《憂楽帳・01.07》:ネモフィラの戦後80年
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《憂楽帳・01.07》:ネモフィラの戦後80年
晩春のネモフィラや秋のコキアで知られる茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園は1973年まで在日米軍の射爆場だった。
終戦翌年の46年6月、米軍は旧陸軍の飛行場を接収して対地射爆撃場とし、以来、米軍機による事件や事故が相次いだ。49年と50年、いずれも流れ弾で計2人が死亡。57年8月には超低空飛行の米軍機が親子に接触し、64歳の母親は即死、息子も重傷を負った。「わざと…
■この記事は有料記事です。残り279文字(全文465文字)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます