九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

映画の紹介:「真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染を巡って」   bb

2012年05月25日 15時53分05秒 | Weblog
知人が知らせてくれました。
netで見ることができます。約50分です。
消されないうちにご覧になることをお勧めします。

http://www.youtube.com/watch?v=oryOrsOy6LI

WHO(世界保健機関)と IAEA(国際原子力機関)が共同で開催した2001年キエフ国際会議の模様を捉えたドキュメンタリーです。チェルノブイリ事故のあと高血圧症、脳卒中など成人病に苦しむ子どもたち、健康そうに見えても息苦しくなるので走って遊べないという子どもたちの映像を挟みながら示される会議の模様は、事実を隠そうとする科学者、医師と事実を明らかにしようとする科学者、医師との厳しい対立をまざまざと見せてくれます。そこからは原子力にかかわる世界の構図が浮かび上がってきます。それは3.11以降、私たちの前にある避けて通れない現実だと思いました。いささか中途半端な記述ではありますが、とりいそぎご案内まで。

 原題:Controverses nucléaires
 監督:ウラディミール・チェルトコフ
 フェルダ・フィルム/2004年
 日本語版制作:Echo Echanges France、りんご野
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ザックジャパン(35) 見つかった遠藤の後継者! 文科系

2012年05月24日 10時36分09秒 | スポーツ

 昨日のアゼルバイジャン戦は、不満も多かったにしてもいろいろ発掘もあった良いゲームだったと思う。先ず、パスなどにキレがあって、ボールが良く回ったこと。ボール保持率が6割近く、シュート数が相手の3倍強というのがそれを示している。不満は、前半早いうちに得点がなかったこと、あの相手、このゲームなら4点ほど入っても良かったはずだ。が、なんと言っても最大の収穫は、3人の新人が初めて見えたこと。なかでも、東京の高橋秀人と柏・酒井は重要な戦力になると観た。
 特に初めての出場時間が45分にもなった高橋の活躍は、ほとんどの人の目にとまったのではないか。キープ力があり、縦パス、スルーパスなどボールをさばく戦術眼、技術もあって、おまけに脚も速そうだ。あのチームでもう何度も出ているように見えたのは、僕だけではないはずだ。流石、躍進東京の不動のボランチと言えるし、長谷部・遠藤の後継者がやっと見えたと僕は思ったものだ。ボランチとして万能の彼と、ドイツでの実際の対戦ゲームでマークを任された香川をさえも完全に抑え切ってしまった細貝。この二人が長谷部・遠藤の後ろに控えているというのは、なんとも心強いことだ。なお細貝は、相手が強くなるにしたがって不可欠になるボランチだと思う。

 なお高橋自身は昨日のできを、まだまだ不満と、こう語っている。ヤフースポーツから、スポーツナビの記事である。
【 「やっぱり自分らしさも出せなかったし、いろんなところでもっと突きつめていかないと、(代表の)ピッチに立つレベルではないと思う。ただ45分、出られたことを前向きにとらえて、クラブに戻ってもこの経験を常に頭に入れながら、もっとこうしようという基準を大事にして、FC東京も個人としても成長できるように勝負していきたいと思います。
(中略)
 (出る前に監督から言われたことは?)所属クラブでやっているプレーをやってくれと言われて、いろんな選手からもそういうことを言われたし、本田圭佑さんとかが、『色々言われていると思うけど、自分のプレーばっかりやればいい。周りを気にせずのびのびやれ』と言ってくれたので、ピッチの中では(細貝)萌さんとかもすごい気をつかってくれたりもしたので、そういうコミュニケーションという点では仲間のつながりを感じました。ただ、プレー的には良くなかったので、また戻って来られる様にクラブでしっかり結果を残したいと思います」 】

 ここでは余談であるが、同じヤフースポーツから岡のゲーム後談話も紹介しよう。チーム全体を責任持ってみている、やはり素晴らしい選手だと改めて思い直した。自分の得点のことは何も語らず、まるで監督談話のようではないか。ぼーっとした顔をしているのに。中田英寿でさえここまで語ったかどうか?!確かまだ、26歳になったばかりだ。

【 「代表は左でどうしてもボールを持つので、右サイドはシンプルにやるべきかなと思っていた。右サイド(でのプレー)は久しぶりだったが、徐々に慣れていった。あとはボールを持ったときにどう展開していくか。やっぱり、右も左も攻撃できて、日本は強くなると思う。日本の生命線はパスのクオリティーなので。

(本田圭祐が入ったことで)ボールが落ち着く。でも、頼ってしまってはダメなので。預けながらも、どこからでも仕掛けられたほうがいい。圭佑頼みになったら成長は止まる。空いたとしても使わなかったり、そういうのも必要なのかなって思う。こういう相手だから今日は勝てたけど、カウンターでも戻りきれなかった場面があったので、次はもっと引いてプレッシャーも厳しいし、カウンターを狙ってくるだろうから。

(最終予選本番に向けて)自分としては90分やれたのが収穫。チームとしてはパスのクオリティーがまだまだですね。左で作って右に来てシュートとか、それが両サイドできないといけない。ただ、左で攻撃する分、右は絞ってカウンターを防ぐことが、今日はできたので本番でもあり得るかなと。(長友)佑都も(香川)真司も攻撃的になったときに右サイドはちょっと絞り気味で攻めて、そういうところでボールを奪えていたので、左の特徴を考えて、右でバランスを取りました」 】 
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        毎日新聞(5/24)のスクープ         只今

2012年05月24日 10時03分02秒 | Weblog
                       一面トップの見出し
                            ↓
                  【 秘密会議で書き換え ー 核燃サイクル報告原案 】
                  【 再処理を有利に ー 推進側集め 】 

 =内閣府原子力委員会は4月24日、経産省・電気事業者ら推進側だけを集め「勉強会」と称する秘密会議を開いていた。
  席上、「取扱注意」と記載された報告書には、総合評価が書き換えられていた=
     
● 小林直記者の解説→ 再処理にこだわるのは、再処理できなくなれば使用済み核燃料の捨て場所を速やかに決めなければならない。無理なら原発停止に追い込まれる。
  高コストと判明しても再処理にしがみつくのは、影響が原発政策全般に及ぶからだろう。
  地に落ちた信頼を取り戻すには、秘密会議参加者を一切タッチさせない新体制を作り、議論を一からやり直すほかない。
                  
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私たちには100円、企業には10円 電力会社の商法   あんころもち

