた境地を滲ませるシンプルなメロディを湿っぽく歌うジョージ、それを覆い隠すかのような大仰なオーケストラの響き、意外なほど力強いリズム隊の存在は、なんだか何かの終りを告げられているかのような印象を受けてしまうのです。
ちなみに、今では当たり前のように言われているフィル・スペクターのプロデュースとか、それに関わる「音の壁」云々なんていう論説は、リアルタイムではほとんど関心の対象にもなっていなかったと思います。なにしろ問題のアルバム「レット・イット・ビー」制作に関する裏話や発売の経緯についてのあれこれが、当時は今ほど公になっていませんでしたし、フィル・スペクターその人が、既に忘れられた存在だったのですから!?
このあたりを後追いで体験してしまうと、また当時のジョージの音楽についての印象も変わってしまうかもしれませんね。個人的には、この「It Isn't It A Pity」について、なんてモコモコモヤモヤした野暮ったい音だろう……。なんていうのが正直な感想でしたし、それゆえに諦観漂うジョージの歌とメロディが心に染みくるという、なかなか不思議な体験をさせてもらったのです。
ということで、これもまた私にとっては青春の1曲♪♪~♪
そう言えは最初にラジオで聴いた時、曲名から「私の甘い道」ってなんだ!?
という強烈な思い違いをしていたのも、懐かしい思い出なのでした。