路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【HUNTER2017.12.13】:凋落「日本維新」 交付金ロンダリングの顛末 

2023-04-11 07:27:00 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【HUNTER2017.12.13】:凋落「日本維新」 交付金ロンダリングの顛末 ■ペーパー団体「なんば維新」は3か月で解散

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【HUNTER2017.12.13】:凋落「日本維新」 交付金ロンダリングの顛末 ■ペーパー団体「なんば維新」は3か月で解散

なんば維新2.png 総選挙で大幅に議席を減らし、すっかり影が薄くなった「日本維新の会」。最近の話題といえば、慰安婦像の設置に腹を立てた同党所属の大阪市長が、サンフランシスコ市との姉妹都市を解消すると発表したことと、チンピラ議員が「朝日新聞、死ね」などという乱暴な言説で世間を騒がせたことくらい。国会での存在感は皆無に等しい。
 「議員は身を切り、行政は無駄を省く」(日本維新のHPより)などと訴えている同党だが、一昨年の「維新の党」分裂に際し橋下徹元大阪市長が主張した政党交付金の国庫返納は実行されず、ペーパー政治団体「なんば維新」を作って“交付金ロンダリング”を行っていたことが分かっている。「なんば維新」のその後と、ロンダリングの実態を追った。

 ■反故にされた「交付金返納」
 事の発端は、一昨年に起きた旧維新の党の内輪もめ。党の方針を巡って、旧結いの党を中心とする東京組と橋下系の大阪組がバトルを繰り広げ、合流からわずか1年で分裂した。

 党政党交付金は4月、7月、10月、12月の4回に分けて政党の口座に振り込まれるが、内輪もめの影響で銀行が維新の党の口座を凍結。そのため政治資金の出し入れが不可能となり、同党所属議員の政党支部に交付金の振り込みができない事態となっていた。

 12月8日、「維新の党の将来的な解党」「人件費など党運営に必要な経費を除いた政党交付金の国庫返納」を確約する形で東京組と大阪組が合意。大阪組は離党して原点回帰を図り、新たに「おおさか維新の会」(現・日本維新の会)を設立していた。

 この分裂騒ぎの最中、橋下氏はツイッターで「解党して政党交付金を国に返す」と主張(下、参照)。分裂時の合意の通り、おおさか維新に参加した議員らの支部が受け取った交付金の残額は、“国に返納されるはず”だった。

008-thumb-600x185-15484.png

 ところが、旧維新の党を離党したことで交付金の基金口座に余剰金を移せなくなっていた大阪組は、新たに「なんば維新」という政治団体を設立。本来は国庫に返納すべき“年末までに使い切れない交付金の残り”を、「なんば維新」に寄附する形で一時避難させていた。

 「なんば維新」の所在地は「おおさか維新の会」と同一。代表者は、松井一郎大阪府知事の元秘書で、おおさか維新の事務局長を務めている人物だった。ペーパー団体であることは確かで活動実態はなく、政治資金収支報告書にも“経常経費”は記載されていない。

 「なんば維新」への寄附を装い、交付金の国庫返納を逃れたのは旧維新の25の支部。支部解散にあたっては、政党助成法の規定で1円の交付金も残せない決まりだったため、なんば維新への寄付額は1円単位となっていた。最も少ない額で「維新の党 宮崎県支部」が60,083円を、最高は同党参議院兵庫県選挙区第1支部が1,949万5円を「なんば維新」に寄附していた。国庫ではなくペーパー団体に移された交付金総額は9,906万6,983円に上る。

 先月総務省が公表した平成28年分の政治資金収支報告書によれば、こうして「なんば維新」にプールされた交付金は、新たに設立された「おおさか維新の会」の各支部に寄附の形で返金されていた。25年12月に実行された「なんば維新」への寄附と、昨年3月までに実行されたなんば維新から新支部への返金状況をまとめた。

0---.png 新支部の設立が出来なかった山口県を除き、「維新の党」が「おおさか維新の会」に変わっただけ。各支部がなんば維新に寄附した金額が、一例を除き、そっくり「おおさか維新」の各支部に返金されている。

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 ■ロンダリング総額は約2億4,300万円に
 ロンダリングの対象になったのは、支部の交付金だけではない。昨年1月に「維新の党」及び「維新の党 国会議員団本部」から「なんば維新」にそれぞれ1億2,005万5,977円、1億2,308万6,542円の計2億4,314万2,519円が寄附され、同日付でそっくりそのま「おおさか維新の会」に寄附されていた。交付金の国庫返納は橋下維新の大ぼら。国民に隠れて約3億4,300万円もの税金を懐に入れていた格好だ。

 しかも、なんば維新からおおさか維新側に戻された資金は政党支部の一般口座に振り込まれており、交付金につく縛りがない「何にでも使える金」に化けた形。“交付金ロンダリング”で国民を欺いた維新に、天下国家を語る資格などない。

 「なんば維新」は昨年3月10日に解散。大阪系各支部に対する最後の寄附を行った次の日だった。

 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【社会ニュース】  2017年12月13日  09:20:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【HUNTER・2016.12.01】:日本維新の脱法行為 ペーパー団体使って交付金ロンダリング

2023-04-11 07:26:50 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【HUNTER】:日本維新の脱法行為 ペーパー団体使って交付金ロンダリング

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【HUNTER】:日本維新の脱法行為 ペーパー団体使って交付金ロンダリング

1-表紙なんば.jpg 安保法やTPPといった重要法案の採決で、ことごとく政府与党の側に立つ日本維新の会(代表:松井一郎大阪府知事)。野党というより政権の補完勢力。「自民党の別働隊」と言った方が分かりやすい状況だ。
 橋下徹氏の政界引退ですっかり影が薄くなった維新だが、25日に総務省が公表した27年分の政治資金収支報告書から、同党が行っていた“交付金ロンダリング”の実態が浮き彫りとなった。

 ■ペーパー団体「なんば維新」で1億円還流
 日本維新の会は、「旧・維新の党」が分裂してできた政党。分裂後、「おおさか維新の会」として活動していたが、参院選を経て「日本維新の会」へと党名を変更している。同党の交付金ロンダリングについては今年2月、配信記事≪おおさか維新“交付金ロンダリング”の実態≫において、その手口を報じていた。

 昨年12月に旧維新所属議員の政党支部に交付された政党交付金のうち、おおさか維新に参加した議員らの支部が受け取った交付金の残額が、ペーパー団体を使って、議員側に還流していたというもの。残額の国への返納を逃れたことで、「維新の党を解党して政党交付金を国に返す」としていた橋下徹前大阪市長の主張が、事実上反故にされた形となっていた。交付金は使途に縛りがあるカネだが、議員側に還流したことで使い道自由の政治資金に化けていたことも判明。“交付金ロンダリング”の手法に、同党内部からも疑問の声が出ていた。

 政党交付金を所管する総務省によれば、旧維新の党に支給された平成27年分の政党交付金は26億6,000万円。4月、7月、10月、12月の4回に分けて同党の口座に振り込まれたが、分裂騒ぎを受けた銀行が旧維新の口座を凍結したことで、一定期間、所属議員の政党支部に交付金の振り込みができない事態に――。ドタバタのあげく、同年12月8日に「維新の党の将来的な解党」「人件費など党運営に必要な経費を除いた政党交付金の国庫返納」などで党内合意。これを受けて同月18日、各議員の支部の口座に政党交付金500万円が振り込まれていた。下は、今月25日に総務省が公表した旧維新の政治資金収支報告書の一部。12月18日、大半の支部に500万円が分配されていたことが分かる。

20161201_h01-02.jpg 旧維新は、おおさか系の議員が離党する形で解党。離党した議員の場合、法の規定により支部の解散が必要で、年内の清算が必要となる。そこで使い切れなかった交付金が国庫に返納されるはずだったが、おおさか維新側に渡った交付金の残りが国庫に戻されることはなかった。

 おおさか維新側は、総務省届出の「なんば維新」(所在地は「おおさか維新の会」本部と同じ)という政治団体を設立。各支部に残った交付金をいったん「なんば維新」に寄付の形で集約し、年を越してから新設の支部に“返金”していたのである。「なんば維新」はペーパー団体。政治活動は行っておらず、旧維新各支部の交付金を、使途自由のカネに変えるための装置に過ぎない。下が、公表されたなんば維新の政治資金収支報告書である。

20161201_h01-03.jpeg

20161201_h01-04.jpeg なんば維新への寄付を行ったのは26支部。支部解散にあたっては、政党助成法の規定で1円の交付金も残せない決まりだったため、なんば維新への寄付額は1円単位となっていた。最も少ない額で「維新の党 宮崎県支部」が60,083円を、最高は同党参議院兵庫県選挙区第1支部が1,949万5円を「なんば維新」に寄附していた。総額で9,906万6,983円に上る。関係者の話から、なんば維新への各支部の寄付金が、28年に入り新たに設立されたおおさか維新の各支部に、そっくり返金されていたことが分かっている。国庫返納どころか、交付金ロンダリング。ペーパー団体を使った脱法行為に、批判の声が上がりそうだ。

 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【社会ニュース】  2016年12月01日  08:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【維新とカネ】:維新にもパー券不正疑惑 松井大阪市長と岩城府議を刑事告発 2000人の会場に5862人? 来場者の3倍超のパー券販売? 「悪質な裏金作りと虚偽記載か」と専門家

2023-04-11 07:26:40 | 【政治とカネ・政党交付金・「企業・団体献金」・政治資金・議員歳費・賄賂・後援会

【維新とカネ】:維新にもパー券不正疑惑 松井大阪市長と岩城府議を刑事告発 2000人の会場に5862人? 来場者の3倍超のパー券販売? 「悪質な裏金作りと虚偽記載か」と専門家

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【維新とカネ】:維新にもパー券不正疑惑 松井大阪市長と岩城府議を刑事告発 2000人の会場に5862人? 来場者の3倍超のパー券販売? 「悪質な裏金作りと虚偽記載か」と専門家

 ◆つじつま合わぬ数字だらけ

 松井一郎大阪市長が代表を務めていた時期の「大阪維新の会」(以下、維新の会)が、政治資金パーティの収入を過少申告し政治資金規正法(以下、規正法)違反したとして、松井市長と会計責任者の岩木均大阪府議会議員の二人が大阪地検に刑事告発されていた。(フリージャーナリスト・鈴木祐太)<button class="sc-SxrYz hqjiZN" data-cl-params="_cl_vmodule:detail;_cl_link:zoom;" data-cl_cl_index="38"></button><button class="sc-SxrYz hqjiZN" data-cl-params="_cl_vmodule:detail;_cl_link:zoom;" data-cl_cl_index="38">「身を切る改革」をうたう維新だが、カネの問題が尽きない。刑事告発された日本維新の会代表だった松井一郎氏。HPより。</button>

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「身を切る改革」をうたう維新だが、カネの問題が尽きない。刑事告発された日本維新の会代表だった松井一郎氏。HPより。

【写真報告】これが政治資金報告書と「文通費」領収書だ。橋下徹、維新清水参議員などの実物公開(7点)

 告発状によると、維新の会は2019年9月12日に政治資金パーティ「大阪維新の会懇親会」をロイヤルホテルの光琳の間で開催した。参加費は、一人2万円だった。維新の会の政治資金収支報告書(以下、収支報告書)には、参加者が5862人で収入が1億1724万円だったと記載されている。

 しかし、この光琳の間は、ロイヤルホテルの公式サイトによるとビッフェスタイルで最大2000人収容と書かれている。維新の会が収支報告書に記載している5862人は、この会場に入れたのだろうか。

 もし、2000人の収容なので追加で100人、若しくは200人ぐらいだったら入るかもしれない。しかし、倍以上の人数を収容することは無理だと告発状では指摘している。

◆音喜多議員が「来場者数の3倍以上チケット購入者がいそう」とポロリ

          刑事告発された岩木均大阪府議会議員。HPより。

 元稿:アジアプレス・インターナショナル 主要ニュース 社会 【疑惑・松井一郎大阪市長が代表を務めていた時期の「大阪維新の会」(以下、維新の会)が、政治資金パーティの収入を過少申告し政治資金規正法(以下、規正法)違反したとして、大阪地検に刑事告発・担当:フリージャーナリスト・鈴木祐太】 2023年03月01日  11:32:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【維新とカネ】:松井代表と東参院議員を刑事告発 維新の会の柴田議員への寄付不記載は虚偽記載か 「維新には遵法精神ない」と専門家指摘

2023-04-11 07:26:30 | 【政治とカネ・政党交付金・「企業・団体献金」・政治資金・議員歳費・賄賂・後援会

【維新とカネ】:松井代表東参院議員刑事告発 維新の会の柴田議員への寄付不記載虚偽記載か 「維新には遵法精神ない」と専門家指摘

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【維新とカネ】:松井代表東参院議員刑事告発 維新の会柴田議員への寄付不記載虚偽記載か 「維新には遵法精神ない」と専門家指摘

 日本維新の会が、2019年に所属する柴田巧参議院議員の後援組織「柴田巧連合後援会」に250万円の寄付をしたにもかかわらず、政治資金収支報告書(以下、収支報告書)に記載していなかったとして、松井一郎代表と会計責任者の東徹参院議員が4月に刑事告発されていたことが分かった。(フリージャーナリスト・鈴木祐太

日本維新の会代表の松井一郎氏(右)と会計責任者の東徹参院議員。大阪府会議員の森和臣氏のHPより。

 ◆裏金収入の可能性?

