「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        半世紀前の学園キャンパス

2008-04-24 08:21:36 | Weblog
毎日が”サンデイ”の老人だが、このところ”現役並み”の忙しい日が続いている。
昨日は38年ぶりに開かれた大学の同期会に出席した。僕らは昭和28年(1953年)
の卒業で、大方が高度成長期の企業戦士”で、現役時代はなかなか集まる機会
がなかった。が、やっと喜寿を過ぎ再会のチャンスがやってきた。

昭和28年という年は、大學の旧制、新制が一緒に卒業した年で、未曾有の就職難
であった。特に僕らは文学部というハンディがあり企業によっては門前払い。就職、
先がなく遠く北海道の僻地の高校に”都落ち”した者もいた。

ちょうど学制の切替期で、僕は昭和23年4月、大學予科に入学したが、僅か2か月で
学校は6月1日から9月15日まで、長い夏休みに入った。先生も学生も弁当が持参で
きないほどの食糧難であった。学生食堂はあったが、学生寮にいる学生たちのため
の外食券食堂で、外食券を持たない一般学生は食べられなかった。その学生寮は校
庭の一角に建てられたカマボコ型をした進駐軍払い下げの兵舎であった。トタン屋根
の簡易住宅で、夏は暑く冬は寒い、粗末なものだったが、まだ焼跡で防空壕生活者が
いる当時としては羨ましがられた。

卒業後半世紀を経て、それぞれが精一杯自分の人生を生きてきた。卒業期30数人
いた学友のうち、今回連絡がとれた者が20人、物故された方10人で、昨日の会には
9人が参加した。乾杯の音頭を取ったのは、復員で帰国が遅れ、一回りも下の僕らと
机を並べた88歳のY氏、彼は夜進駐軍キャンプで、バーテンダーをしながら学費を稼
いだ苦労人であった。半世紀前の大學生活を地で行ったような人だ。