【中村文則×高橋源一郎 新春対談】:不寛容の時代を生きる (1)不自由展と日韓関係
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【中村文則×高橋源一郎 新春対談】:不寛容の時代を生きる (1)不自由展と日韓関係
不寛容な空気が、社会を覆っている。自分と異なる意見、異なる価値観を認められない人が増えている。隣国や国内の少数者、弱者を排撃する言葉は、後を絶たない。その背景には何があるのか。社会に寛容さを取り戻すために、一人一人にできることは何だろうか。作家の中村文則さん(42)と高橋源一郎さん(69)に語り合ってもらった。
高橋 昨年十二月に韓国で慰安婦像(平和の少女像)を見てきました。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」(注<1>)の問題もあったので、韓国で同じキムさん夫妻の作品を見たいと思ったのです。
日本大使館前の少女像のほかに、同じ作者による「ベトナムのピエタ」像も済州島で見てきました。ベトナム戦争での韓国軍の民間人虐殺を題材にした作品です。
日本大使館前の少女像は韓国の公の声みたいなものになって、ある種の国家的な後押しがある。ところが、一方のピエタ像はどこにあるか分からないような場所で、韓国社会からほぼ無視されている。「弱者たちの声を代弁すること」をテーマに二つの作品が作られたにもかかわらず、扱いがまったく違うのが印象的でした。
中村 東アジア文学フォーラムで韓国の作家が「慰安婦についての日本政府の態度は問題だ。だけど韓国政府もベトナムと向き合っていないじゃないか」と発言していました。韓国でもそういう声が上がりつつある印象を受けます。
「表現の不自由展」で問題にされた少女像は、日韓問わず性暴力に反対する作者の手によるもので、「反日の象徴」と扱うべきじゃない。もっと深く広い問題です。今回の脅迫は絶対反対ですし、後から政府が補助金を不交付にしたことも間違っています。
ただ、昭和天皇に関する作品(注<2>)はよくなかった。実在する/した人物の写真をあえて燃やす表現方法を、僕は好きではない。芸能人の写真でも同じです。それを認めると、今後巧妙なやり方でのヘイト表現につながる危険もある。何でも表現の自由と言うのは違う。
議論から抜けているのは天皇という存在がまとう宗教性で、宗教とは時に、信じる人たちの内面の中心になる。扱う時は真摯(しんし)に、批判する時も真剣であった方がいいと僕は思います。作者は真剣だったし、批判や侮辱の意図は一ミリもなかったそうですが、あの表現を僕は全くいいと思わない。たとえば修道女のマザー・テレサさんの写真だったらどうですか。世界中からやめろと言われるでしょう。一緒にするなと思う人がいるかもしれませんが、なら燃やしていい人物といけない人物がいることになり、その選別の先は恐ろしくないですか。これは本来、リベラルとか保守とかの問題じゃないと思う。
高橋 微妙で難しい問題ですが、そういう、もやっとする気分は大事にした方がいい。僕がもやっとするのは慰安婦像です。十四歳ぐらいの少女像ですが、シンボライズが過ぎて、プロパガンダ的でもある、というか、そのように捉えられることを自覚していると思います。天皇に関する表現にも発火性がある。戦後文学の先輩作家たちは、その部分に関してきわめて繊細に表現してきた。主催者には、社会の反応に関して読み違えがあったように思います。
政治的な表現に対して臆病になっているこの国で、蛮勇をもって展示を行った意義は認めたいです。でも、ふだんよりさらに何倍も神経を使ってほしかったですね。
中村 「嫌韓」をあおる言論が近年、広がっています。人間には、集団で集団と敵対する社会的動物としての惨めな本能があります。それを商売にできると気づいた人が出てきた。あさましいとしか言いようがない。あんなのを読んだり観(み)たりすれば、誰だって少しは煽(あお)られます。
高橋 すぐ隣、あるいは外に敵がいると、内はまとまって好都合だというのは、社会を支配する側の鉄則です。それは今の日本に限りません。国家でも個人でも、うまくいかないのは自分のせいだとつらいから「誰かのせい」にしたい。
中村 そうやって扇動する人の言動に、人々が飽きるといいんですけどね。いつまでやってるんだ、と。
高橋 日本人に、隣の国の歴史を引っかき回してしまったという罪の意識があることも、問題を複雑にしています。「この人たちにいつかやられるかもしれない」という潜在的恐怖があるから、関東大震災の朝鮮人虐殺のようなことが起きるのでしょう。
中村 従軍慰安婦を「捏造(ねつぞう)」と言うのはさすがにもうやめよう、とも言いたい。強制的に連行されたかどうかではなくて、別の仕事とだまされて連れてこられ、逃げられず、意に反し強制的に慰安婦にさせられた人が大勢いたことは事実です。世の中にはさまざまな意見があるべきですが、最低限の共通認識は必要です。
そこを踏まえてから、戦時における性の問題は日本軍だけじゃないことや、戦争は時に人の内面を変えてしまうことなどの話ができるのではないでしょうか。
◆注<1>
<表現の不自由展・その後> 愛知県で昨年8月から10月まで開かれた「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つ。慰安婦を題材にした「平和の少女像」や、天皇の肖像を含む版画が燃やされる映像作品に脅迫や抗議が相次ぎ、開会から3日後に中止された。「表現の自由」をめぐる論議が起き、閉幕1週間前に再開した。文化庁は補助金の全額を「手続きに不備があった」として不交付にした。
◆注<2>
<大浦信行『遠近を抱えて part II』> 大浦さんの前作の映画『靖国・地霊・天皇』の映像と、今年公開予定の映画『遠近を抱えた女』の一部を組み合わせた20分の映像作品。大浦さんが1986年に富山県立美術館で行われた展覧会に出品した昭和天皇のコラージュを含む版画『遠近を抱えて』が会期後に問題視され、県が作品と展覧会図録を非公開に。その後、県は93年に作品を売却し、図録を焼却した。今回の映像には、天皇の写真そのものではなく、この版画作品を焼却するシーンが含まれており、一連の経緯を彷彿(ほうふつ)とさせる内容となっている。大浦さんは『遠近を抱えて』を、自分の内面を表現した作品と解説。「天皇批判の意図はない」としたうえで、「タブーへの挑戦とか、政治的意図は全くない」と話している。
◆<中村文則(なかむら・ふみのり)>
作家。1977年、愛知県生まれ。福島大卒。2002年、『銃』で新潮新人賞。05年、『土の中の子供』で芥川賞。10年、『掏摸(スリ)』で大江健三郎賞。18年10月から約1年間、本紙朝刊で小説「逃亡者」を連載した。初のエッセー集『自由思考』を昨年刊行。
◆<高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)>
作家、明治学院大元教授。1951年、広島県生まれ。横浜国立大中退。81年、『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作。2012年、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞。文芸誌『新潮』で昭和天皇とその時代を描く小説「ヒロヒト」を連載中。
元稿:東京新聞社 夕刊 主要ニュース 社会 【話題・中村文則×高橋源一郎 新春対談】 2020年01月04日 15:15:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。