「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          71年前の同期の桜

2008-04-05 06:13:44 | Weblog
今年の櫻は長持ちしている。東京では開花してからそろそろ二週間もたつのにま
だ花を残している。が、さすがに今日あたりから散りかけてきた。そんな花吹雪の
中で、71年前、同じ小学校の門をくぐった仲間6人と同期の会を催した。すでに喜
寿を祝った老爺ばかりだが、会えばお互い”オイ、お前”の昔に戻る。

僕らが入学したのは昭和12年4月1日、校門横の櫻が全開だったのを覚えている。
みな新しいランドセルに学帽、胸に折りたたんだハンカチをつけ、希望に燃えていた。
まだ平和の時代だったが、三か月後の7月7日には日支事変が起こり、5年生の12
月8日には大東亜戦争が勃発した。小学校6年間は、まさに激動の時代だった。学
制も1年から4年までは小学校、5年、6年は国民学校であった。

母校は昭和20年5月の空襲で焼け、戦後は校名だけは残り、別の場所にあったが、
その校名も都会過疎により廃校になってしまった。僕らの仲間も空襲と疎開でバラ
バラになり、消息の取れているのは12人にすぎない。そのうちの半分が集まったわ
けだ。級長だったS君は東京大学の名誉教授、副級長のK君は名古屋で企業の社
長さんで、わざわざ遠くから駆けつけてくれた。新幹線の車掌さんだったI君も安曇野
からきてくれた。ほかに一級建築士のO君、中小企業の現役経営者のA君、それに
僕が出席者だ。

残念ながら幹事役で、最近まで六本木でビブブラフォンのライブ演奏していたY君は
病気で欠席、かってA級競輪選手でならしたS君も顔をみせなかった。やがてお世話
になろうと思っていた葬儀屋のS君も昨年先に逝ってしまった。散る花をめでながら
同期の桜は世の無常を知りながら適当に酒をのんだ。