昨日の「産経新聞」にマレーシア国歌「我が祖国」がインドネシア民謡?ではないか
と書いてあった。若い記者だから仕方がないが、この歌の元歌「トウラン・ブーラン」
は大東亜戦争で南方へ従軍した日本の兵士なら「ブンガワン・ソロ」とならんでみな
知っている。銃後の小国民であった僕も昭和17年、学校の吹奏楽団が日比谷野外
音楽堂で演奏したのを覚えている。
▽「トウラン・ブーラン」(月のあかり)
月かげ明るい川べりに 浮かんだワニは死んだふり
のるな男のくちぐるま 死も恐れずと誓うけど
(木下みち介訳)
1965年8月31日、マレーシアの初代首相、故アブドル・ラーマンの時代に、このメロディ
が400候補の中から国歌「Negara-ku」(我が祖国)に選定された。
▽「Negara-ku」(我が祖国)
我が生まれた祖国 国民は統一と発展の中に生れ
神が授けてくれた恵みと幸せ 我らの国王の在位が
平和でありますよう(在日マレーシア大使館訳)
この歌の作曲者ははっきりしていない。マレーシアのペラ州では1930年代にペラのサル
タンが英国によってセーシェル島に島流しにされたとき、同島にいたフランス人ピーエル
が作曲したことになっている。一方、インドネシアでは旧蘭領時代の1937年、蘭印で
初めて製作された劇映画「トウーラン・ブーラン」の中で、Miss Roekijaが、この歌を歌って
いる。僕もこのSPレコードを持っている。
「我が祖国」は国歌として編曲されているが、元歌のメロディは、スペイン統治時代の
影響が残る「クロンチョン」である。いずれにせよ1930年代から40年代にかけて英領
マレー、旧蘭領で人々に愛されていた歌だ。南方に従軍した元日本軍の兵士も昔は
酒宴の席でも歌ったが、今は戦友会でも酒が入れば歌わない。
と書いてあった。若い記者だから仕方がないが、この歌の元歌「トウラン・ブーラン」
は大東亜戦争で南方へ従軍した日本の兵士なら「ブンガワン・ソロ」とならんでみな
知っている。銃後の小国民であった僕も昭和17年、学校の吹奏楽団が日比谷野外
音楽堂で演奏したのを覚えている。
▽「トウラン・ブーラン」(月のあかり)
月かげ明るい川べりに 浮かんだワニは死んだふり
のるな男のくちぐるま 死も恐れずと誓うけど
(木下みち介訳)
1965年8月31日、マレーシアの初代首相、故アブドル・ラーマンの時代に、このメロディ
が400候補の中から国歌「Negara-ku」(我が祖国)に選定された。
▽「Negara-ku」(我が祖国)
我が生まれた祖国 国民は統一と発展の中に生れ
神が授けてくれた恵みと幸せ 我らの国王の在位が
平和でありますよう(在日マレーシア大使館訳)
この歌の作曲者ははっきりしていない。マレーシアのペラ州では1930年代にペラのサル
タンが英国によってセーシェル島に島流しにされたとき、同島にいたフランス人ピーエル
が作曲したことになっている。一方、インドネシアでは旧蘭領時代の1937年、蘭印で
初めて製作された劇映画「トウーラン・ブーラン」の中で、Miss Roekijaが、この歌を歌って
いる。僕もこのSPレコードを持っている。
「我が祖国」は国歌として編曲されているが、元歌のメロディは、スペイン統治時代の
影響が残る「クロンチョン」である。いずれにせよ1930年代から40年代にかけて英領
マレー、旧蘭領で人々に愛されていた歌だ。南方に従軍した元日本軍の兵士も昔は
酒宴の席でも歌ったが、今は戦友会でも酒が入れば歌わない。