このところの新聞・テレビが不愉快、それは政権批判を装っての現実直視論が横行しているからです。
状況は全く同じではありませんが、敗戦から十年を経たばかりの1956年、首相の鳩山一郎が、九条に疑問符を投げかけた時の丸山真男の言を思い出しました。
「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストから始る。テーマは改憲」
この警戒警報発令から半世紀、その間いろいろありましたが、ともかくも九条改悪はくいとめてきました。
自民党に「改憲調査会」が発令された翌年、松田道雄は、核兵器廃絶というまともなことが大きな声にならないのは、何故かという問題提起をしました。それを受けて昨年、この1982年の松田発言は今もそのままになっているようだと、なだいなだがこう書きました。「どんな立派な意見にも耐用年数があり、繰返し同じようなことを表明していればあきられる。まともなことが通らないから、いらいらして声高になる。そのことにより、悪感情すら抱かせてしまう。正しいだけではどうにもならない現実がある」。
また、小泉選挙で大敗した時、「82歳になり疲れました。展望も開けないのに、仲間うちだけで声を大きくしても空しいのです。好戦派の元気のいい連中と闘う力をください」(『市民意見・会報』秋田・武石)という投書がありました。
しかし、なだいなだは、「アフガニスタン派兵反対」のステッカーを貼った車に乗り、82歳の武石さんは、共感と励ましの声をドンと受け、もうひとふんばりと語り部を続けておられる。
「坂の上」ドラマが話題になつていますが、その司馬遼太郎は、イラク侵攻が始った1091年こう言い切りました。
「アメリカが自らの物差しを世界に押しつけたことで、これからの現代史は大くずれに崩れるという結末を迎えるでしょう」。
今その事態は、いよいよ進行!
何をしたらいいのだろう。ともかく、国家、法律、世間よりも、個人を優先させる「市民的不服従」を武器として、多様に、ごそごそと生きるほかしかないと。
「寅の年迎ふ一病息災に」とは角川源義句ですが、小生の罹病は三つ。
「のどかなり願ひなき身の初詣」の芭蕉にたいして小生は、依然として「あれこれの願いいっぱい初詣」ではありますが、貝原益軒の「老後一日を楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし」を殊勝に口ずさんで、ともかくも新年へ!