九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ちょっと気になる動き     らくせき

2012年05月15日 09時38分29秒 | Weblog
アメリカが韓国に核を配置する、という動きがあります。
北朝鮮の核武装を念頭に置いた動きですが、これらの動きは
日本の核武装論を勢いづかせる恐れも指摘されています。
朝鮮日報の記事です。

 日本は憲法で「戦争と武力行使の放棄」を定めている。
1968年1月には「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という
「非核3原則」を発表し、これを守ってきた。
日本が数千個の核兵器を製造できる約50トンのプルトニウムを保有しながら、
核開発に着手しないのはそのためだ。

 ところが最近、日本の非核政策に変化が表れ始めた。
次世代の政治指導者として頭角を現している橋下徹・大阪市長は
「強い日本をつくるためには核武装が必要だ」と主張している。
また、日本の代表的な右翼政治家、石原慎太郎・東京都知事も
日本の核武装を強く求めてきた。石原知事は今年1月のインタビューで
「(結成を推進している)新党への参加は、核兵器の模擬実験の実施を
提唱することが条件だ。
それが駄目なら、スーパーコンピューターを通じてでも模擬実験が
できるようにすべきだ」と語った。右派政党の支持率の上昇を意識した
自民党などでも、憲法改正論議が活発に行われている。
韓国政府は、米国議会で韓国への戦術核再配備を主張する声が出てきたことが、
日本の右派を刺激しかねないとの見方を示している。

北朝鮮の金王朝の核問題は、21世紀の東アジアの危機の種と
ならないように・・・・拉致問題、戦後賠償と一挙に解決する時が
すこしづつ近づいているかも。
政治の出番なのですが・・・




コメント (11)
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書き下し小説 「読者って、いじわる」(5)最終回  文科系

2012年05月15日 09時17分49秒 | 文芸作品
 書き下し小説「読者って、いじわる」(5) 文科系

 Kさんとの昼食会を終えて帰宅し、ブログを開いた。そこにも載せていた「家出に限る」に対して、ある機会を捉えて、文字通り非難ごうごうが始まっていた。ペンネームAさんがこんな事を語ったのが、始まりだ。
『前にたしか自分のことを小説家だともおっしゃっていましたが、(中略)奥様の言論に対してドメスティック・バイオレンスを振るい、それを得々として述べませんでしたか?
 それに対して、私は驚いて「それはフィクションで事実ではないでしょう?」という質問を差し上げましたがそれにはまったくお答えになりませんでしたね。私はそれでもって事実をお認めになったと判断いたしました』
これに僕が応戦すると、今度はDさんの参戦、こんな言葉で。
『それにしても、「世間を狭く」する数々の所業にめげず、じたばたされる行為には感嘆します。
 お連れ合いに暴力振るわれたこと、このことだけなら、なんとも懦夫としか申せませんが、家出したのはお連れ合いでないということは、少なくとも「出ていけっ」との卑劣な言動はなかったものと推察し、頬緩む次第です。
 しかし、(中略)お連れ合いは、なんと言われたでしょうか。このこと、叱られませんでしたか?』
 このDさんがその後も改めて重ねられた、同じ質問は、
『肝心なことを逃げてはいけません。(中略)お連れ合いには、いつも見せられているようなので聞いたのです。お連れ合いは、何と仰有いましたか?』
 これらの遣り取りが何往復も続いた末に僕が最後の方でやったまとめ様のものは、いかに頭に血が上っていたかを示している。
『元々僕はピエロ覚悟でここをやってきたもの。「その人が入っていない社会・政治論など抽象的活動家然と喋って、何が面白い?」と、書いてきたとおり。
 対して、人の権威を借りたデバガメなり、誠実な回答もきちんと書けない無頼漢なりが、何を覗こうが何を言おうが、僕はただ思い感じたことを正直に答え、書いていくだけ。必要な謝罪などいくらでもできますしね。そもそもそういう覚悟がなければ、あんな随筆などを以前から載せているはずがないということです。ここにと言うよりも、人生に臨んでいる覚悟が違うのですよ。と、こー、かっこよく言っておきます』
 最後の最後では、Hさんのこんな諫言というか、もう、嘆きというか。
『覚悟して望んだ結果ならば何故もう少し余裕を持った態度をとれないのでしょうか。野次馬、デバガメと書く様子からは、批判に対して過剰に反応しているようにしかみえませんが』
『貴方がズレてるかひねくれてるだけではないですか。「僕はこんなに正直なのに誰も分かってくれない!」と、何だか幼児が駄々をこねて悪態をついているような印象しか受けませんが 』

