「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       聖火の出発点 人生の出発点

2008-04-27 07:35:21 | Weblog
僕の人生の出発点は長野である。学校を出た最初の赴任地が長野であり、ここから
僕の人生は始まった。昨日、テレビ聖火リレーを見て僕は55年前の”駆け出し”時代
を懐かしく思い出した。とくに聖火リレーの出発点になった勤労福祉センター跡は僕
にとっては忘れられない。昔、ここには長野刑務所があって、僕はここを舞台に初め
ての”特種”記事をものにした地なのだ。

昭和28年の秋の一日、僕は長野刑務所所長室で所長と雑談していたところ、担当者
が所内で受刑者3人がメチールアルコールを飲んで事故死したと報告に来た。僕が記
者とは知らなかったのだ。僕はすぐに市役所に駆けつけ、死亡届から死んだ受刑者の
名前と住所を割り出した。刑務所は秘密にしていたので、僕の”特種”であった。

ところが不思議なことが起きるものだ。記事を電話で東京本社に送った(昔はメールも
FAXもなかった)直後、市内にサイレンが鳴り響いた。受刑者が刑務所から脱走したと
いう知らせである。この脱走のおかげで僕の”特種”もちょっと陰が薄れ、記事の扱いも
小さくなってしまった。

聖火リレーは80人のランナーによって引き継がれ、無事ゴール地点の若里公園に運ば
れた。ここは僕がいた当時は県の農業試験所の圃場があったところだ。僕の義理の兄
夫婦は当時ここに勤務していて結ばれた。僕も”ヨワイ”80歳近く、聖火のように他人に
色々とお世話になりながら、長い人生を運ばれてきた。不思議な縁である。


        "赤”に席捲された仏都、長野

2008-04-27 06:22:44 | Weblog
長野での北京五輪の聖火リレーの模様を”観戦”した。聖火リレーに"観戦”は
おかしいが、聖火を囲んだ、あの厳重な警備とあの"赤”集団の馬鹿騒ぎは、一
触即発、まさに臨戦体制。"観戦”といってもおかしくない雰囲気だった。幸い小
競り合い程度で無事聖火はリレーされたが、誰のため、何のためのお祭りだっ
たのだろうか。

いやいや今回の聖火リレーは、日本にとっては”ふって湧いた”ような災難であっ
た。本来は北京五輪に対し、隣人として成功のエールを送りたかったのだが、他
国を他国とも思わぬ、あの”赤旗”の林立、席捲は異常としかいえない。改めて全
体国家の脅威、覇権主義の怖さを見せつけられた感じだ。

仮定の話で恐縮だが、舞台を北京に移し、あのような日本の国家行事支援の催
しがあった場合、わが国は在中国の学生に”全員集合”の号令をかけ、また学生
も「日の丸」をもって駆けつけ、あのように熱狂するだろうか。自分の国の国旗を
嫌い、国歌を歌うのも拒否している教師もいる国である。

”戦い”済んで改めて日本人の特質の規律の好さについて自賛した。青い服を着た
中国人の警備集団は”フレーム・アテンダント”という名の聖火係二人だけで済んだ。
日本の警察官が二重三重に聖火を囲んだ姿は異様に見えたが、それ以上に異様
な”赤”の集団の中では仕方がなかった。中国側の発表では、きのう長野に動員
された在日の”留学生”は五千人だという。日本の警察官は三千名、本当に関係者
はご苦労なことであった。