OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

秋になれば人形の家

2019-09-20 19:24:37 | 歌謡曲
人形の家 / 弘田三枝子 (日本コロムビア)
 

売れっ子だった歌手が何故か急にスランプに陥るのは、そりゃ~所謂「大人の事情」もあるんでしょうが、そんな裏側なんて一般社会のファンには知る由もなく、ただただ、なんでかなぁ……? と思うばかりじゃ~ないでしょうか。

例えば弘田三枝子の場合は昭和30年代後半の十代だった頃は洋楽ポップスの日本語バージョンを溌剌と歌いまくり、健康的なルックスと明るいイメージは人気の証でもあったんですが、昭和40年代に入ると、それまでのファン、殊更サイケおやじを含む子供時代からのファンを置き去りにしたが如くジャズの世界へ入ったようで、それは彼女も大人になったという事なんでしょうが……。

ですから昭和42年から翌年秋にかけての「渚のうわさ」「枯葉のうわさ」「涙のドライヴ」「渚の天使」「可愛い嘘」と続いた橋本淳&筒美京平の黄金コンビが提供していたシングル曲が、その素晴らしい出来栄えとは裏腹にセールスは伸び悩んでいたようで、個人的にはテレビの歌番組に出演する回数も以前よりは減っていた記憶があります。

ただし、サイケおやじは前述した5曲は何れも大好きで、歌謡界は熱狂的なGSブームに沸いていた中にあっても決して劣るものではなかったと今は思うんですが、リアルタイムじゃ~、地味という感じは確かにありましたですねぇ……。

だからでしょうか、その後、しばらく新曲も出なくなり、「弘田三枝子」という名前さえテレビやラジオから消えかけていた頃、突如として流行り始めたのが本日掲載のシングル盤A面曲「人形の家」で、それが昭和49年の夏の終わり頃でした。

そして秋から冬にかけての大ヒットは皆様ご存知のとおりなんですが、それと同時に話題沸騰となったのが彼女のイメージチェンジで、ジャケ写のケバイ印象は如何にも昭和元禄真っ只中ではありますが、なによりも驚かされたのが所謂ダイエット!?!

サイケおやじの記憶違いかもしれませんが、「ダイエット」なる言葉を初めて知らされたのが弘田三枝子の「人形の家」と同義語的な感じだったような気がします。

さて、肝心の「人形の家」は作詞:なかにし礼&作編曲:川口真が手掛けたドラマチックな歌謡ポップスというのは説明不要ではありますが、川口真が巧みにパクったのはシャンソン歌手のジャック・ブレルが世界的にヒットさせ、各国でカバーバージョンも多数作られた「行かないで / If You Go Away」でしょうか、曲調もサビメロもクリソツですよねぇ~~。

川口真は欧州ポップスからの影響が大きい作編曲の手法を得意にしていますが、ほとんど出世作とされる弘田三枝子の「人形の家」からして、それが証明されていると言えば、例によってサイケおやじの独断と偏見としてお叱りは覚悟しております。

しかし、やっぱりこの「人形の家」は弘田三枝子の卓越した歌唱力とセンスがあればこそ、ルックスもイメチェンした彼女ならではの表現は完全にテレビ向きでもあり、レコードで聴いてもグッと迫ってくる魅力に溢れていますよねぇ~~♪

この後の弘田三枝子は以前にも増してド派手な活躍を公私ともに繰り広げた(?)事は、あらためて述べるまでもありませんし、近年は激やせして、なんだか成形美容が目立つような風貌になっていますが、サイケおやじはやっぱり彼女の歌が今も大好きです。

そして毎年、今頃の季節になると、この「人形の家」が聴きたくなるのでした。
 
コメント (1)
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