■シーモンの涙 / Ingland Dan and John Ford Coley (A&M / キングレコード)
和みの名曲と言えば、これが日本だけでヒットしたという歌も少なくありません。
例えば本日ご紹介の「シーモンの涙 / Simone」は昭和47(1972)年の夏の終わりから初冬にかけて、それこそラジオの洋楽ヒットパレードではロングセラーでした。
しかも当時の我国は空前の歌謡フォークブームであり、ですから歌っているイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーという男性デュオは当然ながら、そのジャンルでは最高峰を極めたサイモンとガーファンクルの系統に属するフォークロックとハリウッドポップスの折衷スタイルを前面に出しつつも、やはり素敵なメロディ中心主義が日本人の琴線に触れたという事でしょう。
とにかくイヤミのないストリングと隠し味のピアノを使ったアレンジがミディアムテンポでソフトな曲メロにはジャストミート♪♪~♪
ですからハイトーンも聞かせる二人のコーラス&ハーモニーが、そこはかとない胸キュン感を滲ませながら、ジワジワと心に染み込んでいくのもムペなるかな、分かり易い英語の歌詞もヒットの要因でしょう。
シーモン どうして泣くの
涙は何時かは乾くものなんだよ
心の中の淋しさなんか忘れるんだ
やってごらんよ
シーモン、どうして泣くの
キミにはまだ 人生があるじゃないか
みんな無駄にしゃうなんて…… ダメ!
さあ、シーモン
さあ……
さあ、シーモン、やってこらん
ボクが死んだからって……
ボクが死んだからって……
というような歌の内容は、相当にせつなくて厳しい現実ではありますが、それを如何にもロマンチックなメロデイに乗せてしまうというベタな演出は、これがヒット曲の重要ポイントであって、軽んじられるものではありません。
それはご存じのとおり、当時のブームで流行った歌謡フォークやポップス歌謡等々の若者向けの歌はもちろん、保守本流の歌謡曲や演歌だって同じ手法を基本にしているわけですからねぇ。
実は告白すると、サイケおやじはちょうどリアルタイムの今頃、ピカピカの新曲としてラジオから流れてきた「シーモンの涙 / Simone」を一発で気に入り、しかし周囲からは軟弱の誹りを受ける事も覚悟していましたから、高校の夏休みという人目を避けられる好機(♪)を利用して、このシングル盤を買ったのです。
そして同年秋の文化祭、バンド組の演奏発表会というライプの場で、これをやろうっ!
と提案し、ちょうど学校側からもロックよりは歌謡フォークみたいな演奏を強いられていた事もあり、見事に採用決定となったんですが……。
実際に自分達流儀のアレンジで何とかやってみても、イングランド・ダンとジョン・フォード・コリーが軽く聞かせるハイトーンのコーラスワークは出来るはずもなく、結局はフォーク組に頭を下げて(?)助っ人を頼み、どうにか急場を繕ったはずが!?
なんとメインでボーカル&コーラスをやってくれるフォーク組の二人が歌ったのは、陳腐なジコマンの訳詞による日本語変換!?
うへぇ~~~、これには提案者のサイケおやじも仰天して辟易でしたよ……。
しかし既に学校側には演目を届け、校内ライプ開催の了承を得ていたとあっては、文字通り「後の祭り」なんですから、ど~しようもありません。
ですから、今でもサイケおやじは「シーモンの涙 / Simone」を聴くと、和みと甘酸っぱい悔恨で胸がいっぱいになるんですねぇ。
まあ、それも青春の思い出と言ってしまえば、それまでなんですが、肝心のイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーは、この歌を出した時点でも本国アメリカでは泣かず飛ばずの無名時代だったそうですし、後に知ったところではデビューから2枚目のアルバムに収録されていた自作自演の「シーモンの涙 / Simone」が日本だけでもヒットした事により、元祖AOR的な音楽性で本格的なブレイクを果たした1970年代中頃までのレコードも出せなかった暗黒時代を乗り切れたというのですから、サイケおやじとしては、まんざらでもありません。
確か同時期に行われたスリー・ドッグ・ナイトの来日公演では前座としての出演もあったはずですし、1970年代に作ったレコードには、今も通用するソフトでお洒落な名曲がどっさりある事を鑑みれば、本人達の意識する部分とは別に、どこか日本向きのコンビだったのかもしれません。
ということで、本日も和みの歌に事よせて、高校時代の思い出を綴ってしまいました。
ちなみに件のライプの場でサイケおやじが入れてもらっていたバンド組の他の演目は、サンタナとかグランドファンクとか、CCRまでも勝手にやってしまった憂さ晴らし!?
ところが学校側からは何の文句も言われず、結局は届けた演目の中身なんか、ちぃ~っとも分かっていなかったんですよねぇ、大人の先生達には。
ふん、やったもんが、勝ちだなぁ~♪
と、またひとつ、世渡りを覚えた頃でもありました。