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正真正銘「マスコミのウソ」にちなんで  文科系

2009年12月24日 19時41分15秒 | 国内政治・経済・社会問題
本日毎日夕刊のコラム連載「早い話が」に、表題の名を付けて良い報道がある。抜粋してみよう。

【 (前略) 4日、普天間飛行場移設問題を協議する日本の外相、防衛相と米国のルース駐日大使の会議が開かれた。その模様を産経新聞は翌日こう報じた。
――関係者によると(ルース大使が)穏やかな語り口を一変させた。「いつも温厚」(防衛相筋)で知られるルース氏は、岡田克也外相と北沢俊美防衛相を前に顔を真っ赤にして大声を張り上げ、年内決着を先送りする方針を伝えた日本側に怒りをあらわにした。という――
 この記事について、岡田外相は8日の記者会見で「大使が顔を真っ赤にした」という情景描写を「全くの創作です」と否定した。 
 岡田氏は言う。会議の席には通訳を除けば、岡田、北沢、ルースの3者しかいなかった。「関係者」はどこから大使の顔色を見たのか。「大使もしっかりと自らの主張を言われましたが、別に顔を真っ赤にするとか、怒鳴り上げるとか、冗談じゃない」
 「関係者」氏は、米国は怒っておるぞと言いたかったのだろう。(中略)
 藤原帰一・東京大学大学院教授と衛星放送BS11の番組「インサイドアウト」で話す機会があった。米国で国務省幹部と会ってきたばかりの藤原氏は、「米国が怒っている」という日本の論調に米国は閉口しているという。当初、米国は普天間問題で強硬に出たが、ゲーツ国防長官の訪日がゼロ回答に終わったので、これまでの対応が失敗だったと「反省している」のだという。
 アフガニスタン増派を抱えた米国は、日本との関係も大切だ。「顔を真っ赤に」して脅すだろうか。藤原氏の見方はわかる。それにつけても、だれだろうね、よく新聞に出てくる「関係者」というのは 】

さて、アメリカ相手に日本の弱さばかりを目立たせる論調が最近のマスコミに非常に多いが、これって何だろうね。これは僕もこのブログの方々も、よーくここに指摘してきた。日本は世界1の個人貯蓄があるがあちらは借金王国、イラク、アフガンなどで世界の心ある人々からは嫌われているなどなどなど、アメリカの方が遙かに弱いことばかりであるのに、そっちは全く書かないのである。そこで思った。どうも、今の政権がアメリカ相手に粘っている点、例えば普天間問題とかを、原案通りに速く進めてもらいたくて仕方がない連中がいるらしい。長引いて、新政権がやっている「原案決定までの経過の検証」(岡田外相)が進むと困る連中が。防衛相、外務省、国交相などがその巣窟なのかな。また、彼らのメッセンジャーがマスコミなどにもうじゃうじゃいるのか。とーそう思ってみていたら、今日の夕刊にもこんな記事があった。社会面だ。 

【元局長2人の懲戒要求 普天間調査 防衛省で支出違反 会計検査院 】
「米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴う地質調査で、部下が契約変更をしないまま追加業務を発注しているのを知りながら容認したという」
「検査院は、『重大な過失があった』と判断した。懲戒要求は今回で57年ぶり7件目」

 さてこんなことが、普天間が長引き決定経過検証が進むほどにぞろぞろ出てくるのではないか。省庁トップもただでは済まないようなことが。
 普天間問題、もっともっと長引くほどに、官界が浄化されるだろう。これは自らの族議員たちが絡んでいる旧政権にはけっしてできなかったこと。新政権がんばれ!!
コメント (4)
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二人の労組委員長       只今

2009年12月24日 11時01分52秒 | Weblog
 今日(24日)の『朝日新聞』「ひと」欄に、「何もしなかったことを恥とし、水俣病と闘う」という恥宣言をした新日本窒素労組元委員長・山下善寛さんが紹介されていました。
 入社試験の面接で「会社のためなら何でもします」という答えた者を最優先に入社させてきた会社で、患者と共に闘うことを宣言した労組が、かってはあったのです。
 組合はその後、会社の切り崩しにあい、二人いた組合員も四年前には退職して解散とのことですが、日本の労働運動史上、稀有な存在と言われたこの労組の「六十年の闘いの軌跡展」が現在全国を巡回中も、名古屋では開催されないのが残念。
 ところで「水俣病」はもう終わったのでしょうか。先の国会で、ばたばたと特措法が可決されましたが、今後も出てくるであろう患者に対しては、十分に対処できないのではないかと、山下さんは訴えています。
 水俣と言えば、この12月、「みなまた海のこえ」という映画が完成したそうです。
原作は、文=石牟礼道子、絵画=丸木位里・丸木俊で、映画の製作・配給は「kkオバスセブン」
 
 そういえば、かってこの山下さんと同じように、我慢しきれず内部から起ち上がった労組委員長がいました。それは大鵬薬品の研究技術者であった北野静雄さん。
 北野さんは、発ガンの危険がある新薬が売り出されようとしていることを知り、なんとか止めねばと思ったのですが、ノンポリの北野さんはどうしていいか判らず。組合を作ると、会社側は会わざるを得ないと聞き、労組を立ち上げ委員長になりました。そして120名の研究者のうち組合員となった80名の研究者を核とした団体交渉を積み重ねる中で、新薬の販売を断念させました。
 しかし、北野さんは係長職を奪われ、80人の仲間も切り崩しにあって残ったのは8人だけ。そんな中で生まれたのが、薬害被害者を始めとする市民による「支援する会」。その後押しの中で始めた裁判闘争に勝利。会社も11年後には謝罪し、今現在、健在。
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週刊新潮のトップ記事   らくせき

2009年12月24日 09時47分37秒 | Weblog
今朝の新聞の広告に週刊新潮が

「天皇家は韓国から来た」
喝采を浴びた「小沢一郎」幹事長
ソウルの不敬発言。

という広告記事が載っていました。

天皇家は韓国から来た、には
少し正確ではない点があります。
韓国は、なかったのですから
朝鮮半島から来た、が正確です。

しかし何の嘘もいっていません。
日本人のかなりの部分は
朝鮮半島からやってきた人の子孫。

この記事を書いた人だって、その可能性は高い。

いったい何を言っているのか?
(まあ、記事の目的は、分かりますけれど)

この記事のとおりに不敬だったとしたら
天皇家はいつから始まったんでしょうか?

すくなくとも平安時代以降になりますが・・・

コメント (1)
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