 告発状によると、「柴田巧連合後援会」(以下、柴田後援会)は日本維新の会から2019年10月29日に250万円の寄付を受けたと政治資金収支報告書(以下、収支報告書)に記載されているのに、日本維新の会の収支報告書には、250万円を寄付支出した記載はなかった。

 日本維新の会は、収支報告書に支出の記載していないため、実際の寄付の原資の250万円の収入も記載しないことになる。松井代表と東議員は、収入と支出の各250万円の不記載の政治資金規正法違反の罪で2人は刑事告発された。告発したのは上脇博之神戸学院大学教授。

 また告発状では、2019年に寄付をした250万円の原資の収入がなったとしても、250万円の寄付支出をしていれば、繰越額は収支報告書に記載された金額よりも250万円少なかったはずだが、2020年の収支報告書にもその記載はなく、政治資金規正法違反の虚偽記載罪にあたると指摘している。

 告発した上脇教授は理由を次のように述べる。

 「日本維新の会が柴田後援会への寄付を記載していないのは、政治資金規正法違反になります。250万円の寄付支出を記載しなかったのは、その原資の250万円が裏金収入だったからではないでしょうか」と、表に出せないお金だった可能性を指摘した。

 上脇教授が続ける。

 「柴田後援会に寄付したのが日本維新の会以外の者だった場合に備えて、維新の柴田巧議員らも政治資金規正法違反の虚偽記入罪で予備的告発をしました。いずれにしても、政治資金規正法違反になるのです。遵法精神がないのでしょう」

 柴田後援会への250万円の寄付は、日本維新の会からのものだと記載されているが、この記載が仮にミスであったとしても、やはり法律違反になると、政治資金問題の専門家である上脇教授は指摘した。

◆柴田議員も虚偽記載で刑事告発さる

 柴田議員は2019年7月に日本維新の会から参院比例区で立候補して当選。地盤は富山県で現在、党政調会長代行を務めている。柴田議員と後援会の関係者は、別の一件で4月に上脇教授から虚偽記載の疑いで刑事告発されている。

 柴田議員は2019年の参院選前に後援会から選挙関係費として約595万円の寄付を受けたと選挙運動収支報告書に記載していたが、その後、その大部分の587万円を選挙運動収支報告書から削除した。一方、後援会の収支報告書では記載されたままになっていた。

 つまり、後援会は587万円の寄付をしたのに、受け取った柴田議員は受領の記載をしていない。これが虚偽記載に当たるということだ。

 まもなく夏の参議院議員選挙だ。日本維新の会は「身を切る改革」をしきりにアピールしているが、不明朗なカネの問題が露呈し続けている。これでどこが「身を切る改革」なのか。選挙向けのパフォーマンスと言われても仕方ないだろう。

 ■ 鈴木祐太 (すずきゆうた)
1981年香川県で生まれ。岡山、大阪で育つ。大学在学中から貧困状態にある子どもたち、特に被差別部落や在日外国人の子どもたちへの支援に関わり、小学校講師、派遣社員などを経てジャーナリズム活動を始める。フロントラインプレス所属。

 元稿:アジアプレス・インターナショナル 主要ニュース 社会 【疑惑・、2019年に所属する柴田巧参議院議員の後援組織「柴田巧連合後援会」に250万円の寄付をしたにもかかわらず、政治資金収支報告書(以下、収支報告書)に記載していなかった事案・担当:フリージャーナリスト・鈴木祐太】 2022年06月15日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【維新とカネ】:馬場共同代表が政党助成金を不正に受給か 収支報告書の辻褄合わず 「虚偽記載に当たる」と専門家は批判

2023-04-11 07:26:20 | 【政治とカネ・政党交付金・「企業・団体献金」・政治資金・議員歳費・賄賂・後援会

【維新とカネ】:馬場共同代表が政党助成金を不正に受給か 収支報告書の辻褄合わず 「虚偽記載に当たる」と専門家は批判

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【維新とカネ】:馬場共同代表が政党助成金を不正に受給か 収支報告書の辻褄合わず 「虚偽記載に当たる」と専門家は批判 

 日本維新の会共同代表の馬場伸幸衆議院議員が代表を務める「日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部」(以下、政党支部)の政治資金収支報告書(以下、収支報告書)と政党交付金使途等報告書(以下、使途報告書)の間に矛盾が生じていることが、筆者の調査の結果、判明した。専門家は「順法精神ない。虚偽記載に当たる」と厳しく指摘した。(フリージャーナリスト・鈴木祐太

維新の馬場伸幸議員は昨年12月に政治資金規正法違反で容疑で刑事告発されている。写真は馬場議員のツイッターより。

 ◆使途報告と収支報告がまったく合わない

 馬場議員が代表を務める政党支部は、2019年に「機関紙誌の発行その他の事業費」として240万9436円の支出をしたと「収支報告書」に記載している。これに対して「使途報告書」では同じく「機関紙誌の発行その他の事業費」として298万9448円を支出したと記載されている。つまり、「使途報告書」に記載した額の方が約58万円多いということである。

 「使途報告書」は、政党支部の支出のうち政党交付金(政党助成金)で支払った経費を報告するものであり、「収支報告書」は、政党助成金で支払った経費を含む、政党支部の全ての支出を報告するものである。簡潔に言うと、全ての支出を記載している「収支報告書」の額を「使途報告書」が超えることはあり得ないのである。

 2019年の「機関紙誌の発行その他の事業費」は政党交付金の方が約58万円多いことになる。仮に政党交付金の記載が正しいことになると、「収支報告書」に最低でも約58万円少なく記載したことになる。一方、「収支報告書」の記載金額が正しいとなると、「使途報告書」は約58万円多く記載したことになる。

 要するに、「収支報告書」、もしくは「使途報告書」のどちらかが誤りか虚偽の記載をしていたことになるのだ。

 ◆質問に回答すらしない馬場議員

 調べてみると、馬場議員関連の「使途報告書」の額が「収支報告書」を上回っていたのはこれだけでなかった。

 「機関紙誌の発行その他の事業費」は「機関紙誌の発行事業費」「宣伝事業費」などに内訳の項目が分かれている。その「機関紙誌の発行事業費」「宣伝事業費」もまた、「使途報告書」の額が「収支報告書」を上回っている。

 2019年の「機関紙誌の発行事業費」では、「収支報告書」が60万3486円と記しているのに対し、「使途報告書」では82万3032円になっており、政党助成金の経費の方が約22万円多くなっている。

 2019年の「宣伝事業費」は、「収支報告書」が180万5950円に対して「使途報告書」では216万6416円になっており、政党助成金の経費の方が約36万円多い。

 また2018年の「機関紙誌の発行事業費」では、「収支報告書」が13万3434円に対して、「使途報告書」では14万9582円になっており、政党助成金の経費の方が約1.6万円多い。

 これでは「虚偽記載」と言われても仕方がない。

 馬場議員の事務所に事実関係の確認をするため質問状を送ったが、回答期限までに回答はなかった。

 ◆維新の国会議員トップが法違反

 政治資金問題に詳しい上脇博之神戸学院大学教授は以下のように述べた。

 「虚偽記載の犯罪が成立するのは明らかでしょう。現時点で不確定なのは、その犯罪が政治資金規正法違反なのか、それとも政党助成法違反なのかだけです。

 いずれにしても、会計帳簿に真実の支出を記載していれば絶対に起こりえないことですし、かりに単純なミスをしても、『使途報告書』と『収支報告書』の両方を毎年チェックすれば絶対に起こりえないので虚偽記入でしょう。2年連続してやつているので、遵法精神がないから虚偽が平気でできたのでしょう」

 チェックさえしていれば防げていた問題だと指摘した。

 馬場議員は21年12月にも政治資金規正法違反の疑いで刑事告発されている。さらに日本維新の会の政治家に「政治とカネ」の問題が相次いでいることについて、上脇教授は次のように厳しく指摘した。

 「このような支部の代表が日本維新の会という党の幹事長だったわけですが、今では共同代表です。遵法精神がないのは、党の政治的体質だと思えてなりません」

 共同代表を務め、いわば維新の国会議員の長である馬場議員に、昨年の刑事告発に続いてカネの問題が発覚した。維新の他の国会議員にも次々とカネの問題が出てきている。これだけカネの問題が相次ぐと、維新の「身を切る改革」というのは選挙向けのパフォーマンスに過ぎないと言われても仕方ないだろう。

 ■ 鈴木祐太 (すずきゆうた)
  1981年香川県で生まれ。岡山、大阪で育つ。大学在学中から貧困状態にある子どもたち、特に被差別部落や在日外国人の子どもたちへの支援に関わり、小学校講師、派遣社員などを経てジャーナリズム活動を始める。フロントラインプレス所属。

 元稿:アジアプレス・インターナショナル 主要ニュース 社会 【疑惑・日本維新の会共同代表の馬場伸幸衆議院議員が代表を務める「日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部」(以下、政党支部)の政治資金収支報告書(以下、収支報告書)と政党交付金使途等報告書(以下、使途報告書)の間に矛盾が生じている問題・担当:フリージャーナリスト・鈴木祐太】 2022年06月09日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【連載・維新戦記】:⑤【独自】「維新の会」と橋下徹の本質とは何か? カネ、通帳、印鑑の大トラブルに見舞われた7年前の悪質騒動すべてバラす 

2023-04-11 07:26:00 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【連載・維新戦記】:⑤【独自】「維新の会」と橋下徹の本質とは何か? カネ、通帳、印鑑の大トラブルに見舞われた7年前の悪質騒動すべてバラす

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【連載・維新戦記】:⑤【独自】「維新の会」と橋下徹の本質とは何か? カネ、通帳、印鑑の大トラブルに見舞われた7年前の悪質騒動すべてバラす

 衆議院議員・米山隆一氏は、新潟県知事を務める前の2012年から2015年にかけて、日本維新の会に所属し、衆参選挙を戦った過去がある。彼がみた「維新」の本質を、秘話とともに詳細に明かす。衝撃の手記、第5弾。

 ■連載第1回(前編後編)、第2回第3回第4回もあわせてお読み下さい。
 
 ◆通帳も代表印も「大阪組」が管理

 維新の党が「大阪組」と、そうでない「東京本部」で分裂するのは決定的な展開となってきました。

 2015年10月20日、本格化した維新の党の分裂騒動の最中、訴訟担当として維新の党の東京本部に呼ばれた私は、訴訟を提起しなければならなくなった事実関係を聞いて、心底驚きました。

 維新の党は、松野頼久代表、今井雅人幹事長であったにもかかわらず、党員名簿から政党交付金の通帳、届出印、代表印にいたるまで、東京本部ではなく大阪の事務方が管理していたのです。

 そして驚くべきことに、維新の党「大阪組」の面々は自らが「代表ではない」と否定している松野頼久代表の名前と印鑑を使って、10月20日に支給される6億6619万5750円の政党交付金を10月6日に申請していました。

 これに対して、維新の党の今井幹事長が10月13日付で通帳と代表印の引き渡しを求めます。だが「大阪組」はこれを拒んだため、東京本部は対抗措置として17日に維新の党の銀行口座を凍結しました。

 私はその事実を聞き、「ああ、大阪維新の人達は、ともかく『維新』と名の付くものすべてを自分たちの手の中に持ち続けたくて、大阪組以外には何一つ渡すつもりがないんだ。それを当然のことだと思っているんだ。この人たちにとって『維新』とは、徹頭徹尾自分たちの『私物』なのだ」と思いました。

Photo by GettyImages

 お家騒動の渦中の10月19日、維新の「創立者」である橋下徹氏はこうツイートします。

 《政党交付金は税金です。不要になった政党を潰し、支払いを終えて残った政党交付金を国民の皆様にお返しする。本来の維新スピリットとはこういうことです。大阪維新の会の代表として、なんとか維新の党を潰して、少しでも多くの額を国民の皆様にお返しできるよう努めます。本当に申し訳ありませんでした》

 橋下氏は、まるで自らが全くお金にこだわっておらず、政党交付金を返還することが自らが仕掛けた分裂騒動の動機であったかのように言い募っていたのです。もう一度書きます、分裂を仕掛けたのは「大阪組」です。

 私は「本当にこの人は、1億2千万人の日本人に対して嘘をつくことが、まるで平気なのだ。橋下氏はもう維新から出ていったのに、なぜ関与してくるのか。とても一緒に政治をできる人じゃない」と思い、「維新の党の未来」と題するブログの記事を公開しました。

 10月21日には、「法律意見書」が郷原信郎弁護士から提出され、郷原弁護士のブログでも公開されました(「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏への疑問)。その中では維新の党規約の極めて常識的・妥当な解釈の帰結として、現在の松野頼久氏が維新の党の正統な代表であることが示されていました。

 それと同時に、その正統な代表の許可なく代表印を用いて政党交付金等を申請し、党規約に定める手続きを無視して臨時総会を招集し、代表の変更登記を申請する行為は、偽計業務妨害罪、公正証書原本等不実記載罪、業務上横領罪の可能性が指摘されていました(参考資料:郷原弁護士による法律意見書)。

 ◆笑いながら解散決議に賛成票

 私は郷原弁護士の「大阪組の行為は、犯罪が成立する可能性がある」と言う指摘は正しかったと今でも思っています。

 しかし、私のブログでの抗議や郷原弁護士による法律意見書などまるで存在しないかのように、2015年10月24日、大阪市内のホテルで、東徹参議院議員、馬場衆議院議員らを始めとする「大阪組」によって臨時党大会が開催されました。そこで、維新の党の解散が決議され、馬場氏が「偽りの新代表」に選任されました。その様子は大阪組の意向で、ニコニコ動画で配信されました

 私はそれまでの経過から見る気分にもなれませんでしたが「今後の訴訟の為に」と心に鞭を打つ気持ちでその動画配信を視聴しました。

 そこでは予想通り、現在日本維新の会の代表となっている馬場信幸氏や東氏が、橋下氏の論理や主張をそのまま読み上げ、すべての議案が、232人の出席者全員の起立で可決されました。そして最終的な「維新の党解散決議案」は投票となり、出席者が陶然とした表情で、時に笑顔を交えながら投票していく様子が映し出されました。

 自らの所属する政党の解散決議に対する賛成票を、党員たちが笑いながら投票していくというのは、ホラー以外の何物でもありませんでした。

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 その中には、ともにより良い新しい政治を作ろうとする同志だと思っていた友人たちもいました。「それぞれの立場」と割り切ることができればよかったのかもしれません。

 しかし私は「ああ、この人たちは、あの橋下氏の無茶苦茶な理屈に基づく、道理を無視した解散決議に賛成できるんだ……そして馬場氏や東氏の、普通に考えて違法な行為を容認できるんだ……そうであるならそれはもう、どんなに好人物であっても、僕とは相いれない。政治家としては、まったく別の存在だ」との思いを禁じ得ませんでした。