2012年05月23日 17時10分19秒 | Weblog
 以下は、読売が23日伝えたニュースです。

    ====================================

 電気料金の値上げを巡って、東京電力が経済産業省に提示した料金の収益構造の概要が22日分かった。
 それによると、2006~10年度の5年間の平均で電気事業の利益の9割強を家庭向けなど「規制部門」から稼いでいる。
 家庭向けの料金制度は発電コストを積み上げた原価を元に料金が決まるが、算定方法の見直しを求める声が改めて強まりそうだ。
 23日に開かれる「電気料金審査専門委員会」の第2回会合で提示される資料によると、東電が販売した電力量2896億キロ・ワット時のうち家庭向けは38%、大口向けが62%だ。
 売上高でみると、電気事業収入4兆9,612億円のうち家庭向けは49%、大口向けは51%とほぼ同じ比率だ。
 だが、1537億円の利益のうち家庭向けは91%、大口向けは9%になっている。つまり、電力量で4割弱を販売している家庭向けから9割の利益を稼ぎ出している構図だ。(略)

    ====================================

 ようするに東電は、一般には100円で売っている電気を大企業には10円で売っているということなのです。
 ということは、今回の原発事故の後始末も、その9割の負担は家庭向けの料金からまかなわれると言うことです。
 大口が優先されているだろうなと思いましたが、まさかこんなに格差があるとは・・・・。
 こんな商法はほかでは決してありえないはずです。

 この際、原発関係のみならず、電力の供給体制、そしてその事実上の寡占状態をも含めて、電力関係の大掃除をすべきでしょう。

 
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 ”急に面白くなった、激変Jリーグ”  文科系

2012年05月21日 15時16分21秒 | スポーツ

 Jリーグが、実に面白いことになっている。従来の強豪が軒並み不振で、新強豪が現れ始めたと言って良い。何かが音を立てて変わり、リーグ全体が急激に進化しているのは明らかだろう。その「何か」を追求し、確かめるのが、本稿の狙いである。こんなことを考えていると、ゲーム観戦がさらに面白くなる。

 前々年度優勝の名古屋は、10位。古い強豪では、鹿島が13位、ガンバが16位なのである。ついでに、前年度優勝の柏も、15位だ。対するにベスト5は、仙台、広島、清水、磐田、浦和と、近年ここの常連とは言えなかったチームが並んでいる。アジアチャンピオンズリーグで疲弊したチームが落ちているとは言えるが、このグループリーグ突破を東京が真っ先に決め、このJ1復帰チームは同時に6位にも付けている。リーグが実力伯仲になったとも言えるが、何かが起こっていることも確かだろう。

 僕はここで、去年12月からこんなことを書いてきた。近年のJ2上がりのチームがJ1上位を占めるのは、こういうことではないかと。特に近年のJ2で球際を競り合う厳しさ、強さが増し、敵ボールを高く良い位置で奪う組織技術が増強されたと。こういう選手を相手にして同一チーム内で紅白戦などを闘っている選手たちはまた、味方ボールを安易には奪われないパスサッカー組織技術も高くなっていると見てきた。現在上位にいるチームは全て、こういう傾向のチームと言える。前後を詰めたコンパクト布陣の高い位置で敵ボールを強引奪取して、そこから強靱に鍛えた体を生かした高度なパスサッカーを展開するチームなのである。今や、敵ボールの強引奪取が高い位置でできない、技術だけのようなチームに、大きなものは望めないと言いたい。
 対して古豪チームは、軒並み失点が多い。名古屋も鹿島も少ない順で9位、ガンバに至っては17位である。得点においても、4位の鹿島は別格だが、名古屋9位、ガンバ14位である。シュートチャンスで言えば、鹿島は多く、名古屋、ガンバは少ない。これらの古豪が新顔に良い位置で強引にボールを奪われ、他方執拗なプレスに対して攻めあぐんでいる姿ばかりが、目に浮かぶのである。

 以上のことから、今後の闘い方の推移と、順位の成り行きなどを占ってみたい。もちろん、集団球技では監督が最も大切だと思うので、それも考慮しながらのことだ。もっともこれらすべて、僕の知識の範囲内のことでしかないから、たかが知れている。知らぬことは知らぬと言うしかない。

 鳥栖のような少数の堅守速攻・カウンターチームを除いてのことだが、敵陣で上手くボールが奪えないチームは勝てなくなる。また、奪ったらすぐに縦パスを入れる人材がいないと、やはり駄目だろう。「前が敵ボール方向を限定しボランチで奪い、そのボランチから攻めのパス」ということであって、二人のボランチが、あるいはセンターハーフ2人がとても大切になってくると思う。守備も込みにして言えば、この二人とセンターバックとの連携が、チームの要になっていくのではないか。もっとも、まーこのようにボランチ中心の組織を作っていくのは監督なのであるが。
 さて、以上から言えば、今後上位に入っているはずのチームはこうなると思う。

 仙台は、監督と2人のボランチ角田、富田はリーグ屈指だと思う。失点数最少、得点数2位というのは、いまや当然の結果と見るべきだろう。一昨日古豪グランパスを4対〇で負かしたのは必然、とも。浦和の監督と両ボランチ阿部、スズキは、その実績から見ても強いと思う。代表に選ばれた長谷川、高橋のほかに梶山までボランチができるFC東京が、初出場のアジアチャンピオンズリーグを日本で最初に勝ち残ったのには、これまた必然性があると観た。清水と磐田は監督が未知数だし、選手が若すぎて僕には判断が付かない。古豪の中では、柴崎がいる鹿島が、得点力も新事態に対応できているようだし、伸びてくるのではないか。今のJには珍しい堅守カウンターの鳥栖は、もの凄い走力が土台となっているのだから、夏場を含めてそんなには崩れないだろう。問題はグランパスだが、はっきりとした形がないのだから、若いボランチを鍛えてチームの形を作らせるほどにしないと駄目だと思う。新監督の川崎と神戸だが、これは間違いなく上がってくると、誰でも観ているはずだ。

 Jリーグがますます激しくなり、面白くなり、代表も紅白戦で激しくぶつかり合ったりして、外国人相手には当たり弱いという弱点を克服しつつあり、どんどん強くなると期待したい。
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               野田さん、それは卑怯だよ! と大竹まこと      只今

2012年05月21日 10時52分57秒 | Weblog
            NHKテレビに登場した野田首相は、大飯原発再稼働に関して、
            「突然、停電になった場合、人工呼吸器に頼っている人の人命にもかかわる」と発言。
            これに対して大竹まことと室井祐月は、あるべき人間の姿についてこう語った。
             文化放送『大竹まことのゴールデン・ラジオ』5/18より

【アナ】 こちら『東京新聞』なんですが、福島県が18歳以下の子供を対象に甲状腺検査を進めているんですが、
    その結果は「おおむね良性」と。「再検査は必要ない」という判断を下したという記事が載っているんですよね。
 
【室井】 えぇっ! ちよっと待って。今は良性でも定期的に検査しなければいけないんじゃないの?

