「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ある藤原(F)機関員の死

2007-04-03 06:47:29 | Weblog
「ゆりかごの歌」「からたちの花」などの童謡作家と知られる北原
白秋に「マレー作戦の歌」(昭和17年年)がある。
    ① 雲か山かと見渡せば マレーは今だ十字星
      万里の怒涛乗り越えて 船は満ちたり輸送船
      怒涛の如き我が軍の進撃を見よ電撃を
    ② 敵の囲みをつく作戦に クアンタン沖の猛迫に
      相叫び応え突破する タイと英との国境線
      怒涛の如き我が軍の進撃を見よ 電撃を 

昭和16年12月8日、マレーのコタバルとタイのシンゴラに上陸し
た我が軍は怒涛の如き電撃戦で翌17年2月16日シンガポールを
陥れた。この世界に類をみない作戦は当時の国定国語教科書にも
掲載され、藤田嗣冶画伯も戦争画に描いた。

いま、日本人の何人が当時のことを覚えているだろうかー。一昨日
僕はこの電撃戦で大活躍した藤原(F)機関員だったO氏の子息と会
い、尊父のことを聞いた。藤原機関は開戦時、在マレー・インド人90
万人を我が軍の見方につけ、インド独立の基礎となるインド国民軍を
結成した陸軍の諜報機関である。O氏の尊父は藤原岩市機関長の通
訳をしていたが、17年3月、東京で開かれたインド独立会議に出席の
途次乗っていた飛行機が北アルプスの焼岳に激突、プリタム・シンILL
(インド独立連盟)書記長ら独立の志士と共に遭難死した。

白秋の歌詞も藤田画伯の戦争画もそしてO氏の獅子奮迅の活躍もい
まや忘れられかけている。”戦争は悪”というフレーズで一刀両断され、
戦後墨で塗りつぶされた教科書同様歴史から消えようとしている。歴
史は歴史として後世に残すべきである。