 なんの権限もない「大阪組の臨時党大会」が開催された以上、話し合いによる「円満分党」は不可能となり、私は急ピッチで訴状の作成を進めました。

 訴状の内容は「維新の党が所有している名簿・通帳・印鑑を、『大阪組』が不法占有しているのでその返還を求める」と言う極めて単純なものです。その作業のため、訴状に添付する法人登記を取得した段階で、私はまたも驚愕しました。

 橋下氏は2014年の総選挙敗北後の12月23日に、代表辞任を表明し、そこからは江田憲司氏が代表となり、党を切り盛りしていた。ところが登記を見ると、橋下氏は2015年8月27日まで代表を辞任していなかったのです。

 橋下氏の出演しているテレビ朝日の「橋下×羽鳥の番組」には私も出演し、この点を指摘しました。橋下氏は「単なる事務方の登記手続き上のミス」と弁解していましたが、8ヵ月間も代表辞任登記が放置されていたのです。橋下氏は弁護士です。単純ミスは考えられません。ほぼ確実に意図的なものだったと思われます。

 ◆なぜ橋下氏は代表登記を書き換えなかったのか

 私は、橋下氏がなぜこんなことをしたのか、その動機を真剣に考えましたが、「橋下氏は世の中に対しては『潔く辞任する!』と恰好の良いことを言いながら、登記上は江田氏・松野氏との共同代表に留まることで、万が一の場合に党をコントロールする保険をかけていた」以外のものは思いつきませんでした。

 私の中で、「橋下氏と言う人物の言は、何一つ信ずることができない」との「疑い」は「確信」に変わりつつありました。

維新の党の登記

 この登記から、松野氏の選任手続きに関する橋下氏の言い分に疑いを持った私は、10月30日の訴状提出時に、この登記の申請書類の閲覧手続きを行いました。

 そこには、橋下氏が代表に留まり、松野氏が選任された手続き──橋下氏が公式に主張している「江田代表の辞任に伴い、松野代表が執行役員会で選任された」とは異なる手続きが記載されている筈だったからです。

 開示された2015年5月19日付の登記申請書類は、さらに驚くべきものでした。何と大阪都構想が否決された直後の5月19日、執行役員会には、本来役員ではないはずの橋下氏が「代表者」として出席し、江田氏の辞任の後、橋下氏が議長となり、橋下氏が松野氏を新代表に指名していました。これは執行役員会で可決され、法人実印とはいえ橋下氏自身がこれに印を押していたのです。

 私は「代表ではないのに、代表であるとして執行役員会の議長となり、法人実印まで押印した橋下氏は本当に弁護士なのか?」との思いを禁じ得ませんでした。

 維新の党の分裂騒動は、騒動ばかりがクローズアップされて、その中身が置き去りになった感がありましたが、橋下氏ら「大阪組」による「松野代表に代表権はない」という主張の概略は以下でした。

 (1) (前年12月23日に橋下氏が辞任したことを前提として)5月19日に江田氏が辞任したことで維新の党は代表不在になり、これによって執行役員も不在になったから、執行役員会による松野氏の選任は無効であり、松野氏は代表権限を有しない。

 (2) 地方分権を旨とする維新の党の規約は「合憲限定解釈や委任の法理」に基づいて解釈しなければならないので、執行役員会には代表選任権限や任期延長権限はない。

 (3) 仮に松野氏が代表権限を有したとしてもその任期は9月30日までであり、代表選挙のある11月1日まで任期を延長した執行役員会の決定は(2)に基づいて無効である。

 登記申請書類に記載されていた事実経過が真実で、執行役員会の選任が事実追認で行われたのか。あるいは単に登記用の方便として書かれたことなのか。それは分かりませんが、いずれであるにせよ「大阪組」の事務局が、法に触れかねない書面を橋下氏の了承なしで作ることはまず考えられません。この書面はほぼ確実に橋下氏の了承か、むしろその主導で作られたものでしょう。

 ◆根底から覆る橋下氏の主張

 この書面に書かれたことが事実であり、執行役員会が事実追認であるというなら、橋下氏は2014年12月23日の辞任発表の時点から分裂騒動、そしてこの記事を書いている今に至るまで、世の中に対して「自分は2014年の総選挙敗北をもって維新の党の代表を辞任した」という嘘をついた、国民を欺いたことになります。

 この場合、橋下氏は代表に留まっていますので、上記(1)の「5月19日に江田氏が辞任したことで維新の党は代表不在になり、これによって執行役員も不在になったから、執行役員会による松野氏の選任は無効であり、松野氏は代表権限を有しない」と言うその主張は、根底から覆ることになります。

 一方、そうではなく、橋下氏の言っている経過は真実であり、この登記申請書類は単に方便だったとしても、登記に虚偽の事実を記載して恥じない人物だということになります。

 そのいずれであるにせよ、橋下氏は、自らが積極的に指名し選任した(少なくともその旨の文書に自らの印を押す事を許容した)松野氏が、5月19日時点から代表ではなかったという、極めて矛盾した支離滅裂ともいえる主張で、維新分裂騒動を主導したということになるのです。

 この登記申請書類を見た瞬間、私の中にあった「橋下氏という人物の言は、何一つ信ずることができない」という疑いは、確信に変わりました。

 10月30日、訴状提出後ただちに、私は松野代表の記者会見要旨を起案し、会見にも赴きました。

 そのとき、落選中の森夏枝氏(後に衆議院議員)が東京本部スタッフとして働いていました。私は森氏の「大阪組」(橋下氏)への傾倒ぶりを知っていましたので、少々意地悪く「お久しぶり。こんな所で働いていていいの?」と笑いながら声をかけましたが、森氏は「いえいえ」と苦笑いだけして持ち場に戻っていきました。

 その後私は、通帳・印鑑の取戻しについても訴状を作成し、12月11日に訴訟提起を行いました。

 これらの2つの訴訟の進行とともに、さらに私は、党員の除名問題への対処と、12月中旬に支給される政党交付金問題への対応も担当することになりました。

 私が東京本部に呼ばれて法的対応を開始する前の10月14日、維新の党は、橋下氏が設立する国政政党への参加を公然と表明していた馬場氏、東氏、片山虎之助氏を除名にしました。その後、橋下氏の新党への参加を表明していた国会議員9人と地方議員など162人も除名処分とします。「大阪組」はこれを「無効だ」と言って効力を争っていたのです。

 ◆馬場氏の交際費問題

 また、政党交付金問題への対応は以下のようなものでした。

 「大阪組」は、前述の橋下氏の「大阪維新の会の代表として、なんとか維新の党を潰して、少しでも多くの額を国民の皆様にお返しできるよう努めます。本当に申し訳ありませんでした」との内容のツイートだけでなく、自ら行った解党決議とは裏腹に、新たな政党交付金を得ようとしていました。

 彼らは維新の党の代表を馬場氏に切り替え、凍結された口座に代わって新たなものを開設して、政党交付金の申請をしました。申請期限は12月10日までと迫っていました。「大阪組」に政党交付金が支払われたら東京本部は受け取れませんので、当然ながら阻止する必要がありました。

 そこで問題への対応のため、松木謙公議員が10月16日に大阪本部を訪ね、代表印、通帳、印鑑カードの返還を求めました。私は松木氏から、詳細を聞きました。中でも印象深かったのは「大阪組」の井上英孝衆議院議員、浦野靖人衆議院議員の口調で、正直それは「その筋の方」を彷彿とさせるものがあったそうです。

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 私の記憶に残ったのは、松木議員と浦野議員の会話で、松木議員が「まあ馬場さんが飲んじゃったお金なんかは不問にしていわないでやるから、ここはちゃんと渡してよ」と言ったとたんにあたふたとした感じになったという一節でした(ただしこれは私が当時松木議員から聞いた記憶に基づくもので、今般松木議員に確認したところ「記憶していない」とのことでした)。

 この会話の意味を解説しておくと、当時大阪組が通帳を死守していた理由の一つには、除名前に国会対策委員長だった馬場信幸議員が、月300万円以上の交際費を使って飲み歩いていると報道され、それを隠蔽するためだと噂されていました。最終的に私は通帳を見ていないので真偽は不明ですが、「さもありなん」との思いを、禁じ得ませんでした。

 私がこのとき見た「大阪組」の姿は、自分勝手で理不尽な「金の亡者」以外の何物でもありませんでした。それを如実に示す事件は、11月4日に起こりました。

 私のもとに東京本部の事務局から「維新の党国会議員団本部代表松野頼久(参議院口)」の通帳口座から、片山氏によって250万円が勝手に引き出されたとの一報が入ったのです。 

 驚いた私が聞いた経緯はこういうものでした。

 「参議院では片山氏の力が強く、片山氏の秘書に繰り返し強く言われて事務局の者が10月28日に『勝手に引き出してはいけない』と強く伝えたうえ、通帳とカードを渡してしまった。今日確認すると、口座からお金がなくなっていた」

 いくら通帳とカードを持っているとはいえ、分裂騒動の真っただ中に「維新の党国会議員団本部代表松野頼久(参議院口)」とある口座から、250万円ものお金を引き出す片山氏には、業務上横領が成立しうるものです。

 片山氏側はこの250万円は手を付けずに管理しているとのことで、東京本部では穏便な返還交渉を進めていましたが、私は刑事告訴を強く進言し、その準備も進められることになりました。

 10月20日に維新の党東京本部に呼ばれてからわずか2週間余りの間に、私は(1)名簿・通帳・印鑑の取戻し訴訟 (2)「大阪組」の除名手続きへの対応 (3)政党交付金申請への対応 (4)片山氏に対する刑事告訴への対応、と4つの手続きを抱えることになったのです。

 

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【政局・日本維新の会担当:衆議院議員・米山隆一氏】  2022年10月20日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【連載・維新戦記】:④橋下徹が維新でムチャクチャなクーデターを仕掛けた7年前「幻の代表選」の真相を明かす《茶番の8・27代表選を前に》

2023-04-11 07:25:50 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【連載・維新戦記】:④橋下徹が維新でムチャクチャなクーデターを仕掛けた7年前「幻の代表選」の真相を明かす《茶番の8・27代表選を前に》

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【連載・維新戦記】:④橋下徹が維新でムチャクチャなクーデターを仕掛けた7年前「幻の代表選」の真相を明かす《茶番の8・27代表選を前に》

 衆議院議員・米山隆一氏は、新潟県知事を務める前の2012年から2015年にかけて、日本維新の会に所属し、衆参選挙を戦った過去がある。彼がみた「維新」の本質を、秘話とともに詳細に明かす。衝撃の手記、第5弾。

 ■連載第1回(前編後編)、第2回第3回もあわせてお読み下さい。
 
 ◆はじめに│8月27日の代表選を前に

 維新は設立から2012年の設立から10年を経て、間もなく8月27日に初の「代表選挙」を迎えるものと報道されていますが、実は今を遡ること7年前、2015年11月1日に「党員・議員平等に一人一票の代表選挙」が行われるはずでした。

 しかしこの代表戦は実施されることはありませんでした。同年12月に大阪市長の任期切れと共に政界を引退するはずだった橋下氏が、自らの推す大阪系の候補が勝てないことが分かった途端、突如分裂騒動を仕掛けたからです。大阪系の議員・党員だけで臨時党大会を開き、馬場伸幸氏を代表に選出し新たな党を設立したために、幻に終わりました。

 今回の日本維新の会代表選挙は、大阪市長の松井一郎代表が、来年4月の市長任期をもって、政界引退を表明したことで始まりました。足立康史氏(党国会議員団政調会長)、梅村みずほ氏(参議院議員)、馬場伸幸氏(共同代表)の3氏による争いです。

 しかし「後継指名はしない」と言っていた松井氏が突然、馬場氏の支援を打ち出します。同時に立候補を予定していた東徹氏(参議院議員)が「党内の亀裂を生む」ことを理由に立候補を取り下げました。再度「(橋下氏・松井氏の意を受けた)馬場氏を選ぶための茶番選挙」となる様相を呈しています。

 本稿では、第1回の都構想住民投票否決から、橋下氏が突如維新の党の分裂騒動を仕掛け、当時議員でもない選挙区支部長に過ぎなかった私が、弁護士であったために馬場氏らへの訴訟の前面に立つに至った過程、代表選挙で負けそうになった橋下氏、松井氏の内幕を書かせていただきます。

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 ◆他の野党への裏切り

 2015年5月17日、維新が仕掛けた大阪都構想が否決に終わると、その余韻に浸る間もなく、中央政界では、その2日前に閣議決定を経て衆議院に提出されていた、平和安全法制(安保法制)一色になりました。

 この時すでにみんなの党と合流して「維新の党」となっていた維新は、衆議院21人、参議院5人の計26人の勢力となり、私も新潟で支部長を務めていました。新代表となった松野頼久氏は、「年内に100人体制を目指す」として、野党再編によって二大政党制が再び実現する期待が広がりました。

 ところがこの維新の党の新執行部の方針は、発足から1ヵ月ほどで暗雲が垂れ込めます。国対委員長だった馬場氏など「大阪系」が、「民主党左派も含む再編になると改革に後ろ向きになる」などと言って、野党であるにもかかわらず「反民主」「政府・与党との協調」に動きだしたのです。

 このとき国会では、企業が派遣社員を受け入れる期間の上限を事実上なくす労働者派遣法改正案が争点になっており、野党は徹底抗戦で採決に応じていませんでした。そもそも前年の11月に、民主党、維新の党、みんなの党、生活の党の野党4党で労働者派遣法改正案の対案として「同一労働・統一賃金推進法」を提出済み。ところが、維新の党は馬場氏らが主導し、この法案を修正のうえ自民・公明・維新で共同提出することを条件として、労働者派遣法改正案の採決に応じることにしてしまったのです。

 それは、一選挙区支部長に過ぎなかった私から見ても、一旦は再編に動いていた方針を翻す、他の野党に対する余りに酷い裏切りに見えました。 

 その3日後の6月14日には、橋下氏と松井氏は、都内のホテルで安倍総理・菅官房長官(当時)と会談し、「安保法制について意見交換した」と明かしました。その上で会談翌日には橋下氏が「維新の党は民主党とは一線を画すべき。自民党と国のあり方について激しく論戦できる政党をめざす」とツイートしました。