【大竹】 あのね。3割以上にのう胞のほか、180人に直径5ミリを超えるしこりが見られているわけ。
    これ、これって人の命の問題だよね。

【アナ】 で、このこと福島県立医科大学の健康管理センターに問い合わせたところ、
    「担当の先生は忙しくて、直ぐに返事はできません」と断られたので、
    では検査を受けた子供の親は、お医者さんの説明を受けられなかったと言っていますがと聞くと                               「隣の人に聞こえてしまうので説明しなかった」という風に答えていて、要領を得ないということなんですね。

【大竹】 しかも、だよ。この健康診断を受けるのに同意書が必要だっていうんだよ!
    要するに、検査を受け辛くしているとしか、俺には思えない。
    
    「人工呼吸器止まっっちゃうかもしれない」ってそりゃ心配だよ。
    だけども、ね。いまあちこちで電気がでてきましたとか、あちこちで取り回しすれば電気もギリギリ回るんじゃないか、って
   言われはじめているなかでだよ。
     この「人命にかかわる」っていうのを持ち出すっていうのはね。ちよっと卑怯じゃないか、と。 
    




  

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新聞の片隅に載ったニュースから(17)    大西五郎

2012年05月20日 08時38分43秒 | Weblog
大西さんの「新聞の片隅に載ったニュースから(17)」です。らくせき

「機密費6億3000万円 野田内閣発足から半年で」(2012.5.19毎日新聞)

「政府は18日の閣議で、野田内閣発足後の昨年9月から2月の半年間で、
官房機密費として6回にわたり計6億3000万円を支出したとする答弁書を決定した。
共産党の塩川鉄也衆議院議員の質問趣意書に答えた。
菅前内閣の昨年4月から8月まででも、6回で計6億円を支出。
11年度の官房機密費の未使用額は2176万円で、4月に国庫に返納した。
藤村修官房長官が9月をめどにまとめる方針を示している機密費使途の
公開基準については『内閣総務官室を中心に、論点の整理や諸外国の
状況把握等を行なっている』と説明するにとどめた。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   
官房機密費は正式には官房報賞費と呼ばれ、国政の運営上必要な場合、
内閣官房長官の判断で支出されるもので、情報収集などの費用とされていますが、
支出には領収書を添付する必要がなく、会計検査院による監査も免除されています。
今回の毎月1億円ずつの支出もその内容は明らかにされていません。

 宇野内閣の官房長官であった塩川正十郎氏は「外遊する国会議員に選別として
配られた。政府が国会対策のため、一部野党に配っていた。」などと話しています。
また、宮沢内閣時代には政治家のパーティ券の購入費に当てられたり、
小渕内閣時代に複数の政冶評論家に盆暮れのあいさつ代などで数百万円が
渡されていたことも明らかになっています。
そして2009年8月の総選挙で自民党が敗れ、民主党政権が生まれることが
明らかになった同年9月河村建夫官房長官によって2億5000万円が
引き出されたことも明らかになっています。
政権から離れることになった官房長官から誰に渡されたのでしょうか。
その支出にどんな必要性があったのでしょうか。

 民主党は野党時代に機密費の公開を政府に求めていましたが、
政権に就いたら「オープンにしていくことは考えていない」と態度を変え、
世論の非難を浴びました。このため、一定限度の時間が経った案件など、
どの程度を公開するか検討するとしていました。

 なお今回質問趣意書に回答したことは、朝日新聞も12行のベタ記事で、
中日新聞は官内閣の分を含め支出年月日と額を報じています。
 しかし一番詳しい毎日新聞でも、26行の記事です。
マスコミは、高知県警や北海道警など警察の捜査報償費が裏金化されていることを
明らかにする突っ込んだ取材をしていますが、半ば公然の秘密ともいわれている
官房機密費の問題になると嗅覚が鈍くなるのでしょうか。
社会部と政治部の体質の違いなのでしょうか。
実態解明に力を注いで欲しいと思います。
                                       大西 五郎
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新聞の片隅に載ったニュースから(16)    大西五郎

2012年05月19日 19時13分59秒 | Weblog
大西さんの「新聞の片隅に載ったニュースから(16)」です。らくせき

NHK労組「(経営委員長の東電取締役)就任反対」(2012.5.17朝日新聞)

「東京電力の社外取締役に数土文夫・NHK経営委員長が就く人事について、
NHK職員で作る日本放送労働組合(山越淳委員長、組合員7600人)は16日、
『経営委員長が重要な取材対象の責任者を務めること自体、
公共放送の自主自立を疑わせる要因になりかねない』などとして、
就任反対の立場を示した。
局内に『経営委員長の東電取締役就任に反対』と題した文書を張り出した。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   
 NHKの数土経営委員長が民主党推薦で東京電力の社外取締役に就任することが
内定したことについては、報道機関の責任者が取材対象となる企業の取締役に
就任することで、取材に何らかの影響がでるのではないかという懸念が
就任内定発表の記者会見でも出されていました。

 朝日新聞も、数土氏が東電の社外取締役に就任することが内定したのを受けて、
15日に「NHK経営委員長、社外取締役に 東電報道への影響は」という記事を
掲載し、「公正な報道の観点から議論を呼びそう」と報じました。
NHKは経営委員が個別の番組内容について口を出すことは放送法で
禁じられていることから、「経営委員の外での役職が報道に影響することはない」
(経営委員会事務局)と静観の構えだ。
一方で、「報道機関の経営トップが今なぜ、よりによって最大の取材対象である
東電に入るのか」(NHK幹部)と心配する内部の声もある」と報じました。
(経営委員の発言が波紋を呼んだ過去がある。古森重隆経営委員長(当時)が
海外向けの國際放送について「利害が対立する問題については当然、
日本の国益を主張すべきだ」と発言した。数土氏も「もう少し番組の編集方針について
執行部側と経営委員側との意見交換があってもいいのではないか」と
制作方針に言及することがある。)

 さらに16日には「NHK数土氏 国会招致も 自民 東電社外取締役就任なら」と
続報し、「15日に開かれた自民党総務部会の幹部会合で、数土氏が社外取締役に
就任の意向を示したことに対して、『加害企業の取締役と(報道機関である)
NHKの経営委員長は両立できない』『公正な放送が可能なのか』など
否定的な意見が続出した」ことを伝えていました。

この問題では、実際に放送の仕事に携っている職員はどう考えているかが
重要な問題点ですが、これまでの報道では各新聞とも、政界や「識者」の反応を
伝えるだけでした。
朝日新聞が組合の反応を伝えましたが、実際に取材に当たる現場の声を
丹念に拾って伝えて欲しいと思います。
                                       大西 五郎
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         橋下市長さん、古賀さんをどうしますか?       只今

