昭和12年4月1日、僕らは東京品川区立の尋常高等小学校に
入学した。校門の桜は満開、ピカピカの一年生だった。あれから
70年、きのう僕らは当時の級友8人とささやかな会をもった。
みな白髪禿頭の喜寿の年齢を迎えた。
当時の文部省国定尋常小学校1年の国語教科書巻1は「サイタ
サイタ サクラガ サイタ」で始まっていた。カタカナだった。
国定教科書としては始めての色刷りで、見開きの向かって右側に
は満開の桜、左側には遠くに山を配した里山の桜が印象的だった。
「サイタ サイタ」の次が「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」だったが
その年7月7日、日支事変が始まり、長い長い戦争の時代に入った。
中学3年までである。今の義務教育の期間、ほとんどが戦争だったわ
けだ。
母校は昭和20年4月の空襲で全焼した。そして校名だけ残り近
くの学校と合併した。ところが、その校名も二年前、都会過疎とい
う理由で校名まで、取り上げられ”竹馬の地”とは無関係の小中
一貫校が誕生、よその土地から子供が通ってきている。
70年前、桜の校門をくぐった級友もいま消息のわかるのは10
名前後、毎年学校のあった地にこだわって会を開いている。が、
校名もかわってしまった昔の学校跡を訪れる気持ちにはなれない。
秋祭りの想い出のある”産土神”へ行き手をあわせた。役人の勝手
で卒業生の了解もなく100年以上の歴史をもつ学校を消してし
まう暴挙に腹がたつ。
入学した。校門の桜は満開、ピカピカの一年生だった。あれから
70年、きのう僕らは当時の級友8人とささやかな会をもった。
みな白髪禿頭の喜寿の年齢を迎えた。
当時の文部省国定尋常小学校1年の国語教科書巻1は「サイタ
サイタ サクラガ サイタ」で始まっていた。カタカナだった。
国定教科書としては始めての色刷りで、見開きの向かって右側に
は満開の桜、左側には遠くに山を配した里山の桜が印象的だった。
「サイタ サイタ」の次が「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」だったが
その年7月7日、日支事変が始まり、長い長い戦争の時代に入った。
中学3年までである。今の義務教育の期間、ほとんどが戦争だったわ
けだ。
母校は昭和20年4月の空襲で全焼した。そして校名だけ残り近
くの学校と合併した。ところが、その校名も二年前、都会過疎とい
う理由で校名まで、取り上げられ”竹馬の地”とは無関係の小中
一貫校が誕生、よその土地から子供が通ってきている。
70年前、桜の校門をくぐった級友もいま消息のわかるのは10
名前後、毎年学校のあった地にこだわって会を開いている。が、
校名もかわってしまった昔の学校跡を訪れる気持ちにはなれない。
秋祭りの想い出のある”産土神”へ行き手をあわせた。役人の勝手
で卒業生の了解もなく100年以上の歴史をもつ学校を消してし
まう暴挙に腹がたつ。