 同月18日の橋下氏の記者会見では、安倍総理との会談の直前、松野氏・柿沢氏と橋下氏・松井氏が会談した席で「『最高顧問を辞めたい』と伝えたら、松野さんから『発言は自由だ』と言われ(慰留され)た。安全保障は見直しの時期に来ているので、自由に言わせてもらっている」(当時の夕刊フジの報道)と報じられました。

 結局維新の党は、安保法案については、民主党系・みんなの党系の政策通の議員達の努力の甲斐あって、良く練られた合憲と評価される代案を提出した上で、採決自体には応じるという対応をしました。

 しかし私としては、12月の大阪市長としての任期切れと共に政界から引退するはずの橋下氏が勝手にしゃべって、それが党の基本方針になっていくことに違和感がありました。

 しかし、この時まではまだ、せっかく作った維新の党を、力を合わせて大きくしていこうという空気が、党内にはあったのだと思います。

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 ◆柿沢幹事長への猛反発

 維新ではこの年の9月に代表選挙を予定していました。7月7日には、「国会議員が1人1票、地方議員が5人分で1票、一般党員が200人分で1票」のルールで行われることが決まっていた。ところが橋下氏が「国会議員だけ重い価値を持つのはおかしい」と発言した途端に覆り、国会議員も地方議員も党員も、一人一票のルールで、9月から11月1日に延期して行うことが決定されました。

 それが、山形市長選挙という地方選挙を境に一変します。山形市長選挙は、自民・公明他推薦の経産省出身の佐藤孝弘氏と、民主・社民・共産他推薦の防衛省出身の梅津庸成氏が激戦を展開していました。

 ここで、維新の柿沢未途幹事長が慶応大学の小林節名誉教授の要請を受けて梅津氏の応援をしたことに、大阪系の議員が猛反発したのです。

 この騒動で、大阪系の議員からは柿沢氏への辞任要求が相次ぎましたが、そもそも柿沢氏が応援した時点で維新は山形市長選挙への党としての態度を決めていませんでした。反発の理由はただ単に「野党系候補を応援したから」に過ぎません。

 党としての方針に反したわけでもなく、維新の党自体が野党なのに「野党系の候補を応援したから幹事長を辞任せよ」と言うのは幾ら何でも理屈がとおりません。

 選挙区支部長に過ぎなかった私は、大阪系の議員たちの理由のない「狂気」に近い熱を孕んだ罵倒に、「一体、全体この人達は、自分自身が何故、何に対して怒っているのか、分かっているのだろうか?」と呆然と眺めていることしかできませんでした。

 真相は分かりませんが、本当のところ、このとき大阪系の議員たちは、「幹事長ポストを自分たちの手に取り戻したい」と思っていただけではないのかと、今でも私は思っています。

 ◆橋下氏が送ったメール

 松野代表、柿沢幹事長が流石にこの理不尽な要求を突っぱねていると、8月27日、今度は橋下氏が突如「離党」の意向を国会議員へのメールで表明し、松井氏もそれに同調したことがニュースで伝えられました。

 なぜひとつの地方選挙で、幹事長応援ぐらいのことで最高顧問の二人が辞めなければならないのか全く理解できませんでしたが、報道では「党を割ることはない」とのことでした(当時の私のブログ記事)。

 このとき橋下氏が維新の党の国会議員団に送ったメールが残っています。

 《1. 柿沢幹事長は辞任しない。2. 公開討論会は開催しない。3. 今、党が割れるようなことはしない。4. 僕と松井知事は、国政政党維新の党を離れて大阪、関西の地方政治に集中する。》旨がはっきりと記載されています(下写真参照)。

 
 橋下氏が送ったメール

 一方、世間では「維新の党分裂」がまことしやかにささやかれる事態となっていました。

 そして、その舌の根も乾かぬ翌8月28日、橋下氏は大阪府枚方市内で開いた仲間内の会合で、自身が代表を務める地域政党・大阪維新の会を国政政党化し、維新の党から独立した新党を設立する考えを示すニュースが発信されたのです。

 ここから、橋下氏に率いられた「大阪系」の議員たちは、もはや隠すことなく「東京系」の議員たちを敵視・罵倒し、分裂に向けて動き出したのです。

 橋下氏が突如分裂に舵を切った背景には、自ら提唱した「一人一票」の代表選により、にわかに始まった党員獲得競争がありました。そこで党員数を集計したところ、維新の党の東京組で、信頼が厚いことで知られる松木謙公衆議院議員が「大阪組」を遥かに上回る党員を獲得したことが判明。当初の「代表選挙で(橋下氏・松井氏の意を受けた)大阪系の議員が勝つ」の目算通りにいかないことがわかってきたのです。

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 私は橋下氏の余りの朝令暮改ぶりに愕然としつつ、「(大阪系の議員は)党の方針に異論があるなら、自ら設定した代表戦において正々堂々と戦うべきだ」という内容のブログを書きました

 ◆送られてきた通知書に呆然

 その後、9月8日に松野氏が、喧嘩両成敗的に東京系の柿沢幹事長、大阪系の馬場国会対策委員長、片山総務会長の3人を解任した後、大阪系の議員たちと東京系の党の執行部との間での分裂回避を模索します。分裂するにしても円満でと、ギリギリの交渉が行われたものの決裂しました。

 10月1日、橋下氏が「今の維新は偽物」として国政政党「おおさか維新の会」を設立する記者会見を行ったのです。 

 10月17日、固唾をのんで成り行きを見守っていた私の下に、東氏から「通知書」と題する書面と党大会の案内状が送付されてきました。通知書の内容は、

 (1) 江田代表が辞めたのちの執行役員会で松野代表を決めたことは規約に基づかないものであり松野代表は代表ではない

 (2) 仮に代表だとしても任期はその時決めた9月30日までである

 (3) 規約第8条4項「…その他の重要事項に関する議案は、執行役員会が党大会に提案する」に基づき自分が実行委員長として10月24日に党大会を開催し代表を選出する

というものでした。私はこの率直にいってこの通知書に呆然としました。

 (1)は今迄全員が党の代表だとして党運営を行ってきた松野代表が最初から代表でないというもので、余りにも信じられない主張でした。

 (2)の任期切れは在り得るとして、これも全員同意の上11月1日に党の代表選を予定していたのですから、代表の任期はその時まで延期されていると考えるのが通常で、いきなりこれを否定するのは余りに常識外です。

 (3)も無茶苦茶で、これだけの規定から、それまで何の権限もなかった東氏が突然党大会を開催して代表を選べるなら、規約など不要で、(1)や(2)の理屈など何の意味もなくなります。

 ところがそのような無茶苦茶な理由の下に開催される党大会では、

 A. 執行部の選任 B. 規約の改正 C. 円満分党 が議題とされていました。

 これだけ出鱈目な理由で事実上のクーデター、分裂騒動を仕掛けておいて、「円満分党」も何もないものです。こみあげる感情をおさえながらも、私は法律家として、適切な手続きではない分裂の非常識さにあきれながら、「かつてともに汗を流し、夢を語り、酒を酌み交わした同志たちの、良識ある判断を期待します」とするブログを記載しました

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◆橋下氏の正当化、そして訴訟合戦

 ほどなく私の下に、松浪健太衆議院議員から電話がかかってきました。松浪氏は何の悪気もない明るく上気した声で、

 「案内届いた? 橋下が規約を読み込んだらいけんねん。(大阪系に)来るやろ?」

 と一気に勧誘しようと話しました。私はその明るさに戸惑いましたが、

 「すみません、私はそう思いません。私は行けません」

 とだけ答え、電話を切りました。

 一方で橋下氏は、当時すでに多くの人の間に広がっていたTwitterで、「維新の党の国会議員への法律講座」と題して、自らの主張を正当化しつつ、「東京系」の現執行部側の議員達を罵倒するツイートを矢継ぎ早にアップしていました。

 しかし、率直にいってその論理は、維新の党と何の関係もない民法の委任契約についての一般論や、「平成3年の監獄法施行規則に関する最高裁判例」、憲法における「三権分立」を持ち出すもので、牽強付会、荒唐無稽としか言いようのないものでした。

 橋下氏の出鱈目な「法律講座」を見て私は、

 「今までの無茶苦茶な言動は『清濁併せ呑む政治家』としてまだ許容できる。しかし今この人が言っていることは、自らの政治的立場を有利にするために、弁護士と言う地位を利用して、世に偽りの法律論を騙るものだ。それは法律家として、専門家として、絶対にやってはいけないことだ。もうこの人に従うことは、金輪際できない」

 と思い、周囲から止められましたが、訣別の意味を込めて橋下氏の出鱈目な主張に逐一反論するブログを書きました。

 数々の不合理で場当たり的な言動と、この連載でも書いた大阪都構想でグラフの目盛りをごまかすことで揺らいでいた私の橋下氏への信頼は、この時完全に壊れたのです。

松野氏が原告となり、筆者が代理人となった訴状 松野氏が原告となり、筆者が代理人となった訴状

 その数日後、私の携帯に、当時維新の党本部で政調会長を務めていた小野次郎氏から電話がありました。小野氏は奇しくも自民党で小泉選挙をともに戦った仲間でした(小野氏は当選。私は落選)。

 電話の内容は、「君のブログは読んでいる。これから大阪維新と訴訟になるが、力を貸して欲しい」というものでした。

 午後8時過ぎ、私が首相官邸の横の坂道を降りた溜池山王の党本部につくと、党職員と小野氏、今井雅人幹事長らが揃い、訴訟対策の資料が用意されていました。11月1日に予定されていた一人一票の代表選挙の空気は既に雲散霧消し、訴訟合戦が始まろうとしていました。

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【政局・日本維新の会担当:衆議院議員・米山隆一氏】  2022年08月25日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【連載・維新戦記】:③「大阪都構想」を覚えていますか…橋下徹が世間をあっと言わせ、そして敗北したときに維新メンバーが考えていたこと

2023-04-11 07:25:40 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【連載・維新戦記】:③「大阪都構想」を覚えていますか…橋下徹が世間をあっと言わせ、そして敗北したときに維新メンバーが考えていたこと

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【連載・維新戦記】:③「大阪都構想」を覚えていますか…橋下徹が世間をあっと言わせ、そして敗北したときに維新メンバーが考えていたこと

 衆議院議員・米山隆一氏は、新潟県知事を務める前の2012年から2015年にかけて、日本維新の会に所属し、衆参選挙を戦った過去がある。彼がみた「維新」の本質を、秘話とともに詳細に明かす。衝撃の手記、第5弾。

 ■連載第1回(前編後編)、第2回もあわせてお読み下さい。
 
 ◆橋下氏の奇策

 大阪・堺市長選挙が終わってから、当面、国政選挙は先だろうという事で、私は少々のんびりとした気持ちで、東京と地元新潟を行き来する生活を送っていました。2013年のこの時、初めて小泉郵政解散選挙に立候補して落選した2005年から既に8年が経過していました。浪々の身の私は、

 「桃栗三年柿八年 米山十年 頑張ります」

 という句をブログに書き記しています

 一方で、大阪市の橋下徹市長(当時)が率いる「大阪維新の会」の看板政策である大阪都構想は、前回の連載で書いたように、前哨戦と位置づけられた堺市長選で惨敗したこともあって、混迷を極めていました。

 当時の大阪都構想は大都市地域特別区設置法に基づいて、24区からなる、政令指定都市の大阪市を廃止して、5つの特別区に分割・再編するもので、要するに大阪市の廃止の是非を住民投票で問うものでした。

 この区割り案を定める法定協議会は、大阪府知事、大阪市長、府議会9人、市議会9人の20人で構成されており、このうち維新は、松井一郎大阪府知事(当時)、橋下大阪市長、府議5人、市議3人の10人を占めていました。

 この中で自民党や民主党系、共産党がはっきりと反対。維新は20人中10人を占めていましたが、採決では、維新から出している法定協議会の会長、浅田均氏(現参議院議員)が採決に加わらないために、公明党の協力を得なければ、可決できない状況にありました。

 橋下氏はじめ維新執行部は、恐らく最終的には公明党の賛成を得られると考えていたのだと思いますが、2014年1月31日の法定協議会でその思惑は外れ、公明党の反対で区割り法案は否決されてしまいました。これによって橋下氏らが目指していた2015年の住民投票のスケジュールの達成が極めて困難な状況に陥ったのです。

 この事態を受けて橋下氏は、「大阪都構想に反対なら僕の首を取ればいい」と嘯いて大阪市長を辞任して再度大阪市長選挙に打って出るという奇策に打って出ました

 このとき私は、当時国会議員だった松浪氏と大阪都構想の情勢を話しましたが、松浪氏が「橋下はやるよ!」と上気した声で語っていたのを覚えています。

 大阪の維新のメンバーは皆、悲願達成に向けた橋下氏の「覚悟」に感動していました。

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 同年3月23日に投開票となった大阪市長選挙は、他の主要政党が維新の戦略には乗らないとして、候補者を出さない中で87.51%の得票率で橋下氏の圧勝に終わりました。

 しかし、当然のことながら出直し市長選挙をしたところで市議会・府議会の構成が変わるわけではなく、新潟にいる私には「多額の税金を用いて自分の人気を誇示する為のパフォーマンス」以上の意味は見出せませんでした。

 その後も、大阪都構想の状況が変わることはなく、法定協議会は相変わらず混迷しました。この状況に業を煮やした維新は、6月になると事態を打開するべく「法定協議会の委員を入れ替える」という更に強引な奇策に打って出たのです。

 6月17日、7月3日の両日、維新は、「法定協議会の事務は協定書の作成を行うことであり、協定書の作成を行わないのは義務違反で異常だから正常化する!」と言う無茶苦茶な理屈を掲げます(通常の法解釈なら、協定書の作成を行う団体は、協定書の作成を行わない事もできます)。

 維新が過半数を占めている大阪府議会の議院運営委員会で自民党、民主党、公明党の委員を差し替え、法定協議会の過半数を確保し、「5区・分離案」を強引に採決し、7月23日に協定書を決定したのです。