2012年05月19日 06時54分44秒 | Weblog
       ●17日付本欄に、古賀茂明さんの発言を「恐るべき関電の陰謀」として紹介しましたが、
        その古賀発言について、本日(19日)の『朝日新聞』は次のように否定的に報じました。
          =ネット上で古賀氏への批判が広がっている=         
        そこでその代表的批判とされる「謂われなき誹謗中傷と、身内に甘い橋下市長」というブログを見てみますと、
        この人は、「原発を動かさないことは、生活や生産活動が犠牲になること」と記すブログの人でした。
        ならば朝日新聞は、「古賀氏発言に対しては賛否両論」と記すべきではなかったか。それはさておき記事はこう続く。

=古賀氏は朝日新聞の取材に、「昨夏以降、やるべき電力不足対策をしてこず、安全性をすっ飛ばして再稼働を急ぐ関電の姿勢を批判する意図だった」と説明。橋下市長は報道陣に、「古賀氏の発言は公で発言するぎりぎりのラインを超えるか超えないか。関電がクレームを出すのはもっともなこと」と述べた=

        ●古賀さんの懸念は、=全28基の火力発電設備のうち、13基は点検時期を延期して夏に臨む=(毎日新聞5/
        13)という関電の現状からきたもの。
         =突然、停電になった場合、それは人命にかかわるんです=
         という首相発言(5/17NHKニュース)のほうが余程テロ発言とはいえないか。
    
        ●朝日の橋下談話で気になったことがある。
         それは、橋下市長が、「この機を逃さじ」と古賀さんをお払い箱にして、
         再稼働へと舵を切らないかという懸念です。 
         橋下市長は15日、森関電会長ら財界人と会談し、「トップの話が聞けてよかった」(共同通信)と述べ、
         =理想論ばかり掲げては駄目。生活に負担があることを示して、府県民に判断してもらう=(毎日新聞4/27)
          と既に再稼働路線の道筋を示しているからです。

          橋下市長を繋ぎ止めている4人衆の皆さん、いましばし、隠忍尽力をお願いします。
      

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ザックジャパン(34) 新代表24人に思う  文科系

2012年05月19日 00時09分50秒 | スポーツ

 このブログ、今アクセス急増中。書き下し小説連載①をめぐる遣り取りが、僕のコメントも含めて今やあまりに馬鹿馬鹿しく思えるのか、皆さんそろって笑いながらもう一度覗かれていたということなのでしょうか。問題の、8日エントリーへの13日辺りまでのコメント紛糾から昨17日までのアクセスが、選挙前後のような賑わいとなった。それぞれ305,291,274,297,442人! 1日平均300人であれば久しぶりに一週間で2000人アクセスを超えるということになる。前回の2000アクセス超は去年8月21日からの週で、2157人。

 さて、フットボール日本新代表に遠藤、今野が入っていない。全く珍しいことだ。代わりに唯一の初代表として、長谷川アーリアジャスールが初めて呼ばれた。25日にグラとガンバなど4チームのJリーグゲームがあるにしても、非常に面白い選出法だと僕は観たのだが、ザックらの今の思いは以下のように、こんな所だろうと推察する。

 ガンバ大阪の今の体たらくはどうだ! いくら西野監督が十年ぶりで替わったという事実があるにしても、ファンには許すことができない現状である。選手自身には全くネガティブな言葉を投げかけないよう配慮をするザックだけれど、こんな声が聞こえて来るようだ。
【今野君と、特に遠藤君! このままの状況では、君らを代表には呼べないよ! 君らそれぞれ代表では、DFの要と、真ん中の柱だ。その君らが、自チームを立て直す有効な助言すらできないようでは、代表チームが上手く行かない時に一体僕はどうしたらよいの?見事にガンバを立て直して見せてよ。そしたら、代表が調子の出ない局面を君らが中心になって立て直せるように、一皮むけるはずだから。そういう場面を是非見せて欲しいものですね】

 対するに、FC東京! 例によってDFを中心に4人も呼ばれている。GKの権田、サイドバックの徳永、センターハーフと呼んで良い守備的DFで高橋秀人。そして、前述唯一の初代表、長谷川アーリアジャスールもこのチームから選ばれた。望む外国籍選手を全部呼んだような今回において、4人も入っているFC東京がいかに良いチームか分かろうというものだろう。なんせ代表に選ばれた日本在籍選手は13名しかいないのであって、その中の4名である。東京で育った長友も入れれば、5人だ。

 このFC東京と対照的なのが、グランパス名古屋と仙台だ。この2チームからは、誰も選ばれていない。ただし、その意味は全く異なっていて、対象的なのだと僕は観た。一昨年の優勝チーム・グランパスの場合はこう。「個人技は高いが、チームプレーが今の代表チームには全く合いません。チームコンセプトが、日本代表チームとしてはちょっと古すぎます」。仙台の場合はグラとは全く対照的であって、こう。「チームプレーは斬新にして凄いが、個人技はまだまだですね」。この対照を解説、解明するならばこう。ピクシーは凡庸な監督だけど、他方の手倉森誠は名監督だと。仙台の優勝もあり得る現状と言うことだろう。グラを思うからの苦言の積もりだ。

 さて、ザックはいつも、本当によくJリーグゲームを観ており、Jリーグが良くなっていくような代表選出を心がけていると推察したものである。素晴らしい監督だ。目前の勝利ももちろんだろうが、長期的にその国のサッカー振興をこそ心底願っていると改めて思った。本当にイタリア人監督らしくない人柄だとも。
 イタリアのフットボールは長年「自チーム勝利第一主義」で外国選手に頼り、育成を怠ってきた。加えて、経済のどん底状態も相まって、もう当分立ち直ることはできないだろう。長友に対する「悪評」さえ、僕はこう分析している。フントボ-ル貧困国の、格安日本人ドル箱スターの1人を、海外に出したくないのだと。また、本田に対してもこんなニュースがいち早く流れた。「チェスカの要求額は高すぎる。イタリアで本田を欲しがっているチームは、もう他の選手に鞍替えし始めた」と。これは、移りたいと願う本田の奮起を煽っているともみることができる。
 ザックが嫌っているベルルスコーニが、あの国のフットボールを牛耳りすぎてきた。良くない商売人が牛耳ればこそ、あの国に八百長が絶えないのだと、僕は確信している。ここ2、3日また新たな八百長が明らかになったのだ。
 ザックは、自分をこう自己分析していると感じる。自分はイタリアのオーナーたちと違いフットボール自身が大好きなのだし、日本人に似て、その仲間を真に大切にするという意味において実直で、勤勉なんだなー。 
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         NHKさん、あれこれあるでしょうが……              只今                   

