「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

62年前の京浜大空襲 悪夢の時代

2007-04-16 05:59:16 | Weblog
昭和20年4月15日深夜、京浜工業地帯はB-29二百機による大空襲
で壊滅的な被害を受けた。3月10日の下町大空襲があまりにも大きく
悲惨だったので、その陰に隠れてしまった感じだが、当時城南に住ん
でいた亡父は”初めて空襲の脅威を感ず”と日記に記している。この夜
の空襲で京浜地区の軍需工場は全滅、僕らの動員先の工場も灰燼に
帰した。

あれから62年、きのう当時の仲間7人と焼けた工場跡へ行き往事を偲ん
だ。半世紀以上の時の流れで、昔のよすがは全くなく、工場跡さえ特定
出来なかった。そのころ僕らは中学3年生で”人間魚雷”回天のエンジン
部品を造っていた。もちろん軍事秘密で僕らはそれを知らなかったーが。

工場が焼けた2日目、僕は電車が不通のため7㌔の道を歩いて工場へ
行った。亡父の日記は”敢闘精神の現れ”と賞賛しているが、実際は工
場の焼跡に”焼け米”を拾いに行くのが目的だった。

きのうの集まりでも話題は空腹だった。おにぎりの配給に担任の先生が
一番先に手を出した話。工場からカーバイトを持ち出し、ドブ川でザリガ二
を取り食べた話などなど。育ちさかりの14,5歳の少年にとっては本当
に過酷な時代であった。

工場を見たあと2千円の会費で昼食をたべた。飽食の時代である。高齢
の僕らには多すぎて半分以上残してしまった。あの悪夢のような時代を
思い出し感無量だった。