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書き下し小説 「読者って、いじわる」(2)  文科系

2012年05月01日 00時04分43秒 | 文芸作品
 
 この作品「家出に限る」は、ある人から見ればこんな感想になろう。「こんなことをなぜ書いたのだろう」。あるいは、こういう人、感想があることも今までの体験から承知している。「正直な人なんだ!」。ところで、こんな事ばかりを気にしている同人誌活動など、僕にとって面白いわけがない。自慢をしていると見られた批評にはウンザリなのだし、かと言って「正直な人ね」と褒められるのも、どういうか嫌だ。太宰治の作品を「こんなに正直な人がいる!」と仰ぎ見る人々も多いようだが、そんなのは芥川賞をもらいたくて陰で彼がどんな立ち回りをしていたかなどが見えていないボンボンかお嬢様の批評を喜ぶようなもんでもあるのだし。
 こんなような事から、今後の同人誌活動をどうするかをあれこれと悩んでいた末に、世間をよく知っているある親しいギター友だちに、メールを出すことになった。ちょっとしたお決まりの挨拶のすぐ後にまず「家出に限る」を載せた上で、その本文はこうだ。

【 世の中難しいもん、そういう話を一つ。
 昨年12月27日ブログの随筆「音楽の幸せ」の合評が、昨日同人誌例会であったのね(この前僕らのブログで、君にも見てもらったが、僕のギター生活、その喜びを書いた作品ね)。こういうのを大抵、自慢と取られるのですよ。僕は自分の一番楽しいことを表現したいだけなのにね。そしてこんなことまで聞いてくる。「定年後に習ったんでしょ?それで、ここまで行くかしら?」なんてね。僕が自分に楽しいことを書くと、大抵このように語る人、思う人がいるわけ。それでね、楽しいこと(「自慢」)と違うことも書いてやろうとして、わざと違う随筆を書く心境にもなってくる。ちなみに、上の作品、「家出に限る」がそれね。
 ところで、文学らしい喜怒哀楽の良い方を書くと自慢で嘘が入っている、って? 悪い方を書くと「こっちは本当だろう。正直な人ね」、って? 後者では「正直な人」が、前者では「嘘も入って」って、なんか世の中おかしくない。また、こんなことばかり考えとると、妙に神経が過敏になってねー。人のちょっとした言葉にも引っかかるようになるし、多くなった強い自己主張の語調もどんどん厳しくなってくる。果ては「押しつけがましい人」とも言われるしね。そんなことをこの頃特に良く思う訳。「年取って短気になってきた」だけじゃなくってね。上の作品の中の連れ合いとの喧嘩でも多分、こういうすれ違いがありそうなのね。世の中難しいねー! 】

 このメールにさて、翌早朝、折り返しで返事が来た。
【 (前略)昨夜のメールを読んで言葉を失った。ギター教室発表会欠席(あなたには全く珍しいことだ!)の理由は分かったがとても驚いた。余程腹に据えかねた末のことだとは思うが、暴力はどうだったのだろうか……。
このメールに書きたいことが一杯あるが、やはり会って話した方が良いと考えた。
明日27日(金)11時30分からレッスンがありますか? もしあるのなら、私がその前だから一緒に昼食は如何ですか?
レッスンがなくても私のレッスン(10:30-11:30)終了後にお宅周辺で会ってもいい。
返事を待っている。】
 なんと親身な応えではないか。この友人、何故か僕のことをとても大事にしてくれていると感ずるのだが、「居ても立ってもいられない」という気持ちさえ伝わってくる。そこでかえって心配になって、こんな返信となった。
【 レッスンに行きますから、その後で。
 ただね、夫婦にはそれぞれ、とんでも無い組み合わせや歴史があるもの。僕らの50年も、一般的な話で手に負えるものではありません。僕らは本当に正反対の生い立ちなのに、お互い性格が激しすぎる。僕は、「世界を狭くした話」(これも、やはり読んでもらったはず。数年続いた高校同窓生の飲み会に腹を立てて退席し、以降自分からは抜き差しならず、何人かが助け船を出してくれてやっと復帰した事があってね、その体験を、随筆にした話)のような男だし、連れ合いは実は、そんな僕に輪をかけた激しさ。結婚するまで6年間が良く続いたなと思うほど、あらかたの喧嘩は済ませたつもりだったんだけどね。以降のそれを全部見てきた娘はこう言いますよ。「カーさんの過干渉、押しつけの激しさは家族の誰もが猛反発してきたように前から強烈だったけど、最近はトーさんがそれを拒絶するようになったから、激しくなったんだよ」。この話は止めておいた方が良いと思うよ。僕に隠すものは何もないけどね。】
 折り返しの返信はこう。
【 連絡、ありがとう。
それじゃ~、明日はあなたのレッスンに同席させてもらおう。その後に一緒に昼食を楽しもう! そして今回の話は止めておこう。 】
 これへの僕の返事はこう。
【 「レッスンに同席」、大歓迎だね。有り難う。先生との合奏が3曲、レッスン曲が2つある。いや、先週やったのであなたの知らない名曲を一つ増やして、三つにしようか。うち一つはセゴビア編集のソル練習曲集から17番で、もう1曲は隠れた名曲と言えると思うが、メルツの「ロマンス」。この後者は多分、僕の「大好きな曲・暗譜群」に入れる。】

 さて、こういうメールやりとりの中から、この二人の会食に向けて僕にある思惑も湧いてきた。我が人生の多分、最後の中間総括の第一歩の機会にしてみようというのだ。中長期総括・計画が無い会社などは今のような時代にはすぐに潰れるように、これのない人生など納得できるものになるはずなどないではないかと、若い頃から幾たびかやってきたことだ。もっともこんなことを語っていても、人生の転機がいくつかあって必要に迫られてこれをやってきたに過ぎず、そのつどの計画が基本的に上手く行ったなどと語る積もりなど、全くない。誰の一生でもない、自分だけのたった一度の人生。これを計る物差しなど何処にも、何もないのだから。ただ、間違いなくこうは言える。こういう事どもを経てきたからこそ、口うるさく、押しつけがましく、他人の言葉に色々引っかかるようになったことは確かだと思うのだ。でも、総てにどこか小さくないあるボタンの掛け違い、自己錯覚があったみたいだと考え始めていた。連れ合いとの喧嘩の激化、同人誌での居心地悪さ、同窓飲み会全員にけんかを売ってのっぴきならなくなった事件などなどを並べてみると、そんな思いがして仕方なくなっていたのだ。
(続く)
コメント (5)
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