2012年05月18日 21時32分04秒 | Weblog
 18日(金)NHK19時の『ニュース7』は、
 「3、11の原発事故に関連する自殺者は61人」と報じた。
  あぁ、61人! と、初めて聞くその数字を口ずさんだ。

  しかし、2時間後の『ニュースウオッチ9』では、自殺者の数は13人と変わっていた。
  61がなぜ13になったのか。
  一言の訂正、釈明もなかった。
  何があったのか。

  「ニュースウォッチ7」では、
  「焼身自殺したフクシマ避難者の遺族が東電を提訴」のニュースと併せて、
  “ げんぱつさえなければ ”と壁に書いて命を絶った酪農家のことを報じてくれた。
  そのことに敬意を表し、併せて望みたい。諸兄姉の奮闘を。
  
   
  
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保安院の大罪(67) 「被害後遺症の誤魔化し開始か!」  文科系 

2012年05月18日 15時49分12秒 | 国内政治・経済・社会問題

 今日の中日新聞に僕が恐れていた言葉で言えば標記のような記事が載っている。15面のほとんどを使った「甲状腺検査で不安は消えず」。1面のこの記事紹介名では「甲状腺検査 募る不信感」とある。以下に、まずこの記事を要約する。中日新聞を読んでいるのは全国的には限られた人だから、意味が大きいと思うのだ。そして、次に、こういう動きの「意味」を書いた、以前の拙コメントを再掲したい。以前5月3日だったかの只今さんエントリ-「関電は、はっきり言った。再稼働と電力不足は関係ない」でこんなことを書いたが、この文中最後4行のことが現実となって始まっていると、僕はこの記事をそう読んだ。

 まず、記事の要約。【 】文章は本文から取ったもの。
 事故時18歳以下であった子ども36万人について、甲状腺の超音波検査を行うことになっている。そして、線量が高かった警戒区域13市町村、38,114人の子どもについて3月末に検査結果が出て、それが発表された。【5ミリ以下のしこりや20ミリ以下ののう胞を認めたもの35.3%】、【5ミリ超のしこりや20ミリ超ののう胞を認めたもの0.5%】、【直ちに二次検査を要するもの0%】という結果であった。さて、その扱いとか、親の質問への対処とかを記者が追跡して【「甲状腺検査 募る不信感」】をあちこちで確認したと、これがこの記事の趣旨である。まず、どんな不信があったか。
 要するにこういうことだ。
 家庭への結果報告では【「しこりなのか、のう胞なのかも分からない。健康な子どもにも存在するのか、なんらかの異常なのか。次の検査は2年ごと言われても・・・・」】。そこで、0.5%に入った検査を受けたある子どもの母親ユキ子さんが、実際に県の委託検査機関福島県立医大に問い合わせた例が載っていた。その返事がこう。「担当の先生は忙しくてすぐに返事できない」から、「説明は裏面を読んで」だけ。こんな記事文も見られたものだ。
【ユキ子さんは検査に付き添ったが、医師の説明はなかった。その理由を聞くと「隣の人に聞こえてしまうので」。納得できなかった】

 極めつきはこのこと。県立医大の副学長が、1月16日付で日本甲状腺学会会員の医師にこんな文書を出したらしい。
【2次検査の対象にならない子どもの保護者からの問い合わせや相談には「次回の検査を受けるまでの間に自覚症状が出現しない限り、追加検査は必要がないことをご理解いただき、十分にご説明いただきたく存じます」】
最後に、チェルノブイリ事故後遺症に詳しい医師などを登場させて、その発言。
【「チェルノブイリ事故後に18歳未満の子を対象とした検査結果で、直径5ミリ超のしこりとのう胞がそれぞれ約0.5%現れたとの文献がある」(中略)「しこりについてはチェルノブイリと同程度と言える。しかし、のう胞をより大きな20ミリ以下と20ミリ超で分けており、直径の比較ができない」(中略)「少なくとも半年に一回は経過を検査する必要がある」】
 また別の医師は、影響がない地域の子どもを調べ比較する方法も、やる気があればできるはずだと語り、さらにこんな言葉を重ねていた。
【「チェルノブイリでは5年以上の潜伏期間を経てがん発症が増えだした。他の病院の検査を望む人も多いはず。県立医大が、問い合わせがあっても2年後まで検査は必要ないと説明するよう求めた文書を出したのは本末転倒だ」】
 
 次が、5月3日に書いた拙コメント。
【 自民党もそうだけど、官僚こそ原子力村の本当の主と、判明した。これは、佐藤栄佐久氏がその長年の闘いを描いた著作で、「驚いたことに、本当の狢は官僚だった」と既に書いている、その通り。
 そして、選挙で入れ替わる政治家と違って官僚は、滅多に辞めさせられないのだからたちが悪いこと甚だしい。それを百も承知だからこそ、歴史的に築かれてきたその強固な組織を上げて、ムラの廃止に今でも抵抗しているのだ。これに抵抗し始めたから、菅はあっと言う間に辞めさせられたのだし、小沢へのそのシウチを見ると、彼らに抵抗する実力政治家はむしろ不要だと考えているということだろう。
 事務屋が今や政治の主になって、自民党長期政権を潰し、民主党を割らせたと、振り返ればこれが今の日本政治の歴史的現状と言える。不法にも使用人が政治権力を乗っ取って、その揚げ句が福島という政治的大惨事に突き当たったということだ。それでもなお、その責任をうやむやにすべく、この不法大権力を行使している真っ最中なのだと思う。
 これを逆に語ればこういうことだろう。福島大惨事責任がうやむやのまま再稼働が続けられるならば、彼らの不法政治大権がさらに深化するということ。「毒を喰らわば皿まで」。悪を隠せばさらなる大悪しか生まれない。それが、物の道理というもの。
 これから起こってくる事故の後遺症、放射能被害者、ガン患者などの数も、誤魔化し、隠し続けるのが必然。今の再稼働無理押しもそんな流れであって、この一事が万事というのがこれからの日本政治。そんな連中が政治家と違って辞めさせられないというのだから、本当に大変な国になったものだ。】
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小説 「母が僕らに遺したもの」③終わりです  文科系