 税金を使った無意味なパフォーマンス選挙、無理な理屈付けによる少数会派の締め出しと強行採決……。自分も所属してはいるものの、このままの体質で維新が国会で多数派になったらどうなるのだろうと、不安を感じずにはおれませんでした。

 時を同じくして、国政政党の日本維新の会では、みんなの党から分裂した「結いの党」との合流協議が進行していました。その過程で、石原慎太郎氏のグループが反発。日本維新の会は分裂し、解党した後にまた日本維新の会を立ち上げるという、わかりにくい経過をたどりながら、9月21日、新しい日本維新の会と結いの党が合流して「維新の党」が結成され、橋下徹氏と江田憲司氏が共同代表に就任しました。

 私は、飲み会等で隣席すると、ひたすら国防だの国体だのを滔々と述べ立てる石原グループの方々が率直に言って苦手で、リベラルな改革志向の結いの党と合流できたことはむしろありがたいことだと感じていました。

 ◆維新を離れた議員が受けた仕打ち

 これに先立つ2014年4月に、安倍政権は5%から8%への消費税率引き上げを行っており、2015年10月には更に10%へ増税する方針でした。しかし4月の消費増税の影響が長引き、秋になるとアベノミクスに陰りが出はじめました。

 すると2014年11月、安倍首相は、突如、消費増税の信を問うとして衆議院を解散し、「アベノミクス選挙」に打って出たのです。

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 当時新潟県の「維新」は事実上私一人でした。地方レベルの旧民主党関係者との話し合いがもたれ、一旦、新潟5区で私が出馬するという合意がなされました。しかし、その後、突然森ゆうこ氏(現・立憲民主党参議院議員)が割って入り、私の出馬は雲散霧消しました。

 そのような経緯で2014年の選挙は、私は立候補せず傍観することになりましたが、強く印象に残ったのが、維新創設メンバーの一人で国会議員団政調会長を務めた桜内文城氏の愛媛4区の選挙でした。

 私は、国政政党である日本維新の会の創設メンバーで、当時、国会議員団政調会長を務めていた桜内氏とは、立ち上げ時の麻布のバーでの会合の頃から親しくしていました。結いの党との合流に反対だった桜内氏は、維新を離れ石原氏の「次世代の党」に加わっていましたが、私は、桜内氏が「維新」と「次世代」の統一候補となれば、チャンスがあると期待していました。

 ところがその桜内氏が出馬する愛媛4区に、堺市長選挙でも一緒に活動した、森夏枝氏(元衆議院議員)が、愛媛3区からの鞍替えで出馬したのです。

 鹿児島県・鹿屋体育大学卒業という経歴の森氏は、率直に言って政治・経済政策や選挙実務の知識にも乏しく、同じ愛媛県の先輩議員である桜井氏から政治のイロハを教えてもらっていました。まさかその森氏が、自らの生まれ故郷である愛媛4区の選挙区を捨てて、血で血を洗う桜井氏の刺客にたつとは思いもしませんでした

 その頃の報道によると、選挙中、愛媛4区に応援に入った橋下氏は、桜井氏のことをこう罵倒したといいます。

 「日本維新の会から次世代の党に移った人は、私のところに一言の挨拶もなかった。桜内さんは党本部にかまぼこ3本持ってきたらしい。私と松井知事と事務局に1本ずつということで。彼らが次世代の党を作る時、ずらりと並んで『国民に道徳教育が必要だ。礼節をわきまえた国民を育てないといけない』と言っていた。いやその前にまず、自分たちが離党する時の挨拶だろうと思った。ということで、これから(桜井氏の)事務所まで行こうと思う」

 すると隣に立った森氏は涙で声を詰まらせながら、こう演説したと報じられています。

 「私はこの愛媛4区には親戚もいない。知り合いも少ない。応援してくれる企業や団体もない。しかし闘わなければならない。どうしても許せないことがあったからだ。いまは次世代の党に移った候補にかつて、子育ての世代の声を聞かせてくれと言われた。なので、友達が子どもの学費の心配をしていること、何人も子どもを産むと大学に行かせられないと懸念していることを伝えた。そうしたらその候補は、『バカな親がバカな大学に行くことを心配しなくていいんだ』と言い放った。これが許せなかった」

 (上記2つの発言は『無慈悲!選挙後半戦は「仁義なき戦い」に』東洋経済オンラインより)

 桜内氏は、この連載2回目で触れた橋下氏の「従軍慰安婦発言」で袋叩きになっていた時に、必死で理論武装をして擁護し、政策面でも維新を引っ張っていた中心人物でした。 

 しかしこのとき、橋下氏が使っていたパネルの表示には率直に言って驚きと失望を禁じえませんでした。
橋下氏が使ったパネル橋下氏が使ったパネル

 たとえば橋下氏は、大阪の有効求人倍率が2009年には0.51だったのが、2010年に大阪維新の会を結成し、2014年には1.10に倍増したとのパネルを使い、北海道や青森、沖縄と比較して、いかに維新の政治が素晴らしいかを喧伝していました。

 しかし、2014年の大阪の有効求人倍率1.1は47都道府県中、16位のわが新潟県の後塵を拝する17位に過ぎず、この時東京の有効求人倍率は1.57、愛知は1.56でした。何のことはない、日本全体の景気回復による有効求人倍率の改善を、大阪よりも改善が低かった県だけを取り出して比較して、宣伝に使っていたのです。

 またこの時パネル下部にあるグラフでは、0.9から1.0、1.2の間が露骨に広くなっていて、有効求人倍率の改善が過剰に認識されてしまうという、極めて姑息な方法も使われていました。

 私は、都構想のエッセンス──大阪市と言う大都市を中心として府全域を一体として再構築する──従って都構想自体には賛成でしたが、何であれ、意図的に事実を曲げて自らの政治的主張を有権者に示すことは、耐えがたいことでした。

 殊に、「グラフの目盛りを黙って変える」ことは、一見小さく見えるかもしれませんが、理系を専攻してきた私から見ると言語道断で、自らの属する政党のトップが、このような内容で演説を平気で繰り返すことに、強く戸惑いました。

 その様な違和感はしかし、「大きな政治目標の実現の為」と自らに言い聞かせて飲み下しながら私は運動を続け、5月17日の大阪都構想の最終日を迎えました。

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 ◆住民投票の投票所での光景

 都構想の住民投票には「投票日には運動をしてはいけない」と言う公職選挙法上の縛りはないということで、私たち維新メンバーは、一人一人、各投票所に1日中張り付きになり、大阪市民一人一人に歩み寄って、「都構想への賛成をお願いします!」と働きかけました。

 情勢は拮抗しており、「分かってる!入れるよ!」という人もいれば、黙って顔をしかめて足早に投票所に向かう人もいました。

 そんな中で、一人の高齢の男性が、何も言わないうちから突然「おお、あんた米山さんじゃないんか?」と話しかけてきました。

 新潟から遠い大阪で私を知っているのはなぜか? と戸惑いながら私が「ええ、そうですが、なぜご存知で?」と応じると、その男性は

 「わしは、政治が好きでな、小泉郵政選挙で出ていたあんたのことは覚えとる。なんじゃ、今は維新なんか。あんた大層立派な学歴なのに、こんなところでまぁ難儀な事やなぁ」

 と答え、続けて、

 「あんたみたいな人が、あんな嘘つきの仲間になってええんか? あの橋下は嘘ばっかりやないか。あれもしたこれもしたって、調子のええことばっかり言いよって、わしらの生活は全然楽にならん」

 と、滔々と維新政治への愚痴を語りました。

 困惑を隠しながら笑顔で相槌を打ち続けましたが、私は橋下氏のように「大阪都構想が実現すればすべて解決します!」と言う気にはなれず、正直にこう答えました。

 「ええ。確かに橋下氏の宣伝は過大です。申し訳ありません。大阪都構想は、橋下氏が言う様なバラ色の未来を約束するものではありません。でも、やがて大阪も大阪市への人口一極集中と人口減を同時に迎えます。その中で効率的な都市開発を進めるには、府と市が一体となった解決が必要で、大阪都構想は有用な仕組みです」 

 その男性は、私の胸中を見透かしたように

 「なんや、あんた橋下が嘘つきだってわかっていてそうしとるんか。そりゃ一層難儀やな。ご苦労さん。でもわしは入れへんで」

 と言って、私の下を立ち去り、投票所へと向かいました。

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 ◆都構想否決、そして翌日に

 開票は午後8時に締め切られて9時から開票となり、私達維新のメンバーは、市内のホテルの会場で開票速報を見守りました。マスコミからもたらされる出口調査は、「数ポイント差で賛成派がリード」とのことで、私達は賛成多数を半ば確信し、半ば不安を覚えながら、固唾をのんでテレビ画面を見つめていました。

 私の周囲には、第1回目の選挙で東京1区から立候補した加藤義隆氏、今は立憲民主党から参議院議員となった塩村文夏氏他の一期生やボランティアの仲間がいました。

 午後10時を過ぎてもなかなか結果が出ないなか、突然後ろから「おお、米山さん、ご苦労さん」と声をかけられ、振り返るとやや興奮した表情の松浪氏がいました。

 「出口調査だと、何とかギリギリ行けるみたいやな。それにしてもまあ、維新はいっつもほんましびれる勝負や」

 そう緊張と笑顔が混じった顔で話しました。

 しかし、その僅か数分後、会場は「ああ~」と言うどよめきで包まれました。

 テレビ画面の速報に「大阪都構想否決」と言うテロップが流れたのです。その場にいた私たちも、しばし呆然とした表情でその場に立ち尽くしました。

 周りから、誰ともなく、「橋下さんどうするだろうね」との声が上がりました。橋下氏は、大阪都構想の住民投票が否決された場合は「政治家引退」を表明していたからです。

 私は

 「いや、そんなの辞める必要ないですよ。本当に理想を実現したいなら、『君子豹変す』で構わないし、今迄何度もしてきたことじゃないですか。今更ですよ。それに仮に橋下氏が辞めたら、江田さんがやればいいことです。その為の共同代表でしょう」

と言いましたが、誰からも返事はありませんでした。

その場にいたはずの松浪氏はいつの間にか姿を消していました。ほどなく会場に「開票見守り会は終了」とのアナウンスが流れ、私たちは其々に帰途につきました。

緊張が続いていたのか、翌日宿泊していたホテルで朝早く目を覚まし、テレビのスイッチを押すと、朝のワイドショーは都構想否決のニュースでもちきりでした。その中で、橋下氏が政治家引退を表明し、松野頼久氏(元衆議院議員)が代表に就任したことを知りました。

テレビ画面では「大変幸せな7年半、本当に悔いがない」と笑顔の橋下氏が繰り返し映し出されていました。

私が呆然とテレビを眺めていると、携帯に母から電話があり、

「あんた元気? 今日帰ってくるんだよね? でも、橋下さん、さわやかでさすがだねー。たいしたもんだよ。貴方も見習いなさいよ」

 と言ってきました。

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【政局・日本維新の会担当:衆議院議員・米山隆一氏】  2022年06月22日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【連載・維新戦記】:②今から9年前、「維新の会」が落ち目の民主党に迫ったとき、内部では何が起こっていたのか?橋下徹と「維新」の闇を赤裸々に明かす

2023-04-11 07:25:30 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【連載・維新戦記】:②今から9年前、「維新の会」が落ち目の民主党に迫ったとき、内部では何が起こっていたのか?橋下徹と「維新」の闇を赤裸々に明かす

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【連載・維新戦記】:②今から9年前、「維新の会」が落ち目の民主党に迫ったとき、内部では何が起こっていたのか?橋下徹と「維新」の闇を赤裸々に明かす

 衆議院議員・米山隆一氏は、新潟県知事を務める前の2012年から2015年にかけて、日本維新の会に所属し、衆参選挙を戦った過去がある。彼がみた「維新」の本質とは何か? 迫真の記録で迫る。

 ■連載第1回(前編後編)もあわせてお読み下さい。
 
 ◆2013年、野党第一党をうかがう状況で

 2012年の衆議院選挙の敗北は私にとって苦いものでしたが、私の政治意欲は失われていませんでした。日本維新の会代表・橋下徹氏をはじめとする執行部の対応には憤りもありましたが、落選後も連絡を取り合っていた同期の仲間と愚痴を言い合うことで自分を納得させるばかりでした。

 私は、今後の立候補希望に対する党からのアンケートに、次期参議院新潟県選挙区への立候補を希望すると回答しました。

 衆議院選挙で私は落選しましたが、民主党が230議席から57議席と激減する中で、維新はこれに迫る54議席を獲得し、野党第一党をうかがう状況にありました。世論調査によっては多少の違いはありましたが、2013年1月のNHKの世論調査では政党支持率が民主党7.6%に対して維新6.5%と迫っており(政治意識月例調査-2013年/NHK放送文化研究所)、当時定数2であった新潟県選挙区では、十分勝機があると考えたからです。

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 この年の新潟は大雪で、2013年の年明けから私は選挙のために、休んでいた弁護士、医師の仕事に追われていました。国会では誕生したばかりの安倍晋三首相が、3月16日、僅か3ヵ月前の選挙で掲げた「TPP絶対反対!」を翻し、交渉参加を表明していました。

 そんな中で、維新の会への入党の声をかけてもらい、その後も親しくしていた松浪健太衆議院議員(当時・現大阪府議)から、あまり嬉しくない知らせを受けました。

 「新潟は、今回凄い候補──我々の中では『特A』っていうんだけど──そういう候補が手を挙げているんだ。僕は米山君を推すけど、分からないよ」

 新潟に維新の会の候補となりそうな人物は見当たらず、特に問題なく自分が選ばれると思っていた私は、「そんな奴がいるんだ」と驚きを禁じえませんでした。一方で「特A」の人物が誰なのか見当もつかず、最終的には自分が選ばれるだろうという思いもあり、比較的楽観的に構えていました。

