【社説①】:阪神大震災25年 過去に学び未来に備え
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:阪神大震災25年 過去に学び未来に備え
阪神大震災から二十五年となった昨日、多くの人が祈りをささげました。観測史上初めて震度7を記録し、死者六千四百三十四人は、当時としては戦後最悪の自然災害でした。
「関西に地震はないと思っていた」と多くの人が驚きましたが、そうでない人もいたのです。
大阪府枚方市の自宅で寝ていた寒川旭さんは小さな揺れを感じて目を覚ましました。次の瞬間、強烈な揺れが。揺れは東西方向なので震源は琵琶湖付近か神戸・淡路島方面かと思いを巡らせ、テレビを見て兵庫県・淡路島の野島断層が動いたと考えたそうです。
◆いつかは分からない
寒川さんは産業技術総合研究所(産総研)名誉リサーチャーで、地震学者です。一九七〇年代に淡路島で調査し、野島断層が活断層であることを明らかにしました。震災は、寒川さんの考えた通り野島断層が原因でした。
産総研は震災後、野島断層の詳しい調査を実施。震災より一つ前と二つ前の断層活動をとらえました。前回は約二千年前で、活動間隔は二千年から三千年。震災前に調査していれば「要注意断層」と分かっていた可能性が高いのです。しかし、神戸市の地下深部で断層が動くことは予測できません。震度7は地下構造や軟弱地盤とも関係したとされます。
熊本地震(二〇一六年)で最初の震度7を記録した翌日、遠田晋次東北大教授は「この地震に刺激されて近くにある二つの活断層が動き、より大きな地震が起きる可能性がある」と学内で開かれた報告会で指摘しました。しかし時期については「明日かもしれませんし、十年後かもしれませんし、百年後かもしれません」と発言したと「活断層地震はどこまで予測できるか」(講談社)で書いています。本震は次の日で、明日が正しかったのです。
◆何が起きるかを知る
同書は四十七の都道府県庁所在地で、震度6強か7の揺れが想定されるのは三十一もあり、名古屋市、岐阜市、長野市、福井市などは市街地中心部直下を断層が通過していると指摘します。
阪神大震災はマグニチュード(M)7・3でした。M7クラスの地震は、日本近海では珍しくありませんが、内陸部では戦後、福井地震(四八年)と北美濃地震(六一年)の二つでした。
震災後は鳥取県西部地震(二〇〇〇年)、岩手・宮城内陸地震(〇八年)、熊本地震が起きました。震源が福岡市近くの海底と、阪神大震災と似ている福岡県西方沖地震(〇五年)もありました。南海トラフ地震が起きる前には内陸地震が増えるという警告通りになっています。
寒川さんは地震考古学という分野を創設した研究者として知られています。遺跡の発掘調査で液状化、地滑り、津波などの跡が各地で見つかっています。
神戸市灘区にある西求女塚(にしもとめづか)古墳は石室が真ん中から切断され、南西側が約二メートルもずれていました。同市内の別の遺跡では液状化現象が見つかっています。いずれも慶長伏見地震(一五九六年)で生じたと考えられています。
「予知は難しいが、地震が起きたら何が起きるかは分かる」と寒川さんは話します。防災でも、歴史に学ぶことは大事です。
家屋の全半壊が二十五万棟に達し、三万五千人が生き埋めになりました。このうち約二万七千百人が家族や近所の人に救出されたのです。被害のひどかった同市東灘区でも、鉄筋コンクリート造りの神戸商船大(現在は神戸大海事科学部)の白鴎(はくおう)寮は無事でした。学生たちは近隣の人百人以上を救助しました。
死者は古い木造住宅での被害が多かったのですが、中高層マンションなどでも四百七十人が亡くなっています。家具の転倒防止がされていれば、死者はもっと減らせたと考えられています。
被災地では公園や校庭にブルーシートや段ボールを利用して野宿している被災者が少なくありませんでした。一方、被災者を受け入れた企業や、共用スペースを開放したマンションもありました。
◆地元の歴史を調べる
南海トラフ地震の津波対策や水害対策として、緊急時に避難できる津波避難ビルが登録されるようになりました。東京都心では帰宅困難者向けにスペースを開放することを決めたビルもあります。
どこでも地震は起きるという覚悟を決め、まず、地元の歴史を調べてみましょう。どんな災害に備えなければならないかを知ることです。無事であれば、被災地でもできることはあります。自分なら何ができるかを考えてみてはいかがでしょうか。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2020年01月18日 06:10:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。