 さて、ここまでの僕が全て本当の姿なら、この後一転した僕もまさにそうなのである。ただ振り返れば、この二つ、あまりの変転に今はただ驚いているし、何故こうなったのか、いまだによくは分からない。が、精一杯事態の描写に努めて、今後への戒めとしたい。そういう義務を上の皆さんに対して僕なりに果たしたいと思い立った。
 そのコペルニクス的転回は、こんなことを考えていた時に、始まった。
「そんな縁起物みたいなこと、どうでもいーですわ」。主宰先生に面と向かってこう毒ついても、その場を納めてくれた同人誌例会。酷いDVがあって、やった方が人生初の家出を敢行しても、辛うじて何とか持っている我が夫婦。娘夫婦もこれを静観しているらしいし。
 これらに対するに、このブログの光景はどうだ!
 この程度の「文章だけで」良い紳士たちが巣から一斉に飛び出しあった蜂(失礼)。売り言葉に買い言葉とどんどん煽りあうその火蓋を切った俺はハリネズミと化し、あちこち突き出し続けた毒針が1本の蜂よりも遙かに多いと来ては、「駄々をこねて悪態をついている」幼児なんてもんじゃないぞ。その親でさえ捨て置いたフリして物陰から長く様子を見るしかないのであって、それが大人なのだから完全な決裂と言いうるだろう。もっとも、この「完全な決裂」もすべて言葉の上の事なのであって、もともと見ず知らずの間柄間の出来事。これは一体そもそも、何という光景であるのか!
 無限定の見知らぬ人々を知人のように巻き込み、スピード豊かにかつ相乗的に展開されてゆくこの壮大な世界は、実は幻にも等しいものなのだ。言葉を言葉で「実証」するしかない世界なら、そんな比喩しかないではないか。幻の大風車に闘いを挑んでも勝利なんてあるわけないし、そもそもこの闘いはどうあがいても実戦にはなりえないのである。それを、実戦よりも大事なものと見ていたなんて!

 ふっと、同人誌の人々が懐かしくなった。子供心に残った田舎家の縁側のように。恥ずかしいけれど言うのだが、連れ合いを愛しいものに感じた。そして、キッチンを振り返り、流しに立っている彼女の横に立ったら、こんな言葉が口を突いて出た。
「『世界を狭くした話』って、覚えてるだろ。あの、随筆合評のまとめって、まだ報告してなかったよなー。今読み上げたいので、聞いてくれるかなー?」
 忙しいからとかなんとか拒んでいた彼女を無視して、強引かつ一方的に、早口で読んだ。
【親しい同級生仲間との亀裂。作者の態度が礼を失するのは事実。が、それも個性ですと押し通す作者の独りよがりともいうべき強さと潔さに拍手。お連れ合いの達観視した意見も好感がもてる。後に仲間とほぼ元通りの関係にと聞き、友情に乾杯】
 彼女がどんな表情になったかは、俺は俯いていても分かった。
 そして俺は、この随筆の結びの一節を想い出している。
【さて、僕の中でことが一段落したある夜、この始終をそのままに連れ合いに持ちかけてみた。考え込む風もなくすぐに、こんな答えが返ってきたものだ。
「あなたのアイデンティティー絡みなのだから、譲りたくなければそれでよし。というかあなたにはむしろ、外って置く方を勧める。ただ、もし向こうが改めて出ろよと言ってきたらどうするの?」
 僕は一瞬、彼女の目を見直した。こういうときの連れ合いの迷いのなさには時に驚くことがある。がすぐに、僕への忠告含みとも受け取ることができた。一種自分を譲りすぎて誤解とか損とかを招いてきた僕を知り抜いているからだ。そこで僕は、こう答えた。
「だったら出席して、あの随筆を読み直すよ」。
 こんな人間がいると主張し尽くすのも良いことかもしれない。特に、日本の男たちには。】
 この時の彼女の答えの「言葉」は、無限の重さを持っていたのである。

終わり
コメント (3)
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