5月9日、らくせきさんが大西五郎さんを引用して最近のテレビの動向について触れていらっしゃって、私も「ドキュメンタリー賛歌」というタイトルでコメントを付けさせていただいたのですが、そこで紹介した東海TVの阿武野克彦さんが今年、芸術選奨文部科学大臣賞をお受けになったことと関連して、「朝日」の12日付夕刊の「ナゴヤカルチャー」欄にドキュメンタリーについてお書きになっています。
「ドキュメンタリー 世に問い続けて」と題した短い文章のなかで、氏は、「現実に働きかけて、その関係性を映像で描くこと」をもってドキュメンタリーだと規定しています。ここで浮かび上がる「関係性」こそが私たちの観るべきところでしょうね。
ところでそうした信念のもと懸命に作ったものが残念ながら全国放送にならず、限られた人たちにしか観てもらえない現実があるようです。そこで、氏たちは昨年から、それらの作品をリメイクし、映画用に編集したものを全国の志のある館で上映することを始めています。
私が先のコメントでも述べ、その試写に招待していただいた『青空どろぼう』もまさにその一環だったわけです。
ところで、氏らがカメラを向けるのは必ずしも万人に肯定される綺麗なものばかりではありません。むしろ暗部といっていいものも含みます。「なぜ反社会的なものをも撮るのか」という問いに氏は答えます。
「反社会的でもそれは社会の一部で切り捨てたり排除するだけでは世の中は良くならない」のだと。
この短い文章での氏の結語部分はこうです。
「テレビに愉快なものばかり求め過ぎではないでしょうか。自分の考えとは違うものは観ないとか、その裏返しに、批判にさらされるから表現を控えるとか…。不幸な回転をし始めると、テレビは堕落します。」
原発問題を始めとして、日本の現実には目を離すことができない事態が目白押しです。氏を始め、その他の地方局でドキュメンタリーに携わっている皆さんが、今後ともにそれらの現実の「関係性」を白日のもとにもたらしてくれることを期待したいと思います。
また同時に、私たちも「テレビに愉快なものばかり求め過ぎ」ることなく、それらの人たちの努力を応援し続け、もってテレビの「不幸な回転」を押しとどめたいものと思います。
「ドキュメンタリー 世に問い続けて」と題した短い文章のなかで、氏は、「現実に働きかけて、その関係性を映像で描くこと」をもってドキュメンタリーだと規定しています。ここで浮かび上がる「関係性」こそが私たちの観るべきところでしょうね。
ところでそうした信念のもと懸命に作ったものが残念ながら全国放送にならず、限られた人たちにしか観てもらえない現実があるようです。そこで、氏たちは昨年から、それらの作品をリメイクし、映画用に編集したものを全国の志のある館で上映することを始めています。
私が先のコメントでも述べ、その試写に招待していただいた『青空どろぼう』もまさにその一環だったわけです。
ところで、氏らがカメラを向けるのは必ずしも万人に肯定される綺麗なものばかりではありません。むしろ暗部といっていいものも含みます。「なぜ反社会的なものをも撮るのか」という問いに氏は答えます。
「反社会的でもそれは社会の一部で切り捨てたり排除するだけでは世の中は良くならない」のだと。
この短い文章での氏の結語部分はこうです。
「テレビに愉快なものばかり求め過ぎではないでしょうか。自分の考えとは違うものは観ないとか、その裏返しに、批判にさらされるから表現を控えるとか…。不幸な回転をし始めると、テレビは堕落します。」
原発問題を始めとして、日本の現実には目を離すことができない事態が目白押しです。氏を始め、その他の地方局でドキュメンタリーに携わっている皆さんが、今後ともにそれらの現実の「関係性」を白日のもとにもたらしてくれることを期待したいと思います。
また同時に、私たちも「テレビに愉快なものばかり求め過ぎ」ることなく、それらの人たちの努力を応援し続け、もってテレビの「不幸な回転」を押しとどめたいものと思います。