 ◆「特A」候補者と名指しされた人物の正体

 3月半ばになって「参議院選挙の候補者として認められた」との連絡がはいり、3月30日の第1回の党大会において、発表されることが伝えられました。

 2013年3月30日の党大会は、上り坂の党の熱気にあふれていました。私も参議院選挙への勝利に向け希望に胸を膨らませていました。この時、候補者紹介で壇上に並んだ際、私の隣になったのは、広島選挙区から立候補する灰岡加奈候補(現広島県議・自民党)で、同じく2012年の衆議院選挙で敗れていました。

 「いやぁ、衆議院選挙は参りましたよ。もうああやって、衆議院で比例上位に候補を突っ込まれるのは沢山です。予想ができる2人区の参議院がいいと思って、きたんですよ」

 「本当に。私だってもう、1人区の選挙はこりごりです。今度は2人区で!」

 という会話を交わしたことを今も記憶しています。(参考記事「維新、参院選で33人公認 選挙区11人・比例代表22人」日本経済新聞)

 壇を降りた懇親の場で、松浪氏と目が合った私はお礼を言いました。

 「御無沙汰しております。おかげさまで、無事候補となることができました」

 松浪議員は笑顔で答えました。

 「ああ、よかったな。『特A』の人、なかなかやったけど、米山君頑張ってるって、推しとったのを、執行部が聞いてくれたんやな。ところで『特A』の人、中学校の同級生なんやって? 齊藤君っていうんやけど」

 私は記憶をたどり、この「齊藤」氏が、当時Pezzy Computingを創設し、国産スーパーコンピューターベンチャーの旗手となっていた齊藤元章氏であること気が付きました。

 齊藤氏と私は長岡市と新潟市新潟大学附属中学校の同じ学年でした。私は長岡市のほうで、齊藤氏は新潟市でしたが、共通の友人が多く知己がありました。

 「ああ、あの齊藤君なら、知っています。ご選任頂き本当にありがとうございます。先生のお力添えのおかげです」

 私は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった齊藤氏を抑えて、私を選んでくれたことに安堵と感謝を感じながら、その場を立ち去りました。

 ちなみに齊藤氏は、残念なことに2017年12月、詐欺容疑で逮捕され、その後東京地裁で実刑判決を言い渡されています。

 ◆橋下氏の「慰安婦発言」の激震

 3月30日の党大会から新潟に帰った私は、興奮冷めやらぬ思いで、すぐに選挙準備に取り掛かりました。私は2005年の郵政解散選挙に自民党から立候補して以来ずっと新潟5区で選挙をしていました。しかし、参議院の全県選挙区では、県庁所在地であり、人口の3分の1が集中する大票田の新潟市での得票が、当落の命運をわけます。

 私は、4月に入ると新潟市の事務所探しや、スタッフを募集に奔走し、ゴールデンウイークには、新潟市内の行楽スポットで「日本維新の会」と書かれたタスキをかけて活動を始めました。

活動中の米山氏 活動中の米山氏

 行きかう人々の声は、「お、維新か。いいね。頑張れよ!」と好意的なものが多く、

 「このままいけば、2位に滑り込んで勝てるんじゃないか……」

 私はそんな手ごたえを感じながら、5月の連休を終えました。

 しかし、私の期待感は、長くは続きませんでした。

 5月13日、当時、大阪市長だった橋下氏が、記者団からの「村山談話についてどう思うか」という質問に対して「慰安婦制度は必要だった」と発言し大炎上したのです。

 また、これと同時に、5月初めに沖縄の米軍普天間飛行場を訪問した際、アメリカの司令官に対して「隊員の風俗業の活用」をアドバイスしたことも、ニュースで大々的に報じられました。

 「馬鹿なことを言いやがって……」
 私は呆然とするばかりでした。

 それでも少しでも好意的な報道をしているメディアがあることを祈るような気持ちでテレビのチャンネルを変えていきましたが、どの番組でも、橋下氏への非難一色でした。

 私はせめてもの弁明として、自身のブログ(「米山隆一の10年先のために」)に「従軍慰安婦問題」(我が党党首と言えど、「風俗発言」「慰安婦発言」には、私は反対します)や“You are the most beautiful in the world.”などの記事を書き、自分は橋下氏と同意見でないと表明。なんとか逆風を克服しようとしました。

 ◆「自分は正しい」と強弁する橋下氏

 しかし、この橋下氏の「従軍慰安婦発言」を境に、街頭の空気は一変しました。

 維新のビラを渡しても、演説をしても、

 「維新? ありゃダメだね」

 そういって立ち去ってしまう人が極端に増えました。

 「せめて発言を謝罪・撤回してくれれば……」

 と、私は毎日祈るような気持ちでニュースを眺めていました。橋下氏は、風俗発言は5月25日に撤回したものの、従軍慰安婦問題についての発言はかたくなに拒み、ただひたすら不合理で上から目線の自己弁護とマスコミ攻撃を続けるだけでした。多くの候補者、党員の思いや運命がかかっているにもかかわらず、橋下氏にとって大事だったのは、無理やり自らの暴言につじつまを合わせ、自分は正しいと強弁する事だけだったのです。

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 「この人は徹頭徹尾こういう人なんだ……」

 私は、衆議院選挙後の総括で感じた苦い感情が再び胸に上ってくることを感じました。

 それでももう、犀は投げられています。

 私は、橋下氏の不合理としか言えない自己弁護に終始する姿に強い幻滅を覚えながら、しかし、兎も角も勝利を目指して突っ走りました。

 5月14日に新潟市の県庁前に自費で大きな「日本維新の会」の看板を掲げ、18日に新潟、25日に長岡市で事務所開きをし、活動を継続したのです。

活動中の米山氏
            活動中の米山氏

 参議院選挙の前哨戦として位置づけられていた6月23日投開票の東京都議会選挙。

 橋下氏の従軍慰安婦発言、風俗発言の影響が大きく、日本維新の会は大量34人を擁立しながら、当選わずか2人の結果に終わりました。このとき、今年7月の次期参議院選挙で維新から東京選挙区で立候補を予定している海老沢由紀氏も落選しました。

 落選後、私は落胆する海老沢氏に電話して、

 「次は私ですね。頑張っていますが、まあ状況は変わらないでしょう。橋下氏には、お互いとことん振り回されますよね。でもお互い諦めずに頑張りましょう」

 と、慰めたことを記憶しています。

 ◆10万票は超えたものの

 新潟県は平均的な大きさの県の三つくらいを集めた広大さで、参議院選挙の投開票日までできる活動は限られていました。

 私は各地域の人口が多い中核都市に狙いを定め、自転車を積んだワゴンで赴き、ボランティアの若者たちと自転車で1日中回る「地上戦」を徹底しました。

 また先に述べた、齊藤氏から紹介された評論家の三橋貴明氏と公開討論会をしたり、東国原英夫氏、アントニオ猪木氏ら知名度の高い、話題性のある応援弁士を依頼して街頭演説を行い、その動画をネット配信したりもしました。

活動中の米山氏活動中の米山氏

 維新本部からは、阿部賞久府議(当時)、岩谷良平府議(当時・現衆議院議員)などが応援に来てくれました。猫の手も借りたい状況で、一人で演説ができる応援議員は率直に有難く、そこは流石に維新だなと思いました。

 そして、参議院選挙の投開票、7月21日、私の得票は10万7591票、1位の自民党候補の45万6542票には遠く及ばず、2位の民主党候補の20万4834票からも大きく引き離されました。しかし、巨大な組織力を持つ自民、民主両党に対して限界を痛感する一方で、個人で数か月間選挙戦を戦っただけの維新候補が10万票を超える得票を出来たことには、可能性も感じました。

 ◆中田宏氏の大上段な「演説」

 選挙後の8月10日、私は大阪の本部に呼ばれ、次回の意向を聞かれました。この時点でも私は政治への意欲を失っておらず、再度立候補の意思があることを執行部に伝えました。真夏の炎天下、胸に去来する様々な思いを込めて私は、

 「土の中 7年待つや 蝉時雨」

 という句をブログにアップしました。

 参議院選挙から2ヵ月ほどたった、9月に意欲が認められたのでしょう、維新の北信越ブロック会議に召集されました。

 2012年の衆議院選挙比例1位で当選した中田宏氏が北信越ブロックの長としてマイクを
 握り、大上段に振りかぶった「政治とは何ぞや」の様な話をされました。

 北信越地域とほとんど何のゆかりもなく、自身で何一つ選挙活動を行っていない人の話に、耳を傾ける気にはなれませんでした。

 それでも私は

 (1) 橋下氏の「従軍慰安婦発言」が、それまでの上げ潮ムードを一気に冷やした。執行部は自らの発言が、党全体に大きな影響を与える事を自覚してほしい。

 (2) ぜひ新潟の組織化について、ある程度のリソースを与えてほしい。それがあれば、3年間で、何らかの結果を出して見せるし、結果が出なかったら、首を切っていただいて構わない。

 (3) 日本維新の会は、本来、「政治を変えよう」という熱い志を持った人たちの集まりだ。落選してなお志を失わない人達はたくさんいて、連絡を取っている。その人たち勉強の場・活動の場として、党の公的な機関を創らせてほしい。

 と発言し、会議を終えました。

 ◆堺市長選と「大阪都構想」

 それからほどなくして、私の下に、維新が一丁目一番地の政策に掲げる大阪都構想で、大阪市に加えて、政令指定都市の堺市を含めるか否かで注目となっていた堺市長選挙への応援要請が来ました。

 議員でもなく、何の役職もない一党員に過ぎない私が、新潟から大阪府堺市まで行くのには、釈然としないものもありましたが、私自身、維新の府議らから参議院選挙で応援して貰ったこともあり、「これが維新」と思って参加しました。

 維新の応援は独特で、演説を行うのはツートップの橋下氏、松井一郎氏のみで、全国各地から応援に来た国会議員や地方議員は、演説をすることなく、私たちやボランティアと一緒にメガホンをもって街を歩きました。

 「大阪は一つ! 都構想の実現を!」

 私も、緑のシャツに緑のメガホンを持って叫びながら、共に回る多くのボランティアの人たちの一心不乱さに、私は維新の大阪での強さの源泉を見る思いでした。

 その一方で、「都構想」の中身がなんであるかを具体的に話す人はいませんでした。

 時折合流する橋下氏の演説も、お決まりの二重行政批判のほかは、「東京23区はプレスティージ。大阪に港区ができたらみんなが誇らしくなる!」と言う内容のない抽象論に終始。何より、堺市長選であるのに、堺市や候補者である西林克敏氏のことも殆ど一切話さず、ただただ「都構想」のことを話すだけでした。

 私は、

 「堺市長選なのに、これで大丈夫だろうか……候補者、かわいそうじゃないか? それにしても大阪都構想というのはこの程度の主張なのか、みんななぜここまで一生懸命になれるのだろう……」

 という疑問を禁じえませんでした。

 このとき同じチームで誰よりも賢明に叫んでいたのが、森夏枝愛媛3区支部長(当時・前衆議院議員)でした。

 こうして9月29日に投開票を迎えた堺市長選挙は、大阪都構想に反対の竹山修身氏が198,431票を獲得して、維新の西林克敏氏の140,569票を圧倒し、幕を閉じました。

 振り返るとすでにこの時、大阪都構想には早くも、暗雲が立ち込めていたのです。

 (近日公開の第3回につづく)

 ■連載第1回(前編後編)もあわせてお読み下さい。

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【政局・日本維新の会担当:衆議院議員・米山隆一氏】  2022年05月20日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【連載・維新戦記】:①【後編】:約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて

2023-04-11 07:25:20 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【連載・維新戦記】:①【後編】:約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【連載・維新戦記】:①【後編】:約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて

 かつて維新に籍をおいていた元新潟県知事の米山隆一代議士が見た「維新」の実像とは何か? それは改革を掲げる政党のそれとはとても思えないものだった。前編に引き続き、ありのままの実態を明かす。

 (この記事は前後編記事の後編です/前編はこちらから)

 ◆私の名前をひと言も言わなかった橋下氏

 12月4日の公示をまであと3日と迫った12月1日土曜日、長岡駅前に橋下代表代行を迎えての演説会が決まりました。それ自体は大変嬉しく感謝の至りでしたがしかし、本部から示された演説会の条件は、私は信じられないものでした。

 演説会は11時00分開始で、橋下代表代行の演説は11時45分からだというのです。応援弁士が、自分の演説開始時間を指定するのは当然ですが、演説会自体は候補者の陣営が開催するもので、応援弁士側が演説会全体の開始時間を指定するは、自民党時代からも一度もなかったからです。

 これが自民党であれば地元の県議・市議に応援演説をしてもらえばその場を持たせることは容易だろうと思いますが、当時の日本維新の会は、当然のことながら新潟には一人も地方議員はいませんでした。

 私の後援会組織も十分ではなく、ボランティアの応援団はいましたが、橋下氏見たさで多人数の参集が見込まれる中で「前座」で演説ができる度胸のある、経験豊富な政治家はいません。やむを得ず私は、45分間を一人の長演説で繋ぎ、橋下代表代行を迎える事にしました。

 心配された私の演説も何とか終わり、橋下氏が現れて演説をしたとき、私はさらに驚きました。橋下氏は私の名前をただの一言も言うことなく、維新の宣伝だけに徹底して演説を終えたのです。

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 ◆納得して寄付?

