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クローズアップ現代にムーア監督の最新作紹介      まもる

2009年12月03日 20時16分01秒 | Weblog
★今夜クローズアップ現代にマイケルムーア監督が出演しました。
 彼の集大作の『キャピタリズム~マネーは踊る』にいたるインタビューでかれの作品が大好きな私には素晴らしい番組でした。
 それを紹介してくれた菊池さんのメールを紹介します。
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京都の菊池です。
デモクラシー・ナウ!ジャパンhttp://democracynow.jp/
からまた今回もいろいろ興味深いことを教えていただきました。

今回一番目にマイケル・ムーア監督の新作『キャピタリズム~マネーは踊る』に関連してのことを伝えています。

 このマイケル・ムーア監督の新作「キャピタリズム~マネーは踊る」
http://capitalism.jp/

そしてNHKクローズアップ現代でも監督の新作『キャピタリズム~マネーは踊る』を伝えました。
マイケル・ムーア監督の新作『キャピタリズム~マネーは踊る』は、2009年12月
5日に東京と大阪で先行封切り後、2010年1月に日本全国主要都市で拡大公開予
定。監督のインタビューをとりあげました

新着ストリーミング *********************************************
2009.09.24-12 資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作『キャ
ピタリズム~マネーは踊る』
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2009年9月末に米国で封切られたマイケル・ムーアの新作『キャピタリズム~マ
ネーは踊る』(原題Capitalism: A Love Story 『資本主義─ある愛の物語』)
の標的は、世界を隅々まで支配する資本主義そのもの。資本主義は悪の制度で、
その本質はネズミ講だと喝破するムーア監督はこの映画で、民主主義を形骸化さ
せ政治と社会を牛耳る金融資本と、それに寄生する議会と行政に正面から切り込
み、返す刀で、問題の本質から目を背け弱者に責任を転嫁することで権力に擦り
寄る大手報道機関を切り捨てます。2008年、リーマンブラザーズ証券の破綻とA
IG保険の経営危機に端を発した世界同時不況、それに続く巨額の公的資金によ
る金融業界救済。「デリバティブ」や「クレジット・デフォルト・スワップ」な
ど、専門用語の煙幕に隠れて行われた「略奪」を誰にでも分るように説明すると
いう野心的な作品を通じて、21世紀のための新しい経済秩序が必要だと提言す
る、マイケル・ムーア監督に独占インタビューしました。

つづきはこちら→ http://democracynow.jp/submov/20090924-12 (動画 前
半30分 後半15分)

*マイケル・ムーア(Michael Moore)
1954年生れ。上記作品以外の監督作品に、ドキュメンタリーでは『Pets or
Meet: The Return to Flint』(1992年、国内未紹介短編、題名直訳『ペットに
も食肉にも─フリントに帰る』)、『ザ・ビッグ・ワン』(1997年、劇場未公
開)、『Slacker Uprising』(2007年、国内未紹介、題名直訳『怠け者の反
乱』)や、唯一のフィクション映画『ジョン・キャンディの大進撃』(1995年)
がある。テレビ用ドキュメンタリーシリーズとしても『TV Nation』(1994~
1995年、国内未紹介)、『マイケル・ムーアの恐るべき真実アホでマヌケなアメ
リカ白人』(1999~2000年)の二つを手がける。他に多数の著書があり、『アホ
でマヌケなアメリカ白人』(柏書房刊)、『おい、ブッシュ、世界を返せ!』
(アーティストハウス刊)、『アホの壁inUSA』(柏書房刊)、『マイケ
ル・ムーアへ─戦場から届いた107通の手紙』(ポプラ社刊)、『華氏911の
真実』(ポプラ社刊)、『どうするオバマ?失せろブッシュ!』(青志社刊)が
日本語に翻訳されている。

字幕翻訳:斉木裕明/校正:大竹秀子/全体監修:中野真紀子・付天斉

 
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スポーツ予算見直しの論点  文科系

2009年12月03日 12時18分45秒 | スポーツ
本日未明「専門馬鹿・スポーツ編」を送ったら、即コメントが3つ送られて来た。そこに応答コメントを書き始めたが、これは投稿の方が良いと考え始めた。以下も補足、追加でご笑覧を。

この記事(一つ前の投稿「スポーツ編」のことです)を書こうと決めたとき、影丸さんという同志が見つかった。彼のコメントにもこういう視点が見えたからである。
さて、僕はスポーツが好きだからこの記事は自分に大事な物。それで皆さんにも、こんな事を考えて欲しいと切に思ったもの。

サーカスが10あった。それぞれのブランコ競技の競演会をやってみた。それがテレビで放映されて大人気が出てきた。すると「これには社会的意義があるから大会経費に税金を出せ、世界大会にも出るから、それに向けた選手育成費も出せ」という人々が出てきた。
さて、これと大同小異の競技も多いのではないか。こう、僕は言いたいのだ。そういう競技と「国民的競技」とどこが違うというのか。ここが最大の焦点的論点。

やはり国民自身が多くやっていて、トップ選手がその持てるものをそういう国民にもできるだけ多く還元しようとしているかどうかということではないか。「国民のメタボ対策など健康増進に寄与している」「そのために国民をスポーツ好きにしている」とか、「サッカー界のようにプロとして儲けた金で、芝生のグラウンドを全国に何百も普及して、子どもに使わせている」とか、「そもそも選手たちに以上のような視点を協会が常に育成しようとしている」とか。
さて、そもそも、こういうことを考えたことがあるスポーツ協会、トップ選手がどれだけ存在するのか。考えたことがあっても、イチジクの葉っぱ程度にしかやっていないスポーツ業界がほとんどなのではないか。そんな所の選手たちの意識はこんなだろう。「自分がトップ選手になって、オリンピックに出る」「オリンピックに出ればプロにもなれるし、テレビ解説者にも」。そんな所、人に税金出すのは、上のサーカスとどう違う? テレビに映っているから「メジャーだ」ということだけだろう。そんな「メジャー」ならテレビ業界はきっといっぱい作りたいはずだろうが、まさか視聴者はこれにこうは言わないだろうね。「今観ているこの競技、きれいで面白いから、税金出して選手育成やってよ!」。