2012年05月18日 09時54分13秒 | 文芸作品
母が僕らに遺したもの その3 

 この時また、籐椅子の父が見えてくる。するとそれを見た当時の僕の感じがさらにまた蘇って来た。いや、夢そのものが、当時のことになってしまった。夢の舞台は籐椅子だけ、登場人物はもちろん六十代の父だけだ。僕は当然三十代なのだが、夢自身には登場していなくて、この夢を目として見ながら、心として感じ、考えているだけの存在だ。
 まだ父の顔には精気が残っている。だけど、一日中そこに座っている。時に本や碁石の定石書なんかを開くが、それもあまり続かない。母が傍らのテレビを点けても、ドラマの途中で寝入ったりしている。母は、父のこの籐椅子姿がイヤでイヤで、「あれを見ていると、私が病気になりそうだ」と吐き捨てるような愚痴を言っていたものだ。僕が何か病的なものを感ずるほどの、ある種の感情がこもった愚痴だった。まあ、当時の母も加わったこんな場面が切れ切れのスローフィルムのように続いたのである。
 そして僕は考えている。父は、やることがなかった? 時間を費やす術がなかった? 度々行けるような外出先も碁会所ぐらいだし、友だちは居なかったし。家で暇な時にいつでも始められ、何時間かを費やせるというものがなかった? 
 するとそのとき、不意に思いだした。昔の「籐椅子の父」に因んで、当時の僕に湧いたある一つの想念、仮説のようなものを。要約すればこんな感じになるだろう。
 健全で、素直で、一途な父にとっては、職場での評価が人生の全てだったのだ。そもそも、辺境で恵まれない貧乏子だくさんの家に生まれたのに、職場最強学閥の大学院卒のような学歴を得ていたのだし、力はあったし、努力もしたし。事実として節目節目を最高の評価で乗り越えてきたみたいだし。戦前の若いうちから職場の周りの人々にも日々「そういう者として」接されてきたことだろうし。さてそれ以降、彼に「その刺激」に並ぶものがあったろうか。そもそも、それ以外の刺激を育くむ機会が、彼にありえただろうか。今はもう、この六十代半ばで父は既に余生を暮らしているのだ。母は父のこの「余生」に一時呆然とし、やがて怒りだしたんだろう、きっと。
 これが、三十代の僕が父の藤椅子姿を巡って感じ取ったものだった。
 
 「余生でもいいよなー、父さん。母さん二人は怒るだろうけど?」
 八十の心だけの僕がなぜか突然そう問うている。と、これも八十の顔に戻った父が僕の方に例のどこか恥ずかしげな微笑みを振り向けて、答え返す。
 「母さんは、毎日怒ってたよ。それも八十前には、くるっと変わったけどな。急に怒らなくなったのは、多分自分をも嫌い始めたからだ、きっと」
 「人は遅かれ早かれいつかどっかで、自分の老いと折り合いをつけなきゃということだね」
 「そうそう、そんなに頑張らんでもええじゃないか。私はもう頑張ったし、やることもない、とね」
 「母さんはもっと頑張りたかったんだよ。それに父さん、飯や洗濯ぐらいやれんと、そういう母さんを邪魔することになる。ずっと共稼ぎだったんだし」
 「それは分かってますよ。だから母さんには最後までずっと頭が上がらなかった」
 「そうそう、世話されてる限り結局言い負かされるから、よく『母さん、貴方は偉い』とか大声出して、ふてくされちゃってたね」
 「おまえは何でもできるから、言い負かされないんだろう? 私らと違って仲も良さそうだし」
 「母さんがそんなこと聞いたら笑うよ。いつも僕が負かされてるのを知って、不憫とさえ思ってたはずだから。やっぱりやることの絶対量が僕とはちがうし、女性は明治生まれより昭和の方が注文の口もうるさいし、きついきつい」
 「そうだろうなー、生まれた時から参政権与えられることになっていた戦後昭和の共稼ぎ女というようなもんだからなー。でもな、明治生まれの共稼ぎ男には、特別な辛さもありますよ」
 「そうだろうねー。・・・・うちの二人はとにかく特別。育った時の苦労というか努力というか、その質も量も違ってた」
 「なるほど、なるほど。それじゃおまえもなかなか大変だったわけだ。はっはっはっ」

 おおむねこんな会話を残して、父の籐椅子姿は消えていった。
 僕の眼前はまた秋の夕暮れ時で、「古い骸骨」の白木蓮が見えている。だだっ広い家に一人ぼっちの八十過ぎ、広縁に置かれた籐椅子に横になった夢の初めに戻っている。もちろん連れ合いが死んだばかりの、新米の男やもめだ。
 〈父さんも、籐椅子の上ではいつも、昔の人たちとこんなふうにしゃべり合ってたのかなー。それでも父さんは、現実の母さんに甘えられたわけだし、晩年は僕らの家族も一緒だった〉
 また訪れた慣れることのできないと感じている静けさの中で僕はそうつぶやくと、ふーっと小さく息をはく。
 こんな静かな一人よりも、いくらうるさくても少々労力が必要でも、連れ合いがいたほうがどれだけ良いことか。そんな情念を、うっすらと開けた目に天井をうつしながら何度も反芻している。そして、気付いた。籐椅子の上で目を開けたのではなく、朝の寝床でなのだと。目を覚まし、現実の天井を実際に見ていたのである。