 それだけではありません。橋下氏は演説の中で、誇らしげに

 「相手は350億円もかけて選挙をやっているのに、僕ら日本維新の会はお金をかけずにやっているんです。しかもね、立候補者、皆自費で選挙をやっているんです。これが本当の政治家ですよ。

 見て下さい、民主党のあの最後のドタバタ劇。民主党は候補者に300万円渡しているんです。これ全部皆さんの税金。300万円だけもらって、逃げちゃった候補者もいたらしいけれども。後で返したらしいですが。日本維新の会は、金を渡すどころか、立候補者から100万円頂いているんです!」

 とドヤ顔で話したのです。候補者から100万円を徴収していることが週刊誌で報道されて問題視された故に、「候補者も納得して最初から寄付して貰った」という事にしたのでしょうが、その余りの実態との乖離に、私は眩暈を覚えました(ただしこの部分は動画の記録が残っていなかったので、記憶と千葉における演説を参考に再現しました)。

 ◆私を門前払いにした橋下氏

 自民党で応援弁士が応援している立候補者について一言も触れないなどということは一度もありませんでしたし、このような明らさまな欺瞞もありませんでした。もちろん私は一候補者に過ぎませんから、演説の内容に口を出す立場にはありません。私は無事演説会を終えた安堵を感じながらも、失望を禁じえませんでした。橋下氏が応援演説に来た際のポスター

 橋下氏が応援演説に来た際のポスター

 そのあと党本部から「地元の名店を予約するように」と言われていたので、私は名物である枌そばの名店「小嶋屋」を予約しました。

 特段会食は設定されていませんでしたが、自民党の応援弁士の方は、大臣クラスでも、時間があれば候補者・後援会スタッフと食事をするなり少なくとも挨拶ぐらいはかわすなりするのが常だったので、私は落選中を含めもう7年間も支えてくれている、地元の名士でもある後援会長と共に、小嶋屋に向かいました。

 小嶋屋に入ると橋下氏はすでに個室で食事をしているとの事で、その部屋に後援会長とともに挨拶に行くと、入り口は文字通り黒服のSPが控え、

 「現在休憩中だから誰とも会えない」

 とのことで私と後援会長は、話をするどころか顔を見る事すらない門前払いといっていい対応を受けました。

 ◆候補者もスタッフもただの「駒」

 勿論全国の候補者を応援して回っていた橋下氏が多忙を極めていたのは分かります。又当時の日本維新の会は、橋下氏の人気と知名度に大きく依存しており、氏からは全ての候補者が、自分と党を利用している存在にしか見えなかったのだろうとも思います。

 しかし、いかに橋下氏でも、一人で選挙はできません。政党として国政選挙を戦うには多くの候補者やスタッフが必要で、だからこそ当時の維新は、碌に選挙をしたこともない若者達に自腹で1000万円近くを負担させて、172名もの候補者を擁立していたのです。その候補者やスタッフをまるでごみのように扱うという事は、結局のところその地域もごみのように扱うという事でしょう。

 私は、その場で後援会長と共に席を取り、全く味のしないそばを、胸に湧き上がる苦い思いとともに飲み下しました。

 ◆次点で落選

 公示前からそんな事があったとはいえ、その後私の選挙戦は、自民党時代からの支持者・ボランティアと、数は少ないながら新たに得たスタッフに支えられて、それ相応に順調に進みました。12月16日の投開票日昼頃には、私の陣営のもとには「恐らく比例復活で当選」との報がマスコミから伝えられました。

 私は特段、飾りもない選挙事務所で吉報を待とうと考えていましたが、マスコミから「万歳をするのに必要」と言われて即席のひな壇を作り、万歳撮影の際の位置まで、マスコミ各社と打ち合わせました。当然、マスコミ予想の通り当選できるものだと考えていました。

 午後8時を迎え、私と支持者は期待を持ち開票速報を見ていました。しかし、北信越ブロックの維新の獲得議席は3議席。私は惜敗率44.38%で維新4位、次点で落選という残念な物でした。

 ◆「え? そんなこと言ったの?」

 選挙から1ヵ月ほどたった12月末、「選挙の総括」という事で、落選した候補者が大阪の維新本部に呼ばれました。実質的な代表でありながら、太陽の党との合流で代表代行となっていた橋下氏が総括を述べた後、質疑となり、落選した候補者の多くが、手を挙げて質問し、意見を述べました。維新の選挙サポートのなさを指摘するものも多かったのですが、そういった意見でも全体としてのトーンは今後に生かし、さらに前向きに努力するというものでした。 

 そんな中、私はどうしても釈然としない思いで、手を上げ、発言の機会を得ました。
 私は目の前の橋下氏を見据えて尋ねました。

 「このような機会を与えて頂き、大変ありがとうございます。今ほど、多くの皆様らか非常に有益な指摘や、前向きな決意が表明されました。私も今回は落選してしまいましたが、挫けることなく頑張りたいと思います。ただそれに当たって、一つ申し上げたいことがあります。

 私は面接のとき、『小選挙区候補者は同列一位ですか』と面接官に聞き、『同列一位だ』と明言されました。私だけではありません。何人かに聞いたところ、複数の候補者が、同じように確認し、同じ回答を得ています。ところが、蓋を開けたら、全てのブロックで、単独比例1位、2位の候補が擁立されました。

 私は、維新は、閉塞した自民党政治を打破し、『合理的な正しい政治』を実現する政党だと思っています。その政党が、内部のことであってもこういう不合理な事をしてはいけないと思います。なぜこのようなことになったのかその理由を伺うとともに、次回以降は、比例順位についての党の方針も、きちんと説明していただきたいと思います」

 橋下氏は、私の質問が終わるか終わらないかのうちに、いつもの大きな早口で答えました。

 「え? そんな事を言ったの? それ誰? 分からない? ああ、でもそういったなら、それは僕のミスです。すみません。しかし候補者の擁立は、高度な政治判断で党執行部が行います。皆さんは自分の力で選挙をするんじゃない、党の力で選挙をするんだから、それは当然です。ただ、今回の事は説明が悪かった。次回からそれは改めます」

 私は、太陽の党との合流を聞いた時から、心の中に澱のように積み重なっていた橋下氏と日本維新の党への失望と違和感が、はっきりと目に見える形を成していくのを感じながら、

 「分かりました。ご回答ありがとうございます」

 と答えて質問を終えました。

 この記事は前後編記事の後編です。前編はこちらから
(近日公開の第二回につづく)

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【政局・日本維新の会担当:衆議院議員・米山隆一氏】  2022年04月23日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【連載・維新戦記】:①【前編】:「独占手記」 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について

2023-04-11 07:25:10 | 【政党・自民・立憲・維新の会・公明・国民民主・共産・社民・れいわ・地域政党他】

【連載・維新戦記】:①【前編】:「独占手記」 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【連載・維新戦記】:①【前編】:「独占手記」 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について

 ◆今だから明かすべきだと私が考えた理由

 2012年~2015年の2年間、私・米山隆一は衆議院議員・参議院議員の候補者として日本維新の会(維新の党)に所属していました。

 この連載で、私が維新で経験し、感じたことを、可能な限り客観的に書いていきたいと思います。

 日本維新の会は、伸長と停滞を繰り返しながら、2021年の選挙で41議席を獲得し、ブームを起こした2012年の結党時の議席に迫りつつあります。

 その中で、維新はことあるごとに「身を切る改革」と叫んで自らはお金に対してクリーンであることを喧伝していますが、私は第1回目の衆議院選挙では使いもしないのに100万円の経費を徴収されましたし、2015年の分裂騒動では橋下氏らの大阪組は「政党交付金の国庫返納!」を叫びながら、ひたすらお金に執着し、刑事事件すれすれの事さえして資金を収奪していました。

 彼らが見せている姿とその実像は、余りに食い違っています。

 今、できるだけ多くの日本の未来に関心を持つ方々に、「維新の実態とはどのようなものか」を事実に基づいて理解してもらうことは、日本の岐路を選択する上で、極めて重要な事だと考え、筆を執ることとしました。

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 ◆候補者面接と「内定」

 「なかなかな経歴だけど、自民党で2回選挙に落ちているんだね。何が足りなかったと思う?」

 2012年10月、大阪市中之島の日本維新の会本部ビルの12階で、関西弁の強い、顔色が悪く皴の多い男性の面接官から尋ねられました。

 私は、

 「選挙自体は私は、いずれも惜敗だったと思います。ただ地域のキーマンへの配慮や対策が足りない部分があったと思います」

 と答えました。自民党時代旧知の間柄であった、松浪健太衆議院議員(当時・現大阪府議)からの立候補の勧誘を受けてものだったこともあって面接は和やかな雰囲気のまま進みました。

 「分かりました。私からは以上ですが、米山さんから質問はありますか?」

 この男性からそう問われ、私は答えました。

 「はい、一つだけ質問があります。比例重複立候補の順位は、小選挙区の候補者全員同列の一位という事で宜しいでしょうか? 候補者にとっては極めて重要なことですから」

 「もちろんだよ」

 面接官はそう答え、私はそれを聞いて安心して部屋を後にしました。その面接官は、後に当時大阪維新の会府議団長であった、弁護士の坂井良和氏であることが分かりました。その数日後に新潟5区からの立候補者として内定する旨の通知を得て、私は日本維新の会に入党しました。

 ◆国政進出前の熱気

 この日を遡ること半年、2012年の5月、私は自民党時代に同じ二階派で親しかった松浪氏に声をかけられ、麻布のバーに向かっていました。

 瀟洒なビルの3階のドアを開けると、そこには手にグラスを持った多くの男性がおり、ある人は立ち、ある人はソファーに腰かけて、話していました。この中には、衆議院議員で官房副長官まで務めた松野頼久氏、桜内文城氏、小熊慎司氏などがいました。

 会では、3年前に政権交代を成し遂げた民主党政権が震災復興と消費増税で迷走するなかで、近く予想される総選挙に向けて橋下徹大阪市長(当時)が率いる地域政党・大阪維新の会の国政進出が話し合われていました。

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 その会話の中では、第1次安倍内閣崩壊後、谷垣禎一氏が総裁を務める自民党で失意の身だった安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙で勝てなかった場合、側近の菅義偉議員と共に「維新」に参加する可能性があることも取りざたされていました。

 声をかけられて赴いたとはいえ、並みいる議員たちの中で、浪々の身である私は小さくなっていました。それでも、閉塞する日本の政治を変えようという熱気をひしひしと感じました。

 ◆一期生が持っていた星雲の志

 同年9月12日、大阪維新の会の代表である橋下氏が「維新八策」を発表し、世の中を覆う閉塞感を打開する新政党への期待が高まり、同年9月28日、日本維新の会が設立されました。

 11月には大阪のコンベンションセンターで開かれていた「維新政治塾」の最終講義に呼ばれ、「塾生」達と初めて顔を合わせました。麻布のバーでたむろしていたスーツの男性たちとは違い塾生たちの多くは若くフレッシュで、女性の姿も目立ちました。

 この時同席していた仲間に、後に参議院議員となる塩村彩夏氏(立憲民主党)、2017年に衆議院比例近畿ブロックで当選した森夏枝氏、昨年10月の衆議院選挙で初当選した青柳仁士氏(日本維新の会)などがいます。

 その後立候補する大阪の市議・府議を含め参加者は一様に講師たちの講義を熱心に聞き、様々な質疑を行いました。休憩時間には連絡先をお互いに交換し、政治にかける思いを語る光景がここかしこで繰り広げられました。

 この時集まった一期生の間には確かに、日本の政治を刷新していこうという純粋な、そして燃えるような青雲の志が確かにあったと思います。私はこの時の同期の何人かとは、今でも友人付き合いを続けています。

 ◆石原新党との合流

 11月16日に衆議院が解散された翌17日、観測が流れていたとはいえ、私を含む多くの人にとっては「突如」、日本維新の会と、石原慎太郎氏率いる太陽の党の合流が発表されました。塾で会った候補者の考え方は多種多様でしたし、そこまで深く意見を聞いたわけでもないのですが、恐らく6~7割方はリベラル寄りであったと思います。

 自民党時代、私は党内では最もリベラルな立ち位置でしたから、とても驚きました。私は困惑を感じながらも、維新の主流派はリベラルのままであり、太陽の党の出身議員の発言権はそれほどにはならないだろうと考えて、自らを納得させたことを昨日の事のように覚えています。

 ◆「100万円徴収」で感じた懸念

 その後、候補内定者は直ちに大阪中之島の日本維新の会本部のビルに呼ばれ、記者会見と、選挙手続きの説明、橋下氏との写真撮影などが行われました。

 ここで驚いたのは、小選挙区と比例区の供託金600万円と合わせて、ポスター作製などの発注業者が指定され、製作費として100万円を振り込むこととされていたことでした。

 私は自民党で政治活動をしていた時からなじみの深い業者さんがおり、ポスター作りのコンセプトやコンテンツを共有していました。選挙まで1か月しかない中で、勝手を知らない業者さんと一から話をする時間が惜しいと感じた私は、軽い気持ちで事務局に

 「ポスター等は自分で発注して自分で作るので100万円はいいですよね?」

 と聞いたところ、その答えは

 「いえ、自分で作るのは自由ですが、100万円は振り込んでください」

 というものでした。私はその回答に非常に驚きましたが、党本部と喧嘩するのも得策でないと考え、

 「分かりました」

 と答え本部を後にしました。

 後に、同様の申し出をした候補が複数いたことを聞きましたが、いずれも、「ポスター作製代100万円は必須」でした。

 そもそもポスター作製は、選挙対策的意味も込めて地元の業者を使うのが通常なのに、全国の候補に大阪の一業者を指定すること自体が異例な上、発注しなくても100万円を徴収するというのは、ポスター作製に名を借りて、候補者から政治資金を徴収していたと疑われても仕方ありません。

 作ったばかりの政党ですから資金不足で候補者にカンパを募ることはありうるとして、それならそうと明示すべきで、このような形で資金を徴収すべきではありません。私は早くもこの時、後に痛いほど知ることになる、彼らのお金への執着と、掲げる看板と実態に大きな懸隔の一端を、垣間見たのです。

 ◆他の候補者から漏れ聞こえてきた実情

 新潟に帰り、100万円と供託金300万円(当初は比例の300万円も自腹との事でしたが、流石に軌道修正され、比例の供託金は党が負担する事になりました。)を支払い、私は大急ぎで選挙準備を進めました。

 私はすでに自民党で2回選挙を戦っていた経験から、選挙運動の勝手がわかっていました。全ての人員をボランティアでそろえるのには苦労しましたが、日々何とか体制が整ってきました。

 その中で私は、塾で連絡先を交換した候補者たちと、準備状況をお互いに相談するMLを作りました。私自身選挙準備に追われていたので、他の選挙区での様子を具体的に把握できたわけではないのですが、どの選挙区でも、党本部からのケアはほぼ皆無という状況でした。

 今まで一度も選挙活動をしたことがない若者から、最低で供託金300万円とポスター代100万円併せて400万円、そのほか事務所代を含めれば1000万円近くのお金を自腹で払い込ませ、その後はほったらかし。

