「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

サイタ サイタ サクラガ サイタ 70年前の1年生

2007-04-08 06:57:42 | Weblog
昭和12年4月1日、僕らは東京品川区立の尋常高等小学校に
入学した。校門の桜は満開、ピカピカの一年生だった。あれから
70年、きのう僕らは当時の級友8人とささやかな会をもった。
みな白髪禿頭の喜寿の年齢を迎えた。

当時の文部省国定尋常小学校1年の国語教科書巻1は「サイタ 
サイタ サクラガ サイタ」で始まっていた。カタカナだった。
国定教科書としては始めての色刷りで、見開きの向かって右側に
は満開の桜、左側には遠くに山を配した里山の桜が印象的だった。  

「サイタ サイタ」の次が「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」だったが
その年7月7日、日支事変が始まり、長い長い戦争の時代に入った。
中学3年までである。今の義務教育の期間、ほとんどが戦争だったわ
けだ。

母校は昭和20年4月の空襲で全焼した。そして校名だけ残り近
くの学校と合併した。ところが、その校名も二年前、都会過疎とい
う理由で校名まで、取り上げられ”竹馬の地”とは無関係の小中
一貫校が誕生、よその土地から子供が通ってきている。

70年前、桜の校門をくぐった級友もいま消息のわかるのは10
名前後、毎年学校のあった地にこだわって会を開いている。が、
校名もかわってしまった昔の学校跡を訪れる気持ちにはなれない。
秋祭りの想い出のある”産土神”へ行き手をあわせた。役人の勝手
で卒業生の了解もなく100年以上の歴史をもつ学校を消してし
まう暴挙に腹がたつ。