   
 何かあわてて耳を澄ましてみると、連れ合いが起きている気配を感じる。ちなみに僕らは、別々の部屋に寝ることにしているのだ。すぐにダイニングへ飛んで行き、いつものように昨朝の出し殻が残ったコーヒーメーカーを外して、キッチンへ持って行く。これを三往復ほどして、コーヒーやトーストや既に器に用意されていた果物入りのヨーグルトなどを食机に並べ、やがて二人で食べ始める。僕はいつものように新聞を読みながら。
 しばらく後、「今日、ジム行こうか?」、これもそうすることになる日のいつもの僕の発言だ。「うん、五時半ごろね」。彼女は、テレビニュースに目をやりながら、いつものように応え返す。こんなふうにして、近所のスポーツクラブへ週一度ほど二人で歩いていくことになる。そして、一人で通うのが各一回ほどで、これらは彼女にとっては、糖尿病対策にもなっている。
 そしてまた、それぞれの沈黙。ほどなく、僕がまたしゃべっている。「今度の小説、一昨日やっと終わり方が見えてきたから、できたらまた読んでくれるかなー?」。彼女は母に次ぐ読者なのだ。ただ、母に比べたらうるさい、うるさい。母は本を受け取ったその日のうちに必ず読むくせに読んだということすらすぐには伝えて来ないのに対して、こちらはやっと読んだと分かったそのときには、ほとんど字句上のことを取り上げて細々と切りがない。僕は文法にはほどほどの自信があり、むしろ内容や構成上の話がしたいというのに。ちなみに、彼女は国語の教師で、退職した今も元の学校に週何日か通っている。
 今日に限ってなんとなく僕の話題が多くなって、さらに次の話を持ちかけている。
 「ギター、やっぱりあの先生の所へ通うことにするわー」
 最近下見に行ったあるギター教師のことを持ち出したのである。
 「開放弦を清んだ音で弾くというだけで一時間実演、講義してもらってあれだけ興奮できるんだったら、習いに行くのは幸せなことだよ。楽しみなんでしょう?」
 「ホント、わくわくするとはこういうことだったなーってね。あの音を作るだけで、フルートなみに単音楽器としても通用すると言いたいぐらいだもんな。あーこれ、前にももう言ったことだった」
 ちなみに彼女は、あるフルート兼リコーダーの教室に通っている。その教室は、年に一度クリスマスホームコンサートを開き、僕も毎年聴きに通ってもう二十年近くになろうか。子どもとお母さんたちが中心の教室で、「古楽研究会」に属する先生やその友人も演奏するから、出演者の腕は年齢以上にバラバラで、それがまた楽しい。コンサートの後にはいつも欠かさずパーティーも待っている。関係する家族すべてが各二皿ずつ持ち寄った得意料理が洋食、和食、中華、エスニックなど色も様々に机に溢れ、各国のワインなども取りそろえられてあるというパーティーである。我が家がここ5年ほど提出しているのは「牛肉のワイン煮」二皿。作者は僕、盛りつけが連れ合い。表面を焦がした牛肉の塊四百グラムほどを、ワインと水にウスターソースと醤油を加えた圧力釜で三分ほど揺すらせ、肉とソースを分けて冷やしてからまた合わせて、一夜以上漬け置きするという僕の晩酌への定番だ。料理が多すぎてかなり余るという、全員の舌による優勝劣敗の試練のなかを5年も生き延びた作品である。もっとも、最初の時に連れ合いが「とーさんの作品」と触れ回ってくれたからつとに有名で、好奇心半分の試食者も毎年多いのだろう。
 お金をかけずにこれほど十二分に人生を楽しむ場所を作りあげ、持続させてきた賢いお母さんたち。こんな光景の展開を、僕は始終体を揺すってにこにこしながら毎年享受している。さて、すでにここで一番の古株の一人になっている我がかーさんであるが、母と同じようにこれから八十までこの場所に来ることができるだろうか。

 母が居なくなって半年、このごろふっと思うのだ。退職後の僕ら夫婦のこんな生活も、同居した晩年の母と父とを見ながらこの十数年かけて大小の取捨選択を少しずつ重ねてきた、その結果ではなかったか。

 (おわり)

注 ここに述べた僕のスポーツ観とそっくりと感じられるものに最近出会った。この作品をほぼ書き終わったころに。考え方の構造だけでなく、用語まで似ていて驚きかつ嬉しかった。そして、こういう分野に興味のある方全てに、この本を心からお勧めしたいと思いたった。NHK出版、玉木正之氏の「スポーツ解体新書」である。なお、僕の当作品該当部分を、玉木氏のこの著作によって一部でも修正するということは、あえてしなかった。断りを入れて、修正した方が分かりやすくなったのかもしれないが、僕のオリジナルを崩したくはなかったからである。
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              恐るべき関電の陰謀          只今

2012年05月17日 09時15分58秒 | Weblog
●今夏、東電管内は電力不足に陥らないと発表。
 これは、緊急設置電源を221万キロワット用意したからである。
 一方、関電が用意した緊急電源は2万キロワット。
 東電と同じ200万キロワット用意していたら、原発稼働は勿論、節電などしなくともいい。

            ★関電は、何故、用意しなかったのか。
 
●古賀茂明さんは、こう語った。(5/17「モーニングバード」そもそも総研)
 
       “関電と経産省が一体になって考えていると思われる三つのシナリオ”
【プランA】被災から1年も経れば国民の関心も薄くなるだろうから、早々に再稼働を決めてしまう。
 
【プランB】しかし、国民はそんなに甘くなかった。そこでとったのがB作戦。
      わざと時間をかけて、足りないんじゃないか、足りないんじゃないかという広範なPR。
      すると中小企業とか自治体から、もう我慢出来ない、という声がわき起こってくる。
      そして需給検証委員会なる委員会を開いて「足りない」ことを公表する。
      しかしこれも、大阪の戦略会議などから、もっと電力は出せるはずだという声に押されて
      今のところ再稼働できず。

【プランC】しかし何がなんでも再稼働する、ということで想定される最悪のプラン。
      火力発電所などで事故が起こった時、しばらく動きません、ということにして、
      突然、停電! 電力が足りないといという状況を作り出してバニックを起させる。 
  
       以上により、ここ数週間が天下分け目の決戦となる気配濃厚。
       

 ☆昨日たてた嘉田知事のスレッドに、共産党はなぜ推薦しなかったのかという声が寄せられましたので知る限りを。
  1期目は、新幹線駅を「凍結」とした嘉田候補に対して、  
  「きっぱり中止」との共産党推薦、辻候補の差が縮まらなかった。(『知事は何ができるか』による)
  2期目は、推薦に社民党に加え民主党が加わりました。
  そこでこれは小生の推測ですが、民主党が政策協定で共産党に難癖をつけたのではないかと。

       
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小説「母が僕らに遺したもの」②  文科系

2012年05月17日 06時38分29秒 | 文芸作品
母が僕らに遺したもの その2 

 週に複数回走ることを続けてきたほどのランナー同士ならばほとんど、「ランナーズハイ」と言うだけである快感を交わし合うことができる。また例えば、球技というものをある程度やった人ならば誰でも分かる快感というものがある。球際へ届かないかも知れないと思いながらも何とか脚を捌けた時の、あの快感。思わず我が腿を撫でてしまうというほどに、誇らしいようなものだ。また、一点に集中できたフォームでボールを捉え弾くことができた瞬間の、体中を貫くあの感覚。これはいつも痺れるような余韻を全身に残してくれるのだが、格闘技の技がキレタ瞬間の感じと同類のものだろうと推察さえできる。スポーツに疎遠な人にも分かり易い例をあげるなら、こんな表現はどうか。何か脚に負荷をかけた二、三日あと、階段を上るときに味わえるあの快い軽さは、こういう幸せの一つではないか。これらの快感は、たとえどんなに下手に表現されたとしても、同好者相手にならば伝わるというようなものだ。そして、その幸せへの感受性をさらに深め合う会話を始めることもできるだろう。こういう大切な快感は、何と名付けようか。イチローやナカタなどこのセンスが特別に鋭い人の話をする必要があるような時、このセンスを何と呼んで話し始めたらいいのだろう。音楽、絵画、料理とワインや酒、文芸など、これらへのセンスの存在は誰も疑わず、そのセンスの優れた産物は芸術作品として扱われる。これに対して、スポーツのセンスがこういう扱いを受けるのは希だったのではないか。語ってみればごくごく簡単なことなのに。スポーツも芸術だろう。どういう芸術か。聴覚系、視覚系、触覚系? それとも文章系? そう、身体系と呼べば良い。身体系のセンス、身体感覚、それが生み出す芸術がスポーツと。スポーツとは、「身体のセンス」を追い求める「身体表現の芸術」と言えば良いのではないか。勝ち負けや名誉とか、健康や体型とかは、「身体のセンス」が楽しめるというそのことの結果と見るべきではないだろうか。そういう理念を現に噛みしめているつもりの者からすれば、不摂生のためすっかり体型がくずれてしまったかに見える体協の役員の方などを見るのは悲しい。勝ち負けには通じられていたかも知れないが、「身体のセンス」はどこか遠くに置き忘れてこられたように見えるから。その姿で「生涯スポーツ」を説かれたとしても、「言行不一致」を免れることはできないだろう。(注)