 少なからぬ人が小選挙区では勝負にもならず落選し、供託金も没収となるのは、目に見えていました。政治家は使い捨てとはいえ、随分なものだと、私は思っていました。

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 ◆「中田宏=比例1位」の困惑

 私自身の選挙の勝算は、候補者が多くいる関西、関東と異なり、新潟5区の属する北信越ブロックでは、解散の時点では富山に1人、長野に2人、新潟に私を含めて2人の合計5人の候補者がいるだけ。しかし、世論調査などの維新への支持率から、2~3人の当選が予想され、十分勝機が見込めるというものでした。

 ところが私のこの計算は、同年11月30日、前横浜市長中田宏氏を、北信越ブロックの維新比例単独1位で擁立する事を発表したことで早くも崩れました。

 「小選挙区の候補者全員を比例同列1位で処遇する」という坂井氏の言が、何の説明もなく反故にされたことを知った私は、声をかけてくれた松浪氏を始め、知遇のあった複数の維新の国会議員に「あまりにひどいではないか。中田宏氏をどうしても比例1位で処遇するなら、せめて中田氏も富山1区など小選挙区で立候補すべきだ」と抗議しましたが、聞き入れられることはありませんでした。

 12月4日の公示をまであと3日と迫った12月1日土曜日、長岡駅前に橋下代表代行を迎えての演説会が決まりました。それ自体は大変嬉しく感謝の至りでしたがしかし、本部から示された演説会の条件は、私は信じられないものでした。

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【政局・日本維新の会担当:衆議院議員・米山隆一氏】  2022年04月23日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【HUNTER2023.04.11】:維新に惨敗の大阪自民、敗因の一つは“ディズニー誘致”

2023-04-11 07:01:30 | 【選挙・衆院選、参院選、補選・都道府県市町村長・地方議会・公職選挙法・買収事件】

【HUNTER2023.04.11】:維新に惨敗の大阪自民、敗因の一つは“ディズニー誘致”

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【HUNTER2023.04.11】:維新に惨敗の大阪自民、敗因の一つは“ディズニー誘致” 

 9日、統一地方選前半戦で最も注目されていた大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙が行われ、即日開票の結果、大阪府は維新現職の吉村洋文氏が、大阪市長には新人の横山英幸氏が圧倒的な強さを見せつけ当選した。

 これまで維新が過半数を獲得できなかった、大阪市議会でも過半数を奪取。吉村氏が「過半数をとれなければ、維新の代表を辞任する」とハッパをかけた効果が表れた格好だ。

                 ◇   ◇   ◇

 維新の国会議員が笑顔で語る。

 「大阪府、市とも維新が自由自在にやれる環境が整った。国政でも安心して勝負ができる」。

 対照的なのは惨敗した自民党だ。これまで、橋下徹氏と松井一郎氏が創設した維新に負け続けきた経緯から、今回は政治団体「アップデートおおさか」を前面に出し、政党カラーを出さない戦略で挑んだ。知事選には大学教授でコメンテーターの谷口真由美氏、市長選には自民党市議の北野妙子氏を擁立したが、維新の勢いに飲み込まれた。「ダブル選挙は正直、厳しいと思っていた。府議選、市議選でもここまで維新に負けるとは想定していなかった」と自民党大阪府連の幹部は肩を落とす。

 維新の政策といえば、これまでは「大阪都構想」を繰り返すばかりだった。しかし、今回はIR・カジノ構想の是非が最大の争点。自民党は徹底したカジノ批判を展開した。

 「カジノにNOを突き付けないと、維新との対立軸にはなりませんから徹底しました。ただし、自民党が政権与党でもる以上、代案も必要です。あわてて、これをやったのですがあまりに現実味がなく、維新からは反撃にあって大失敗に終わりました。SNS上でも炎上しましたから、大敗した理由の一つになるでしょう」と先の府連幹部が指差したのは1枚のポスター。『夢洲にディズニーリゾートを! 自民党』と大きな文字が躍る。カジノ予定地である大阪市此花区の埋め立て地「夢洲」にディズニーリゾートを誘致するというのだ。確かに、ごく一部で語られていた案だが、大阪府民はほぼ知らない絵空事。唐突に出てきた公約だった。

 府議選の自民党候補だった人物によれば、中山泰秀元衆議院議員らが検討して出されたものだったという。

 「夢洲に近接するところにUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)があります。カジノではなくディズニーリゾートをというのは、誰もが思い浮かぶ代案。中山氏は以前からディズニーの関係者とコネクションがあるということで検討はされました。しかしそれが公約、代案というほどきちんと自民党の府連で論議されたわけではありません。ディズニーというブランドありきで中途半端な格好で表に出してしまった」(府連の幹部)

 さっそく反応したのが引退する大阪市の松井一郎市長。過去の経緯を踏まえて手厳しく批判した。

 「維新批判だけで政策が見えない。ディズニーはできません。USJを誘致する際に、大阪市としては大規模テーマパークは誘致しないと覚書を結んでいます。USJを誘致した時は自民党が中心でした。

 そのことを知った上でやっているんでしょう。知らんというなら、まったくの勉強不足。ディズニーも関係ないところで巻き込まれて申し訳ない話」

 ディズニー案は、日本維新の会の藤田文武幹事長からもボロクソにけなされた。
「大阪の自民党のポスターに、がディズニーリゾートやるから、カジノやめてくれと書いてある。さまざまな議論がされて、万博でありカジノとなった。それが大々的に広報されてきた。大阪の自民党にガバナンスはない。むちゃくちゃ。中山氏は、かかわっていないとはしごをはずしている。これだけ大々的になっているのだから、尻拭いしてやれよと。矢面に立ったらいいのに俺は関係ないと言い出している」

 ディズニーリゾート誘致話の中心とも報じられている中山氏は、この件を報じたネットメディアに、弁護士を通じて抗議の書面を送るなど「逃げ」の体制だ。その中山氏の地盤は、大阪市内に位置する大阪4区。同区内から出馬した自民党の府議候補らは、選挙公報に『カジノより大阪にディズニーリゾートを』と堂々と掲載していた。

 落選した自民党の府議候補の一人が恨み節を口にする。

 「維新に劣勢なうえに、ディズニーリゾートというありえない公約までぶち上げてよけいに支持を落として、本来の自民党票まで維新に流れた。ディズニーリゾートと選挙公報に出していた一人は、中山氏の元秘書ですから誰が中心だったのかよくわかるでしょう。維新の藤田幹事長が言ったように、選挙戦真っ最中の我々に代わって中山さんご自身が戦ってくれればいいものを、弁護士まで使って我関せずの態度。中山さんは父が大臣まで務めた典型的な二世。言動には問題も多く、地元の人からは『あほぼん』と揶揄されることもあります。まさに、今回のディズニーリゾート騒動は『あほぼんやな』と笑いのネタになっています。中山さんは国政で副大臣まで経験しているのですよ。惨敗は投票前から見えていた」

 自民党は、負けるべくして維新に負けたということだ。

 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【政治・社会ニュース】  2023年04月11日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【検証】:自民が計画 防衛力強化に「予備費」を使い回しの本末転倒…「増税延期」にだまされるな!

2023-04-11 06:25:50 | 【防衛省・自衛隊・防衛費、大綱・沖縄防衛局・軍需産業・Jアラート・シェルター】

【検証】:自民が計画 防衛力強化に「予備費」を使い回しの本末転倒…「増税延期」にだまされるな!

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【検証】:自民が計画 防衛力強化に「予備費」を使い回しの本末転倒…「増税延期」にだまされるな!

  国民の税金を何だと思っているのか。防衛費増額の財源をめぐり、自民党内で、予算の使い残しや税収の上振れで生じる「決算剰余金」の活用を拡大する案が浮上。「防衛増税」を延期する狙いがあるという。

 岸田首相は防衛力強化のために増税への理解を国民に求めているが、自民党内では萩生田政調会長を中心とする特命委員会が増税以外の財源を検討中。増税額の圧縮を模索する過程で目を付けたのが、使い残しが巨額に上る予備費だ。

 政府は昨年度、新型コロナと物価高対策として予備費10兆8600億円を計上。使わなかった不用額は4兆円弱に上った。自民党内の増税慎重派は、その一部を使って増税で賄う1兆円強を圧縮し、「2024年以降の適切な時期」とされる増税時期を延期する計画を描いている。

 予備費は本来、災害など「不測の事態」にそなえて計上するもの。コロナ禍で額が膨らんだのをいいことに、すっかり政府が自由に使い道を決められる“掴み金”になってしまっている。国会の議決を経ずに閣議で使途を決められるから、防衛費に充てるために余らせようと思えばできてしまう。まるで本末転倒である。

 醍醐聰東大名誉教授(会計学)がこう言う。

 「政府がフリーハンドで使える予算を増やすことは、予算編成をめぐる国会のコントロールを骨抜きにするも同然です。財政法上、剰余金の半分は国債の償還に充てると規定されています。つまり、剰余金の活用の最優先は国債の償還が原則なのです。さらに言えば、なぜ余ったのかも、きちんと検証されなければなりません。失業手当や生活保護など、本来ならサービスを享受すべき人に、きちんと予算が執行されていない恐れがあるわけですからね」

 ■少子化対策に使えばいい

 岸田首相は「少子化への対応は待ったなしの最重要課題」と強調している。それなら、年金・医療・介護雇用の社会保険料に少子化対策の財源の一部を上乗せする案を検討する前に、防衛費増に回す剰余金を少子化対策に活用する議論をしたっていいはずだ。

<picture>「予備費」使いまわし案まで浮上のやりたい放題(萩生田光一政調会長、自民党の「防衛費増額を巡り増税以外の財源確保策を検討する特命委員会」で)/(C)日刊ゲンダイ</picture>

 「予備費」使いまわし案まで浮上のやりたい放題(萩生田光一政調会長、自民党の「防衛費増額を巡り増税以外の財源確保策を検討する特命委員会」で)/(C)日刊ゲンダイ

自民党内で防衛力強化に剰余金を充てる前提で議論が進んでいること自体、問題です。社会福祉をめぐっては、例えばフランスなどは1990年代から公費負担の割合を増やし、『保険財源の租税化』を進めてきました。日本政府はいまだに、こうした骨太な議論を置き去りにしているのです」(醍醐聰氏)

 本をただせば、防衛増税岸田首相勝手ブチ上げた計画だ。これ以上、税金好き勝手に使われてはたまったもんじゃない。

 元稿:日刊ゲンダイ DIGITA 主要ニュース ライフ 【暮らしニュース・岸田政権・防衛費増額の財源】  2023年04月11日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【選挙】:きょう衆院4補選告示 物価高、政治とカネ争点

2023-04-11 06:16:30 | 【選挙・衆院選、参院選、補選・都道府県市町村長・地方議会・公職選挙法・買収事件】

【選挙】:きょう衆院4補選告示 物価高、政治とカネ争点

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【選挙】:きょう衆院4補選告示 物価高、政治とカネ争点

  衆院千葉5区、和歌山1区、山口2区、4区の4補欠選挙が11日、告示される。いずれも与野党対決の構図となる見通し。物価高・少子化対策や「政治とカネ」の問題、防衛力強化に伴う増税方針、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政治家との関係などが争点。昨年7月の参院選以来初の国政選挙で、岸田文雄首相にとり「中間選挙」と位置付けられる。6日告示の参院大分選挙区補選とともに23日に投開票される。 

 国会議事堂

           国会議事堂

 勝敗は首相の衆院解散戦略や政権運営に影響を与える。統一地方選後半戦と合わせ、与野党による舌戦が展開される。(共同通信)

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政局・選挙・衆院4補選】  2023年04月11日  06:16:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《社説①》:統一地方選の前半戦 不信反映した維新の伸長

2023-04-11 02:05:50 | 【選挙・衆院選、参院選、補選・都道府県市町村長・地方議会・公職選挙法・買収事件】

《社説①》:統一地方選の前半戦 不信反映した維新の伸長

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①》:統一地方選の前半戦 不信反映した維新の伸長

 統一地方選の前半戦では投票率の低さが際立った。有権者の関心を引きつけられなかった各党は、重く受け止めなければならない。

 9道府県知事選で46・78%、41道府県議選は41・85%といずれも過去最低を記録した。

 知事選では明確な与野党対決型の選挙が少なく、現職に与野党が相乗りした神奈川などで特に低調だった。議員選は知事選がなかった県で低い傾向となり、全国最低の埼玉は34・92%にとどまった。

 無投票当選の多さも問題だ。総定数の25%にも上った。全国に366ある定数1の選挙区は半数以上が無投票で、自民現職が大半を占めた。議員の固定化を招きかねない。

 地域社会で暮らしに直結する課題を自分たちで決める地方自治は、「民主主義の学校」と呼ばれる。首長と議員を住民が直接選ぶ仕組みだ。

 しかし、有権者が投票しなかったり、無投票で権利を行使できなかったりすれば、民意が政治に反映されず、自治の根幹が揺らぐ。

 そのような状況で議席を倍増させたのが日本維新の会である。

 大阪府・市でともに過半数を制し、関西圏で勢力を伸ばした。神奈川、埼玉両県議会など首都圏でも初めて議席を得て、全国政党化への足がかりを築いた。

 自民党は道府県議選で計1153議席を獲得し、前回、前々回に続き総定数の過半数を維持したものの、関西では維新に押された。

 立憲民主党は伸び悩み、共産党は改選前から減らした。地方議会における野党は低調で、これではチェック機能を発揮できない。

 従来の選挙では低投票率の場合、業界団体をバックに持つ自民や、労働組合の支援を受ける立憲などの候補が有利と言われてきた。にもかかわらず、大阪以外で組織を持たない維新が伸びた。

 物価高が国民の暮らしを直撃する中、既存政党批判を展開して「身を切る改革」を訴えた維新が、現状への不満や政治不信の受け皿となったといえる。

 23日には、市区町村の首長と議員を選ぶ後半戦の投票がある。地方自治を守るためにも、子育て支援やジェンダーなど生活に密着したテーマで、各党は論争を活性化させなければならない。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2023年04月11日  02:01:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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