小林エリカ「女の子たち風船爆弾をつくる」文藝春秋 (2024/5)
8/8 の,このブログ記事の関連本.でも,風船爆弾に関する分量は (ちゃんとベージ数を数えたわけではないが) 全体の1割くらいと思う.英文タイトル The Paper Baloon Bomb Follies のほうが,抽象的でずっといい.Web によれば follies は「こっけいな寸劇を主にした風刺劇またはレビュー」だそうだ.
気合いが入ったハードカバー.図書館で借用.
画像の目次のような3幕構成.他に 付記リスト.
1行ずつ,事実を述べるだけのような書き方.最初はプロローグだから かと思ったら,最後までおなじだった.でも慣れてしまった.情報量大.
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わたしたちは,中国と戦争をやっている.
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わたしは電車に乗って,わたしはバスで,わたしは歩いて,学校へゆく.
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わたしは,男だったらよかった.あるいは,わたしは,そんなことは考えない.
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第1幕の抜粋だが,全編を通して,語り手はわたし,あるいは わたしたち であって,「わたし」は同一人ではない.つまりここでは,電車 バス そして歩くのは3人のわたしである.わたし (たち) はみな第1幕の昭和 10 年春には小学2年生で,第2幕・第3幕と歳をとっていく.出発点では女中がいるような裕福な家庭の子女である.
年齢は 16 トンの母親の一回り下くらいで,聞いたような話題も多い.
第2幕ではわたし (たち) は雙葉・跡見女学校あるいは麹町高等女学校に通っている.
宝塚 (少女) 歌劇団の少女たちはエピローグから登場し,中国や独伊の公演で活躍しているが,女学生たちとの関連はよくわからなかった.
とにかく,1行ずつ状況は悪化していくのが息苦しい.月経の処理が書いてあったりする.
有名人の名前は出てこない.たとえば藤田嗣治は「あの画家の男」として何度も登場する.でも学校の先生たちは苗字で兵隊に取られたり.ミッション系の外人の先生たちは悲惨なことになる.
東京宝塚劇場で風船を作る場面.1階客席には舞台と同じ高さに板が貼られていた.送風機で風を送り込み,直径約 10 メートルの半球に潜り込むと,プラネタリウムのよう.白く星に見える「ピンホール」に内外からコンニャク糊で原紙を絆創膏を貼るように補修する.
ここの風船作りは東京空襲で終わる.風船に毒ガスだの細菌だのをぶら下げなくて済んだのは幸いだった.
不思議な話だが,日劇地下には戦時中 (戦後も続けて) 理容「ホワイト」が営業していて,この店名はホワイトハウスに由来したのだそうだ.
この手の本は終戦で終わることが多いが,ここには第3幕がある.
「わたしは,わたしたちの戦争に負けたわたしたちの国が,わたしたちの政治家の男たちが,まずはじめにやったのが,わたしたちのうちの女を,少女を,連合国の兵隊に差し出すことだったとは,まだ知らない」と,辛辣である.
最後の3行のように,引用には右下がりのフォントが使われ,脱力感を助長する.
やたらと注が多いが,親切ではない.例えば 168 には NHK for school 「玉音放送」とある.
最後の参考文献リストは横組みだが,ページの進め方は縦組みなのは,よくあることだが,どうかと思う.注と文献の使い分けが僕たちとは異なる.
カバーイラストも著者による.
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