 長々とスポーツのことを語って来た。スポーツを巡る僕の幸せの略歴や内容を表現したかったからだ。そしてこれらが、厳しい「敵」、反面教師として、両親にその源のところで育てられたものだからだ。熱心な反対は無視とは別物で、良いものをそのように掘り下げていくエネルギーにも転化していくと、今なら言える。まなじり決した執拗な反対があったからそれだけ燃えたし、守ったものを大事にしてきたと言っても良かろう。ただ厳しい反対に抗って創造が続けられるためには、対立しあった双方が切れてしまわない限りという条件が付くのではないか。だからこそ今、僕のスポーツ生活全てに関わって、夜毎の修羅場周辺をうろうろしていた母自身が、懐かしい。その時の両親を表現するなら、父は何か狭くて、頑なだったけれど、母のこの「うろうろ」にはぎりぎりの所で情というものが感じられた。そしてこの時の情の感じが、時を経るごとに大きなものになっていき、看病の五年間で最も多く思い出された母との過去の一つになっていた。これは、母から観ても同じだろう。苦労した子ほど可愛いとよく言われるから、この夜毎の「うろうろ」が母の中でも太い糸になっていて不思議はない。
 三人兄弟一姉妹で次男の僕が結局、晩年の両親と同居することになったのは、今振り返ればこの太い糸が後にますます太く育っていった、その末のことだったという気がする。例えば、同居以前も我が家が母の避難場所であったという事実がある。母は晩年の父とよくけんかして家出をしたが、その逃げ込み先のほとんどが僕の家だった。あの母が子の家へ避難するというのはよくよくのことなのである。たまに人間くさい本音が漏れて出るように振る舞うことはあるが、普段は、また子どもに対しては特に、いつも襟を正しているというような所があったから。年を取って弱くなったということもあろうが、僕ら夫婦には自分の弱さを出すことができるようになっていたのではないか。それも、あの「うろうろ」を典型として感情がもつれたような場面に、誰よりも僕と出会わすことが多かったからのことではなかったろうか。


 さて、こんな生活が半年近く続いたある明け方、僕は夢をみた。冷夏の分を秋の入り口に来て取り戻そうとでもいうような、寝苦しい一夜の未明のことである。
 夢の僕は八十過ぎの老人だ。子ども二人はもう同居していない。一人は同じこの市に住んでいるようだが、もう一人はどうも日本にはいないらしい。そして何よりも、連れ合いがいない。亡くなったばかりなのだ。原因とかどんな経過でとかについては、糖尿病が絡んでいるらしいという以外には何の感じもなくて、ただ喪失したという事実だけが、僕の夢によくあるあのリアルな寂寥感とともに存在していた。こうしてつまり、両親から相続しただだ広い家に住んでいるのは僕一人。母の好みで花木ばかりが多い庭はまあ辛うじて見える程度には剪定され、父の生前から二階の窓際の定位置にある藤の長椅子に横になって、僕がそれらを見ているというシテュエーションである。
 十メートルほど向こうに、暮れ始めた秋の陽に当たって、背の高い白木蓮が見える。なぜか上半分ほどはもう葉がついていない。古い骸骨みたいだなーと感じている。ごつごつと曲がって痩せ細り、水気も感じられない灰色、おまけに所々に節くれはあるし。
 あの木は、母さん(母のほう)の剪定が悪くて、幹に穴が開いて死にかけてた奴。ぼくらが穴の手当をしたら、幹までどんどん太っていったんだった。同居を始めたばかりのころ、この手当はかーさん(連れ合いのほう)の提案だった。もう寿命なのかなー。

 と、突然、打って変わったように強い日差しがあって、白木蓮の太い枝の付け根に座り込んでいる五十前後の僕が見えてきた。すると、籐椅子にいる僕が晩年の父にすり替わっている。彼は珍しく目を閉じていなくて、木の上の僕を眩しそうに見ている。木の下でうろうろしてるのは、あー母さんのほうだ。やはり両手で目の上に日よけを作って僕を見上げている。かーさんが向こうに、何か道具をもって現れた。小刀のようだな。僕がさっき頼んだんだろう。ピアノが聞こえる。あの曲は、高校へ入ったばかりの娘の、・・・・発表会の直前なんだ、同じ一箇所がもう何十回も繰り返されている。これら全体を見ているようなもう一人の僕の耳に、この音が転がってしばらく止まない。

 と、また突然、木の上の僕もこれら全体を見ている心だけの存在であるような僕も、元の八十歳で一人住まいの籐椅子姿へと戻っていった。
 「おーい、かーさん」、八十の僕が言いかけた。続くはずの言葉は「お茶しようか!」のようで、一瞬首を回して、もう腰をあげそうになっている。ちなみに、母も子ども二人も居た昔からお茶は僕の当番、煎茶も玉露も紅茶も。そして毎朝のコーヒーは、生前の母のベッドサイドに出勤前の僕がいつも持って行ったものだ。しかし、今はこの提案に誰の返事が合わされることもない。何を喋っても、独り言にしかならない家の中なのに、習慣的言動を条件の変化に合わせてなくするということがいつまでもできないのだと噛みしめている。こういう言動はどうもボケの始まりと言うらしいが、会話ゼロの深閑とした生活の中で急に深刻さを増しているのだという実感も、はっきりと湧いていた。 
 どんどん『昔を生きる人』の深みにはまっていく。そう言えば、同じこの藤椅子にいた父さんは、それが早かったなー。六十半ばからもう一日中ここに座ってた感じ。僕が声をかけるとゆっくりと振り向いて、にそっと笑い返してきたから、眠ってたわけじゃない。恥ずかしいというような、何か遠慮しているというような良い笑顔だったけど、あのときは例えば母さんとの新婚時代なんかでも思い出してたんだろうか?

(続く)
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