路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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《憂楽帳・01.07》:ネモフィラの戦後80年

2025-01-08 13:13:20 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《憂楽帳・01.07》:ネモフィラの戦後80年

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《憂楽帳・01.07》:ネモフィラの戦後80年

 晩春のネモフィラや秋のコキアで知られる茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園は1973年まで在日米軍の射爆場だった。

 

「みはらしの丘」に植えられた3分咲きのネモフィラ。太平洋(右奥)の青さとも溶け合うように咲く=茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園で2024年4月10日、寺田剛撮影

「みはらしの丘」に植えられた3分咲きのネモフィラ。太平洋(右奥)の青さとも溶け合うように咲く=茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園で2024年4月10日、寺田剛撮影

 終戦翌年の46年6月、米軍は旧陸軍の飛行場を接収して対地射爆撃場とし、以来、米軍機による事件や事故が相次いだ。49年と50年、いずれも流れ弾で計2人が死亡。57年8月には超低空飛行の米軍機が親子に接触し、64歳の母親は即死、息子も重傷を負った。「わざと…

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