介護つかれから東京では56歳の妻が56歳の夫を殺害、大阪守口市では
59歳の夫が58歳の妻を殺したうえ、マンション屋上の放置された冷蔵庫
の中に押し込め遺棄していた。なんとも痛ましい事件である。”美しい国”
での事件ではない。”福祉””介護”といった言葉はどこへいってしまったの
だろうか。
二つの事件には、かなりの共通点がある。第一は寝たきりの病人の配偶
者を、僅か3か月ぐらいの看護で殺していること。東京とか大阪の大都会で
の事件。年齢が老齢といってもまだ若い50代の犯罪ーなどなど。推理でも
のを言ってはてはいけないが、もう少し”堪え性”があってもよかったのでは
ないだろうか。
”堪え性”という言葉があるほど、日本人は昔から、ものに堪える性格の持
主だった。国が貧しく、ものがないので自然我慢強くならざるをえなかった。
とくに戦争中は何事も戦争に勝つまではーと我慢を強制された。戦後ものが
豊かになってから”堪え性”は失われつつある。変なたとえだが、昔は店屋
の前で、ものが欲しくて泣き叫ぶ子供がいたが、今はあまりこの風景を見な
くなった。
介護生活はあまり頑張ってはいけないという。看護する側の精神的負担になるか
らだという。”堪え性”とは相反するが、その兼ね合いが難しい。コムソン事件は
わが国の福祉行政の貧しさを象徴する事件である。そして、この二つの悲劇は、
その貧しさの実例である。厚労省の現実に即した施策を望みたい。
59歳の夫が58歳の妻を殺したうえ、マンション屋上の放置された冷蔵庫
の中に押し込め遺棄していた。なんとも痛ましい事件である。”美しい国”
での事件ではない。”福祉””介護”といった言葉はどこへいってしまったの
だろうか。
二つの事件には、かなりの共通点がある。第一は寝たきりの病人の配偶
者を、僅か3か月ぐらいの看護で殺していること。東京とか大阪の大都会で
の事件。年齢が老齢といってもまだ若い50代の犯罪ーなどなど。推理でも
のを言ってはてはいけないが、もう少し”堪え性”があってもよかったのでは
ないだろうか。
”堪え性”という言葉があるほど、日本人は昔から、ものに堪える性格の持
主だった。国が貧しく、ものがないので自然我慢強くならざるをえなかった。
とくに戦争中は何事も戦争に勝つまではーと我慢を強制された。戦後ものが
豊かになってから”堪え性”は失われつつある。変なたとえだが、昔は店屋
の前で、ものが欲しくて泣き叫ぶ子供がいたが、今はあまりこの風景を見な
くなった。
介護生活はあまり頑張ってはいけないという。看護する側の精神的負担になるか
らだという。”堪え性”とは相反するが、その兼ね合いが難しい。コムソン事件は
わが国の福祉行政の貧しさを象徴する事件である。そして、この二つの悲劇は、
その貧しさの実例である。厚労省の現実に即した施策を望みたい。