どのスポーツが国民的競技とはなっていないと、僕に言う力はないが、以上の問題点があることだけは確かだろう。この点で最も社会的活動が進んでいるのはサッカー界であるということも。だって凄く国民的活動をしているのだから。選手にそういう意識を育てようと協会も必死なのだから。
全てのスポーツ補助は、もう一度洗い直すべきだ。協会の税金消費体制ももちろんのことだ。

それにしても誰が組織したのか、今回の記者会見。仕分け人の「リュージュとボブスレー」発言を意識しているのは明らかだ。会見に出てきた選手が、女子レスリングとフェッンシング、アーチェリー、および「当事者」である「氷上スポーツ関係者」などなど。それにしても黒岩氏、よくも言い切ったものである。「マイナーなスポーツにこそ補助を!」って? これを形式論理で言えばこうもなるけど。「マイナーなサーカス競技にこそ補助を!」。税金を? 誰が考えても可笑しい。税金を出して貰おうというのならば、もう少しましなことが言えなければいけない。彼はそんな教育もされていないわけである。そんなスポーツ部門にどうして税を出さねばならないのか。オリンピックメダルを取るためだけの税なんか、僕は出したくないね。この黒岩発言、スポーツ界の恥をさらした!
コメント (7)
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専門馬鹿 その2 スポーツ選手編  文科系

2009年12月03日 00時48分03秒 | スポーツ
昨日、学者の専門馬鹿のことを書いた。文科省の天下り予算確保に活用されていないかと。そしたら今度は、本日の新聞にオリンピック選手たちの集団記者会見である。今日もまた「演出・黒子、文科省」に間違いない。「関係国民」の支持する「文科省予算」という構図を狙っているのも、間違いなかろう。国民の圧倒的支持による新政権の「政治主導」には、官僚たちもその向こうを張ってとばかりに「国民の支持があるよ」ね。
新聞見出しは、こうだった。
【 強化費縮減 「切り捨てに憤り」 太田ら実情訴え会見 】
表題のことを、オリンピック選手たちが集団会見を敢行して、次々と語ったということだ。こんなふうに。
『我々は練習時間を削ってアルバイトをしたこともある。諸外国の選手たちはそれを聞いてびっくりする』(アーチェリーの山本博)
『また仕分け人が「リュージュ、ボブスレーなどマイナーな競技にも補助が必要か」と指摘したことに関して、92年アルベールビル五輪男子スピードスケート銀メダルの黒岩敏幸氏は「マイナースポーツこそ補助が必要。切り捨てる言葉に憤りを感じる」と強い口調で語った』
『アテネと北京で2大会連続金メダルの女子レスリングの吉田沙保里(綜合警備保障)は「景気が悪いと、企業がスポンサーから下りて苦しい。安心して戦えるようにしてほしい」と台所事情を訴えた』

先ず思ったね。スポーツのアマチュアリズムがいつからこんなふうに、その欠片さえ見えないように、消え果ててしまったのだろうかと。次いで、選手たちはいつから、税金生活支援が当たり前と、そんな「世間知らずの感覚」になってしまったのだろうかともね。「メダルを金で買え」と言わんばかりだが、現下の大不況下では、改めて根本からスポーツ政策、支援金額も問われていると見た方がよいのではないかともね。例えば黒岩さん、こう批判したらどう答えるのだろうか。
「『リュージュ、ボブスレー』? そんなメタル要らんよ。その金を、生活保護や母子家庭に使って欲しい。トップ選手に毛の生えた程度しか国民に普及してないスポーツには、国民的意味はないし」
中にはこんな殊勝な発言も、あるにはあった。「税金で競技をさせてもらっていることを認識する必要がある」(フェンシング、太田雄貴)僕が思うには、この言葉は多分文科省の入れ知恵、やらせ。だって、他の発言は全部「税金出してもらって当然」という感じなのだから、これを和らげなきゃね。そして、そう、僕はこの点をこそ、批判したい。

先ず、オリンピックは競技が多すぎる。肥大化しすぎであると思う。そもそも国民がほとんどやっていないような「テレビで見せる」だけのスポーツは、オリンピックには要らないのではないか。そういうのがオリンピックに欲しいのは多分、それを商品とするメディアとその競技の協会だけだろう。その面では「リュージュ、ボブスレーなどマイナーな競技にも補助が必要か」という言葉は、マスコミ関係者以外には正論であろう。なんせ、巷に失業者が溢れ、納税者たちが悲鳴を上げている時代である。「税金でやらせてもらっている認識が必要」なら、「今苦しんでいる納税者の方々」という発言、視点こそがこの選手たちにも求められているのではないか。
さらにこんな事も言いたい。文科省予算、特に官僚の「中抜き」などを削るのは、国民が新政権に命じているところである。よって選手たちにも、協会役員にも、中抜きがないかどうかぐらいは、見ている責任があるのではないか。それは「税金で競技をさせてもらっていることを認識する必要がある」人の義務に属することではないか。中抜きを放置するようなスポーツ協会のその予算は、やがて全額削られてしまう口実にもなるよってね。
コメント (4)
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